2017年7月15日土曜日

民衆の阿片である

   『ヘーゲル法哲学批判』序説は、カール・マルクス25歳のときの論文である。1843年末~1844年1月に執筆された。
 世界史的には少し前の1841年に阿片戦争があった。日本では江戸時代・天保年間に当たる。

 論文中の「それは民衆の阿片である」という一言をもって「マルクスは宗教を侮蔑した」という「為にする」曲解があるが、写真のマルクス・エンゲルス全集のとおりその文章は、
 ・・「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆の阿片である」・・というものである。
 しかもマルクス自身が「阿片は鎮痛剤の意」であると述べているし、歴史的客観的に当時の阿片は鎮痛剤の意味で広く使われている。

 確かにこの文脈には、当時のヨーロッパでキリスト教が国王権力と補完し合い、専制支配のもとで苦悩する民衆に忍従を説いていたことに対する批判があるが、文脈全体としては「(宗教は)現実の不幸に対する抗議である」という肯定的評価に見られるとおり、理性的に宗教(主としてキリスト教だろうが)を評価をしているものである。
 そして私はというとこれを読んで、「宗教は阿片でけっこう」、「人生には鎮痛剤が欲しいときもある」と居直りたいのである。

 2歳で10㎏にも満たない私の孫が10数時間に及ぶ手術を受けた。そして数日間、麻酔薬で眠っている。麻酔薬は鎮痛剤でもある。
 
 25歳のマルクスは、病気には病気の原因究明と診療が必要であり、貧困には現実の社会的対処が必要だと考えたが、同時に「ため息」も決して否定はしていない。
 どこかの宗派が、お前の孫の病気は信心のせいであり、手術などせずとも「これこれをすれば治る」と言えば私はその宗教を信じない。

 しかし、人間のすることに完璧はないであろうから、ひとまず手術が終了したこの機に「誰にも」感謝したいという気になる。
 何よりも、あふれんばかりの心配事で思考が停止した感情のクールダウン(ホットアップ?)が欲しい。
 事実、数日間ブログの更新ができなかった。


   こんな時、ある種の宗教施設、つまりお寺や神社や教会がそういう精神作業の環境を提供してくれればよいと私は思う。
 となれば宗教施設の一番の要件は清潔というか整頓のようなものであってほしい。
 だから私は、「ため息でけっこう」「阿片でけっこう」と考えながら、ここ数日、心の回復に努めている。

    ぼーぼーと蛙が経読む法華堂

7 件のコメント:

  1. 只々、術後経過が良好である事を願います。

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  2. 長時間の手術に耐えた凛ちゃん 皆が 応援してますよ。頑張った凛ちゃん 笑顔を待ってます。

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  3.  ひげ親父さん、ミリオンさん、コメントありがとうございます。幾多の神仏よりも癒されます。
     こういう風に人情が通い合うのもSNSの良いところだと思います。
     元気回復しつつあります。

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  4.  長谷やん、「この更新記事のテーマは、いったい何なのか」という思いを抱えながら手探りで記事を読み進みました。そして6割以上も読み終わった時、突然、凛ちゃんの大手術と、その後の状態を知らされたのでした。正直、更新記事のこの構成には驚き、戸惑いました。
     うかつにもそれまでに長谷やんが再三登場させた阿片・麻酔薬・鎮痛剤の意味を初めて理解しました。そして手術後の数日間、麻酔薬で眠ったままの凛ちゃんを見守りながら、その麻酔薬から鎮痛剤、阿片と展開し、宗教の役割に至るこの記事の構成が見えたのでしょうね。
     それにしても凛ちゃんの容態を心配して、いたたまれない精神状態にあるはずの長谷やんのブログ記事の感情に走らず抑制のきいた筆致には感服するほかありません。
     元気になった凛ちゃんの知らせを待つばかりです。

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  5.  和道さん、コメントありがとうございます。実際に私は、医学や社会保障と宗教的環境に助けられていると感じたという感想文のつもりで書きました。そういう感想文であるため、ラベルは「爺ばか日誌」としました。

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  6. 長時間の手術…元気回復しつつとの事。
    安堵しました。

    長期のブログ休載、心配していましたが、まさか誕生時の手術予告が、この時期とは思いもよらずでした。

    なにも出来ませんが一日も早い回復を念じています。

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  7.  ヤマ君、ありがとう。さらなる弁の再手術は通告を受けていますが、先のことは先のこと、今回の手術で相当改善されるのを信じて過ごしています。

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