2016年5月31日火曜日

アベノショック

   フランスの高級紙ル・モンドは『安倍晋三の無根拠なお騒がせ発言がG7を仰天させた』という見出しの記事を書いた。
 それは、首相が、5月23日の閣僚会議では「経済は全体としては緩やかに回復している」という月例経済報告(この評価は別においておいて)を了解した3日後に、出所不明の・・、政府の公式見解=月例報告とは正反対の「リーマンショック級の事態が起きている」という怪文書をサミットで配り、そう発言したことを指している。

 文書は外務省が作り、内閣府も財務省も「外務省に聞いてくれ」と不愉快な顔でいうばかりらしい。
 結局、メルケル首相やキャメロン首相は「世界経済は安定成長への兆しをみせている」とバッサリで、シンゾウは、世界中から、国内の選挙戦術のためにサミットを利用した『恥知らず』と公認された。

 実際、G7の中でGDPがマイナスは日本だけで、リーマンショックではなくアベノミクスショックであることは明らか。
 そんな大嘘をついて消費税増税を延期して選挙を有利に運ぼうというのだから「自公も反省しているのか」などと騙されてはならない。
 反対に、「再延期が是か非か」という子供だましの宣伝で解散、同時選挙もあるかもしれない。

 それにしてもマスコミというやつは、自分たちが大いに提灯持ちをしてきたこともあり、アベノミクスが大誤りだったとはこの期に及んでも歯切れが悪く・・・、
 それどころか、「再延期をしたら社会保障はどうなる」と頓珍漢な解説を繰り返している。
 3月26日のブログの記事に掲載した表を再掲載するが、消費税と社会保障は実質において関係がない。
 消費税導入後も社会保障は削りに削られ、大企業の減税、米軍の思いやり予算、そして軍事費増額に廻っている。
 税金は庶民に酷な消費税ではなく応能負担原則によるべきだ。
 タックスヘイブンで実質的な脱税を図った法人・個人に普通に課税すれば社会保障はまかなえる。
 同時選挙であっても受けて立つ気概が国民に求められている。
 自公政治に熱いお灸をすえるときだ。

2016年5月30日月曜日

朝日俳壇・歌壇 ひとり言

 自分は全く詠むことができないが読むのは楽しい。
 5月30日の朝日俳壇・歌壇を読んで楽しかったものを拾ってみた。
 
   ■ 毒草の食べられさうな若葉かな (米子市)中村 襄介
 たしかに、セリに似たもの、ヨモギに似たもの、これぞ山菜!といった顔をしたものがあるので「知ったかぶり」は禁物。

 ■ 虎杖(いたどり)を食べるこの地に永住す (三重県大台町)瀬川 令子
 5月2日の記事の『虎杖をいただいた方』は三重県出身でした。

 ■ 山裾の構造線は西に伸び伊方を抱きて阿蘇熊本 (松山市)宇和上 正
 伊方も川内も構造線の上。情報は完全にアンダーコントロール。

 ■ そんな歌詠めばたちまち官憲にしょっぴかれると言ひし亡き母 (鴻巣市)佐藤 竹次
 サミットの過剰警備によく似た時代を感じるのは心配し過ぎだろうか。

 ■ 国めでる記事読みながら息苦し七十二位のわたくしの国 (磐田市)伊藤 正則
 全く同感。敗走を転戦と言い換えたように、アベノショックをリーマンショックと言う首相あり。

 ■ 竈(かまど)無く煤無く子無くが中止の弁人麿(ひとまろ)神社のススツケ祭り (大和郡山市)四方 護
 これには笑った。そうだろう。煤は工夫をすればどうにかなる。一番深刻なのは参加する子が無くなったことではないか。
 

2016年5月29日日曜日

楽しい邪馬台国論争

 
   酒席のお気楽な話である。
 大阪という土地柄もあり、結構古墳巡りを趣味にしている方が多い。
 なので私が「先日は橿原市の円形周溝墓の現地説明会に行ってきた」と話すと「それでそれで」となった。
 で話が進み、私が「従来近畿にはないと言われていた円形周溝墓が見つかったことで、邪馬台国九州説がトーンダウンするだろう」と述べたところ、
 「邪馬台国畿内説は好きでない」という方がおられた。
 理由は、「邪馬台国畿内説はどうも天皇家の歴史を飾ろうとしているようで・・」ということだった。

