2017年3月14日火曜日

むかしはものをおもはざりけり

   『なくせ!原発3.11おおさか大集会』で感心したことが二つある。
 そのひとつは、再稼働反対!のような「NO!」の議論だけでなく、自然エネルギー・再生可能エネルギー推進の運動が草の根的に広がっていることだった。
 地域で何人かが呼びかけることから始まって、太陽光発電所、バイオ発電、地下熱・太陽熱利用の省エネ施設、小水力発電、小型風力発電などが徐々に広がっているらしい。
 豊中で太陽光発電所を実現した経験で、最初の大きな課題は「素晴らしい屋根を見つけること」だと聞いたときには、そのあまりに他愛ないテーマにのけぞったが、真にリアルな話というものは実はそういうものなのだろう。

 その2は、ドイツをはじめとするヨーロッパの脱原発の運動には30年の歴史があるという指摘だった。チェルノブイリ事故である。
 例えばポーランドでは、ソ連が発表する前に各学校で安定よう素剤を飲まされていた。
 日本のように「直ちに影響はない」などという情報統制が効かない分、ヨーロッパの広い地域で市民はチェルノブイリの被曝を実感したようだ。
 私は今頃そんなことを知って、昔はものを思わざりけりという後悔が湧いてくる。

 反対に言えば、30年という年月は、フクシマの5倍以上の風化の危機があっただろうに、地道な脱原発の主張は30年の重みで広がってヨーロッパの今日があるのだろう。
 息の長い取り組みが大切だ。負ける時は諦めたときだ。

 ドイツのシェーナウの市民所有の電力会社(EWS)は16万世帯と契約を結び、原発ゼロの電力を供給しているが、その運動の発端は、1985年のチェルノブイリ原発事故を受け「放射能の被害から子どもたちを守りたい」と願う5人の親の運動だった。
 湯川秀樹氏の「すべての真理は初めは少数派だった」の言葉を思い出す。
 安倍自公政権や維新の地方政治を見ていると展望が霞むようなときもあるが、負け惜しみでなく、未来は決して暗くないと思いながら各氏の話を聞いた。

   春の陽を窓越しに見る花粉かな

1 件のコメント:

  1.  本文で言い落しましたが、新潟県でどうして脱原発知事が誕生したかについても、そこには1969年から四半世紀に及ぶ巻原発反対闘争・その勝利の経験があったのですね。
     己の無知、不勉強を大いに反省させられました。

    返信削除