2017年1月14日土曜日

粘着する美空ひばり

   もう去年のことになるが、消極的に紅白歌合戦を見ていた。
 島津亜矢の「川の流れのように」を聞いて変な気持ちになった。
 美空ひばりが歌った歌い方に比べてなんともあっさりしている。心が響いてこない。なんだこれは?
 島津亜矢の体調が悪かったのか、選曲等を巡って不満があったのか、その種のことについて全く知識がないので何もわからないが島津亜矢の歌とは到底思えなかった。

 言い遅れたが私は歌謡曲については相当遠いところにいる。勘違いも多いだろう。というよりもほとんど知らない。だから、あまり本気で読んでもらっては困る。

 そもそも、私は美空ひばりが嫌いだった。
 あの鼻に掛けた粘っこい巻き舌は街のチンピラを思わせた。
 山口組田岡組長に愛娘の様に可愛がられているのも嫌だった。
 好きな上岡龍太郎が美空ひばりを絶賛していても不同意だった。
 こんなことは気分の問題だから、異なるお方は「トウシローがバカめ」と笑って読み飛ばしてほしい。

 「愛燦燦」や「川の流れのように」が美空ひばりの歌のまっすぐな延長線上にあったのか、それとも大きくカーブしていたのかも知らないが、私も歳をとり、なんとなくそういう歌詞が染みるようになっていた。
 ちなみに、「愛燦燦」も小椋佳本人の歌よりも美空ひばりの方が素直に入ってきた。
 そして、紅白の島津亜矢だった。

 いつから私は美空ひばりの粘着板に絡み取られたのだろう。
 初めて美空ひばりの「川の流れのように」を聞いたとき、「ああ、これが最後の持ち歌になるな」という漠とした不吉なイメージを持った。そのショッキングなイメージが心の底に沈殿してからだろうか。
 島津亜矢の「川の流れのように」を聞きながら、大晦日に私は美空ひばりがいた時代に懐かしさを覚えた。
 ただそれだけの記事である。

   想い出のメロディーの方がいいなと大晦日

2 件のコメント:

  1. 私も「愛燦々」「川の流れのように」までは大嫌いな歌手でした。晩年に広島平和音楽祭で歌った「1本の鉛筆」は何か歌わされていたようにも感じましたがこの2曲は気に入り歌っていたように思います。それと昭和20年代後半に歌った「津軽のふるさと」は、これがひばりの歌かと思えるくらい抒情的で日本の「歌曲」として北原謙二の「ふるさとのはなしをしよう」と共に優れた歌だと思います。

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  2.  なかにし礼に言わせると「美空ひばりは、ジャズ、ポップス、ラテン、民謡、日本調(演歌)と、どんな曲種であれ、誰よりもうまく歌える歌手」であった。
     そして「川の流れのように」は、昭和を代表する歌姫が、(昭和という)時代に別れを告げた記念碑として、同時にこれは彼女自身の別れの歌であり、歌謡曲の別れの歌でもあった」らしい。
     私はいつの間にかその重さを肯定して納得し、島津亜矢のそれに大きな違和感を感じてしまったのだろうか。

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