 そこで私が、「日露戦争後の明治に邪馬台国論争(九州説)を打ち出した東京帝国大学白鳥庫吉の真意はその反対だったと言われている」「支那(魏)の皇帝に服従した卑弥呼が天皇家の祖先であってはならない」「故にそれは九州の一豪族であった」というイデオロギーだったと意見を述べて話題は盛り上がった。

 そう、そもそも邪馬台国論争というのは古代史ではなく近代史なのである。
 奈良女子大 小路田奏直教授の著書から引用すれば・・・、
 『列島社会には、中国文明の圧倒的な影響を受ける前に、その影響を全く受けない時間が長く存在した。その中で、その後どんなに中国文明の影響を受けても、そのぐらいでは消滅させられない固有文化が形成された。それをいうためには、邪馬台国が九州にあり、三世紀の段階では九州までしか中国文明が及んでいなかったというのが必要だったのである。そして、日露戦争後の日本にとって、日本文化の固有性、非中国性を語ることは、極めて重要な課題になっていた。日露戦争に勝ち、ようやく「脱亜入欧」を完成させた日本にとって、アジアの一員であることは、もはや自らのアイデンティティーを語ることにはならなくなっていたからであった』と。

 ・・・今年の正月には各地の神社で憲法改正を求める署名が行われていた。
 つい最近は、G7サミットの出迎え行事が伊勢神宮で行われた。
 それもこれも、前述の近代史(皇国史観)の残滓であろう。
 それ以前の、古代史から近世史までをいうなら、陰謀、殺人、レイプ、不倫のオンパレードであるが、それを現代の基準で顔をそむければ歴史学は成り立たない。
 そして、現代に蠢く悪しき近代史は正面から議論して批判しなければならないと思う。
 子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)し。
 その場合、歴史の知識をまったく無視をしたのでは説得力が薄弱になる。

 例えば、G7に関わって、日本会議の人々が古代史の伊勢神宮をもって日本精神という気であれば、「太一」印をはじめとして、少なくない伊勢神宮の教義や祭祀の基底に中国の道教の影響が色濃くある(福永光司・千田稔・高橋徹著「日本の道教遺跡」)事実を指摘して、その日本精神なる説の誤りを糺しておきたいが如何。

2016年5月28日土曜日

けけらけけらと蛙が歌う

   私の感覚では、品種のせいか山背地方の田植えの時期は昔に比べて随分遅くなったように思う。
 昔は兼業農家はGWあたりにしていなかっただろうか。
 で現在はというと、つい最近に田圃に水が入って田植えが始まったところだ。

 それは、夜にベランダで洗濯物を干していたら蛙の合唱が聞こえてくるのでよくわかる。

 さて、山蛙けけらけけらと夜が移る 亜浪 という句を見つけたというか、今年もようやくモリアオガエルを一匹だけ見つけた。

 いるはずなんだがな~と数十分間も目で探した結果ようやく見つけた一匹だった。
 実際にモリアオガエルを自然の中で見つけるのはほんとうに難しいのだ。

 外国人が何組も来たので手招きをしてグリーンのフロッグを見ろと教えてあげた。

 マウンテンからやって来てツリーの上にエッグを生んでベビーになって落ちて泳いでフロッグになってマウンテンに帰るとジェスチャーで説明した。

  すると、これはグエグエグエと鳴くのかと聞くからキェキェキェだと説明した。

 そして何回も、モリアオガエル、オタマジャクシ、モリアオガエル、オタマジャクシと教えたら、アリガトと喜んで帰ってくれた。

 ちょっとは珍しい貴重な光景なんだと感じてくれただろうか。
 帰国してから、手招きまでして蛙を見せてくれた変な日本人に出逢ったと記憶に残ってくれればいいのだが。

2016年5月27日金曜日

請われれば一差し舞え

卯の花
   この記事、書評ではなく「書評の感想」というレベルだから全く恥ずかしいが・・・、
 退職者会の会報に読書家の友人が書籍や映画の評論をシリーズで書いてくれている。
 ある号のそれは、鷲田清一著『しんがりの思想』であった。
 そしてその感想を過日のパーティーの席上で私が語らせてもらった。

 重ねていうが、『しんがりの思想』の感想ではなく、友人の書いた書評の感想である。
 友人がピックアップした部分から想像すると、鷲田清一氏は、地域社会の空洞化を克服する上で、空疎なリーダーシップ論やリーダー待望のおまかせ主義ではなく、登山の最後尾で気遣い目配りができる「しんがり」の心得(を持った人)が必要だと説いている。(らしい)
 そして「しんがり」の心構えとして、「請われれば一差し舞える人物になれ」の言葉で締めくくっていると、友人の書評もその言葉で締めくくっている。
 ・・・・という内容のスピーチをした上で、私は一差し舞うことはできないがと言って、準備してきた替え歌の合唱を始めさせてもらった。

