2016年8月26日金曜日

君が代について

   オリンピックの感想に続いて「君が代」についての私見を書いてみたい。
 「君が代」の歌について、戦前は「君」とは天皇のことであるとされてきた。これは100%まぎれもない事実である。
 なので、新しい憲法下でそういう歌を踏襲するのは適当でないとの主張は至極妥当なことである。(先日の象徴天皇のお言葉を思い起こすだけでも理解できる)

 ただ、政府見解などは別にして、純粋に偏見なく学問的に検討すればどうだろうか。
 その一番の基となるのが古今集の「我が君は千代に八千代に・・・」だろうが、だとすれば、その古今の「君」は「あなた」であることは明らかだ。
 「我が君は・・」が「君が代は・・」に変形した鎌倉時代の和漢朗詠集の伝本(それ以前の和漢朗詠集は「我が君は」のまま)も、「君が齢」であり「あなた」であることを疑う必要はない。
 このため、この歌詞は後で述べる隆達節をはじめとする流行り歌・祝い唄としてその後も折々に一部変形したりしながら採用され歌われてきたと思われる。

 なお、中近世には、天皇の御代、将軍の治世の意味で「君が代」と歌われた和歌が皆無ではないが、圧倒的には「君が代は」と歌われた和歌は前者の「君が齢」として歌われてきている。

 さて、今日に繋がる「君が代」について、世間の通説では薩摩の大山巌が薩摩琵琶歌「蓬莱山」の中から採ったと言われているが、彼自身は「平素愛誦する君が代の歌を提出した」と言っているだけである(大山の副官林田芳太郎覚書)。
 「薩摩琵琶歌からだと思う」と言ったのは後の文部官僚和田信二郎で、「君が代と萬歳」に書かれているがあくまでも和田や大山周辺の想像の意見である。
 しかも、蓬莱山の歌詞を見ると、その中の一部に「君が代は・・」と出てくるが、「・・苔のむすまで命ながらへ・・」と続くので、和歌として独立していないから、この通説の信ぴょう性はないとは言わないが結構低いレベルと思われる。

 それにしても、戦前の国定の見解は「蓬莱山」から採ったというもので、「天皇の御代」であったことは間違いない。
 それを学校教育で徹底したことも間違いない。
 という事実を重視すれば、議論の余地はないかもしれない。・・・しかし、

   一呼吸おいて検討を進めれば、「蓬莱山説」よりも、今の「君が代」の歌詞にドンピシャなのは小唄等の基となった隆達節である。
 江戸初期に堺の僧高三隆達(たかさぶりゅうたつ)が始めた「隆達節」のいわばイの一番の歌詞がこれで、なのでその「君」が「あなた」であることは議論の余地がない。

 なお幕末頃には隆達節がリバイバルで流行ったと言われている。
 だから最も蓋然性の高い推測をすれば、大山たち薩摩の兵隊が江戸~薩摩の旅の要所要所の遊里で習い覚え歌っていた流行り歌(隆達節~小唄)こそが「君が代」の母であろう。

 もう少し想像の翼を拡げれば、当時の薩摩の海外(琉球)貿易の拠点は堺であって、その頃の堺は薩摩と非常に密接な地であった。
 隆達節の故郷堺の遊里で、薩摩武士がこの「君が代」に親しんでいなかったと想像することの方が難しい。

 別の角度から考えると、「蓬莱山説」だとしても、その中の古歌としての「君が代」は古今集~和漢朗詠集~隆達節等の種々の流行り歌の引用であるから、この古歌の「君」は何かと考えると、「あなた」だと言って大きな誤りはないのではないか。

 以上の諸事実を押さえると、非学問的な戦前の誤った解釈(「君」とは「天皇」)を「誤りである」と国民的規模で正しく理解するとすれば、この歌詞はそんなに悪い歌詞ではない。と、私は思うのだが・・・
 恋歌として流行った側面もあるが、基本は「あなたの長寿を願う」祝い唄だと思うのだ。
 ただし、戦前の歴史の垢が付きすぎていると思うか、古臭いと思うか、「遊里の恋歌の側面が強い」と思うか、旋律が嫌だと思うかという好みの問題はある。
 さらに、それを歌うことを強制し、罰するなどというのは三流の独裁国家のすることだし、してはならないと考える。

 また、現に教員等が「歌え」との強制に異議申し立てをしただけで各種処分がなされている等々の現状からみてそんな簡単に「偏見のない検討」などできないという意見も解らないわけではないが、権力者の非科学的非学術的見解に機械的に反発して検討を停止してはならないような気がしている。
 思いきってこんなことを書いてみたのも、日頃頭の中に「メッセージの伝え方」という問題意識があったからで、民主的な人々がもっと自由闊達に議論する必要があると考えて、小さい石ころを投げてみた次第である。

2 件のコメント:

  1.  私はスポーツ観戦が異常に好きです。地球の裏側のリオオリンピックも十分堪能しました。ほとんどの日本人が金メダルを取るシーンはライブで見ました。体操の内村選手が個人総合の鉄棒で金メダルを決めた時や、男子400メートルリレー決勝でケンブリッジ飛鳥がウサインボルトに次いで2位になるときのシーンは手がち切れるぐらいテレビの前で拍手をしました。嫁さんが血管切れるからやめて!!と言うほど興奮して見ました。君が代も長谷やんの節なら軍国主義的な匂いもないしロマンもありより美しく聞こえます。天皇もこの解釈がいいと喜ぶに違いありません。
     今年の夏は孫のサッカースクールでてんやわんやしました。高知にサッカーサービスなるスペインのバルセロナから有名なコーチがやってくるので、我が家から送り迎えしてほしいと長男から依頼があり、断ることも出来ず3日間ではありましたが、朝から晩まで付き合いました。大阪方面からもたくさんの参加者がありました。ここでは応援の声を上げたいところでしたが、若いお父さんお母さんの中で、恥ずかしいのでお爺ちゃんは、じっと我慢して黙って応援していました。スペインの有名なコーチの指導といえども参加料の高額さにはびっくりしました。

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  2.  バラやん、いつも楽しいコメントをありがとうございます。
     ただ「君が代」は、こう書いてはみたものの、非常に複雑な問題を抱えていますから、バラやんなりにじっくり検討してみてください。
     今後ともコメントしてくださいね。

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