2016年10月10日月曜日

平重衡と会う

   先日、東大寺東塔院跡発掘調査現地説明会に行ってきた。

 実はこの現地は以前からよく知っていて、調査中断中はその上を歩いたり、説明会の前日も今回の発掘現場をフェンス越しに眺めていたものだったが、勉強不足の身では、ただただ「ここに70mを超える超ド級の七重の塔が建っていたのか」と感心するだけに終わっていた。

 なので、解りやすい説明があり、あるいは解らないところは自由に質問できる現地説明会は非常に値打ちがあった。

 中でも今回私が感動したのは、鎌倉期の基壇の奥から奈良期の基壇がいろいろ確認できたことだった。
 奈良時代に建立された塔といえば、治承四年(1180)に平重衡の南都焼き討ちで焼失したものだ。
 つまり、今回現れた焼土の層、あるいは素人の私でも判る明らかに焼け焦げた礎石の数々は文字どおり「平家物語の証拠」「証人」なので、その証人尋問をしている感覚を得た。

 場所柄、奈良公園の東大寺境内という環境の良さがあったので、しばし、聖武天皇の発願で建立された雄姿、重衡による焼失、ほぼ同規模(若干大きい)の再建、康安二年(1362)の雷火による焼失がスライドショーのように眼の奥に思い浮かべられた。

 なお、東塔院の院とは、塔を囲んで回廊があり東西南北に門があり、そういう建物群であることをいう(戒壇堂と戒壇院のようなもの)が、これが再建されたならば、ハルカスなんかよりも余程観光に寄与することだろう。
 だが、現地説明会の参加者の様子を俯瞰すると、私を含め、その再建のための寄付はできても完成を見ることが困難な人々が多いように見受けられた。
 現地説明会のNHKニュースを見ながら妻がそう笑った。

 ただそれもよい。CWニコル氏の「アファンの森」も彼の生存中には完成しない(森の完成には数百年が必要)が、人間はその努力の先の完成図を夢みることができる動物なのだから。
 昔日の建立に奔走した多くの僧も、完成を見ることなく他界されている。

 蛇足ながら、東塔院があるのだから当然に西塔院もある(あった)。
 この西塔院の基壇跡はほゞ毎週通院している福祉療育病院の真正面にある。
 春には絶好の蕨畑になり妻が蕨採りに精を出している。生蕨は有毒なので鹿が食べない。
 ことほど左様に、奈良には古代や中世が目の前にごろごろしている。
 大仏さんと阿修羅像を見て「もうわかった」などと言わず、日本人観光客!来てくださいよ。

 説明会現地には大銀杏(いちょう)があり、終始臭い臭いが漂っていた。
 臭いが楽しい秋の半日だった。  

 東大寺東塔院跡発掘現場にて
     天平の銀杏(ぎんなん)臭し塔の址   

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