 私のお粗末は脇に置いて、私のスピーチを若い人たちがどのように感じてもらえただろうか。
 広い世間ではSEALDsなどの新しい息吹が報じられているが、残念ながらこのパーティーではOBたちを驚かせるような創意工夫が若い人たちから提起されなかった。
 結果ではなく、そういう気概が伝わってこなかった。
 OB以上に経験主義的に運営されていたように思う。
 30年ほど前の集いとあまり変わっていない。否、後退している。
 厳しい感想かも知れないが、そういうふうに学んでもらえなかったOBに大きな弱点があったと反省しつつ・・・・。
 
 近頃は労働組合に魅力を感じない若い人々も増えていないか。
 教育の問題、マスコミの問題もあるにはあるだろうが、自分たちに全く問題はないのだろうか。
 この集まりだって、若い人もOBも含めて「今日は請われれば一差し舞ってやろう」と思って来てもらいたいものだが、そんなことを言うと「お説教したがりの老人」と嫌われるだけだろう。
 率先垂範、不言実行、ハイ!

2016年5月26日木曜日

蟷螂の斧

   このブログの読者である友人のひげ親父さんはカマキリが苦手なので今日の記事(写真)は一瞬ためらったが、私としてはあまりに可愛いのでアップすることを許してもらおう。

 カマキリは不完全変態といわれている。
 卵から孵ったときから一人前の容貌をしていて、何回か脱皮を繰り返すだけである。

 写真の若虫(じゃくちゅう、わかむし)は8ミリ~9ミリだから文句なく可愛い。
 それでも私が撮影のために物差しを近づけるとファイティングポーズをとる。

 蟷螂の斧という言葉がある。
 自分の力量(非力)をわきまえもせず強敵に立ち向かうはかない抵抗を軽蔑して言う。
 だがしかしである。
 共産党副委員長市田忠義さんのフェースブックで感銘を受けたことがある。
 氏はこのように綴っておられた。

 政策や理念がどれだけ正しくても、また、どれだけ力一杯頑張っても、情勢や政党状況によっては、その頑張りが得票や議席に結びつかないことはよくあることだ。
 私が書記局長の任にあった13年の間に、勝利の記者会見をした国政選挙は、2013年の参議院選挙、ただ一回だけである。
 二大政党づくりという最強の共産党封じ込めシフトのもとで、頑張っても頑張ってもなかなか議席増に結びつかなかった。
 それでも全国の党員と支持者の皆さんには、それこそ歯をくいしばって「真理は必ず実る」「道理ある主張は、時間がかかってもやがて多くの人々に理解してもうことができる」と必死に頑張っていただいた。
 (中略) 歴史は決して無駄には進んでいない。
 雨の日も風の日も、じりじりと太陽の照りつける暑い日も、手のかじかむような寒い日も、みんなで撒いた一枚のビラ、そして署名、ポスター、電話、ハンドマイク宣伝、一人スタンディング、「集い」、集会、デモ…等々。
 「果たしてこれが役立つんだろうか」と懐疑的になったときもあったに違いない。
 でもそれは決して無駄ではなかった。 (後略)
 ・・・・として5党合意後の野党の共闘を語り、「いまは、頑張ったら、それが遠くない時期に実る可能性が満ち満ちている状況のもとで活動している。幸せだ。恵まれている」と・・・。

 私は氏があげられているような数々の努力とは程遠く、かつて労働運動の末席で民主主義を願う運動に少しだけ関与していただけである。
 それでも、提起されている精神はじ~んと胸に落ちる。
 人生のあらゆる場面で通用する教訓だと思う。
 だから、蟷螂の斧でもいいではないか。
 勝手に情勢を読んでタオルを投げ入れることはない。
 そうだ! 若虫がんばれ!

2016年5月25日水曜日

まだ続けるか不倫報道

 朝ドラの森田屋周辺の男どもは昭和11年(1936)、「帝都不祥事件で不景気になり弁当が売れない」とぼやきながら阿部定事件を語っていた。
 深川の人々は「某不祥事件」(二二六事件)をどの程度知っていたのだろうかと興味が湧いた。
 (書店で立ち読みをすると、その日、大橋鎭子は歯磨粉のことで戸山ヶ原の陸軍第一病院に行き、出てきたところで反乱軍と対面しているが、そんな話は朝ドラにはなかった)
 
   さて、「15年戦争と新聞メディア」前坂俊之(静岡県立大学国際関係学部教授)という論文から当時の状況を拾うと・・・、
 事件は雪の26日未明に発生。
 号外は配達済みだったが、内務省警保局は午前8時過ぎに記事掲載の一切禁止を通告。
 憲兵隊本部も各社幹部を出頭させ、「当局公表以外は絶対に掲載を禁止する。多少でも侵すものは厳罰を以て報いる」と警告。
 東京朝日は夕刊を休刊。
 夕刊で唯一概要を報じた東京夕刊新報は午後4時ごろ発売禁止となりスタンドから押収。
 時事は夕刊トップで「株式取引所の立会休止」を報じて重大事件を暗示。これがやっと。
 27日未明、戒厳令が布かれた。
 こうして、五一五事件では未だ一部新聞が軍部批判やテロ非難を行っていたが、新聞界の言論の自由は、ここで完全にトドメを刺された。(以上、論文から抜粋)

 という新聞界は、一方でその年5月に発生した阿部定事件をどう扱ったかというのを半藤一利氏の本から拾うと、
 社会面トップ五段抜きで「尾久紅燈街に怪奇殺人/旧主人の惨死体に/血字を切刻んで/美人女中姿消す/待合に流連(いつづけ)の果て」が第1回。
 「いづこに彷徨(さまよ)ふ?/妖婦”血文字の定”/情報刻々到り検察陣緊張/紅鐙街の猟奇殺人/巧に捜査網を潜る」が翌日の朝日の四段抜き。

 さらに各社は表現に悩み、朝日は「下腹部を斬りとって・・」(下腹部という表現はこれ以前にはなかった)、毎日は急所と「局部」の間をとって「局所」にした。
 おまけに、それを包んでいたのがハトロン紙だったというので、今度はハトロン紙というのが有名になった。
 さらに、「胸に一物 手に荷物」という言葉が流行ったと・・・・。(以上、著書から抜粋)
 街中は阿部定事件で沸いていた(丸谷才一)ようだ。

 で、昨今のテレビや週刊誌の状況である。
 阿部定の話題に興じているうちに戦時体制がどんどん進行していったように、不倫だ!お泊りだ!という話題に終始している裏で、再び進行している「戦前」がスルーされている。
 直接的圧力のなかった番組スタッフも自粛というか敬遠して安易に流れていることは明らか。
 テレビの状況を見ながら「嫌~な気分」を感じないとしたら、洗脳はほぼ完成している。
 それが「歴史に学ぶ」ということだと考える。

2016年5月24日火曜日

桑の実

   桑の実を食べたる舌を見せにけり 綾部仁喜。
 桑の実の熟した色をドドメ色というが、ネガティブな印象が先行しているので使いづらい。
 しかし冷静に話をすすめれば、ドドメ色に熟した桑の実はそのまま生食して美味しい。

 以前に書いたが私は堺市の都心部で育ったから大人になるまで桑の実を知らなかった。
 桑の実どころか桑そのものを知らなかったから群馬県に行ったときその地の人々に「無花果畑が多いのですね」と列車から見た感想を述べて顰蹙を買った。

 その後群馬県出身の上司にまみえたが、酒席で「天皇陛下は田植え、皇后陛下は養蚕をするのだ」との自慢話をよく聞いた。
 その地では養蚕に非常に大きな誇りがあったのだ。
 それもそのはず、桑は紀元前から山海経や詩経にも登場する神木らしい。
 〽赤とんぼ ぐらいしか知らなかった自分が恥ずかしい。

 少し違う話だが、地図記号の中に、一般的な畑以外に桑畑と茶畑だけが別の地図記号を持っているのも近代史の反映だ。
 これは明治の富国強兵政策の屋台骨を担っていたから。
 ドドメ色の実を口に放り込みながら、そんないろんなことが頭をよぎった。

2016年5月23日月曜日

どうしようもない男のツイート

 橋下徹氏のツイッターを読むと、こうあった。

沖縄米軍軍属の殺人事件。やはりというか、朝日・毎日新聞をはじめとする自称人権派が米軍基地の存在を問題視している。ちょっと待て。日本人の殺人事件の比率と比較をしたのか。外国人だけと殊更批判するのであれば、自称人権派がいつも叫ぶ移民差別の流れになるぞ。問題は米軍の教育方法だ。
2016521 21:01

外国人が犯罪を犯したらその外国人を排斥する。これこそ移民排斥のロジックと同じ。朝日・毎日、その一派は移民や難民に優しいきれいごとを言って、米軍軍属など外国人が犯罪を犯せば外国人は日本から出て行け!とのロジック。きれい事ばかり言う人権派の典型例。
2016521 21:03

最近において、米兵や米軍軍属の凶悪犯の比率は、日本人の比率と大差はない。問題は米軍が米兵や軍属にどのような教育をしているかだ。これが大問題。僕が突っ込んで質問したら、ビーチバレーやバーベキューでストレス発散をしています、だって。だから僕はふざけんな!!と怒ったんだ。
2016521 21:05

米兵等の猛者に対して、バーベキューやビーチバレーでストレス発散などできるのか。建前ばかりの綺麗ごと。そこで風俗の活用でも検討したらどうだ、と言ってやった。まあこれは言い過ぎたとして発言撤回したけど、やっぱり撤回しない方がよかったかも。きれいごとばかり言わず本気で解決策を考えろ!
2016521 21:09

 最後のツイートで言及している撤回した発言とは、2013年5月、大阪市長であり日本維新の会共同代表だった時の発言で、このとき、橋下氏は・・・、 
 「合法的に性的なエネルギーを解消できる場所が日本にはある」
 「風俗業を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをコントロールできない」と普天間基地の司令官に提案したもので、米軍側から猛反発を受けて、この「米軍に沖縄の性風俗を利用せよ」という提案は一応謝罪の上で撤回した。
 今回のツイッターは、先の撤回が不本意なもので、本心は、米軍属の殺人事件に関して、米軍兵を性風俗で遊ばせることが解決策だと本気で言っている。

 私はかれこそ「ゲスの極み」だと思う。

2016年5月22日日曜日

エイの煮凝り

   海釣りが趣味の友人に言わせるとエイは外道(げどう)の代表でみんな道端に捨てているという。
 その説を裏付けているかのように、少し離れたスーパーでエイが大きな一盛り二百数十円で出ていた。
 ということで、「久しぶりに煮凝りを作ろうか」と言って購入した。
 写真は少し小奇麗に写っているが、実際はこの何倍もある。
 家に来ていた娘も美味しいと言って箸を伸ばした。
 
 「こんな美味しい料理がなぜ認知されていないのやろう」「広まったらエイの値段が上がるからそっと我が家だけで食べるだけにしとこ」などと言いながら突きあった。
 身も美味しい、軟骨も美味しい、そして煮凝りが絶品だ。

 ネットを検索するとエイの煮凝りは「北海道の郷土料理」と出てきたが、昔から大阪ではみんな楽しんでいる。(筈だと思う)
 それとも絶滅危惧料理??
 テレビのグルメ番組が旺盛であることに反比例して、昔からの伝統料理が忘れられているのだろうか。
 
 以前に書いたことがあるが、鶴橋卸売市場で「エイの肝ありますか?」と尋ねたら、「何するのん」と聞かれて「卯の花に入れます」と答えたらタダでくれたことがある。
 もちろん喜んだが、よく考えると喜んでいいのか悲しんでいいのか・・・。
 近頃急速に世間一般がテレビに飼いならされていっているように思う。
 何でもかんでも「甘~~い!」と叫ぶレポーターに、テレビのこっちから「あほか!」と突っ込んでいる。

 煮凝や不惑の妻の盗み酒 節子 ・・という文章(句)を平野雅章氏の本に見つけた。
 家で煮付けたカレイ、サメの煮凝りを紹介し、鯉の煮凝りは江戸時代の「茶湯献立指南」にあるという。
 そして、「もっとも高級なものはスッポンで、通人の喜ぶのはフグ、いささか下手趣味ですが、こってりした味を喜ぶ人にはアカエイのニコゴリがいい」と・・・・・。
 えっ! エイはゲテモノですか? 

2016年5月21日土曜日

季節の話題

    先日ホトトギスを聞いたと書いたが、その後聞いていない。
 ウグイスの聞き間違いでは決してないから、南の国から渡ってきて信州あたりにでも北上する途中でちょっと休憩して歌ってくれたのだろう。
 で、ホトトギスといえば・・・、
  〽夏は来ぬ の歌詞にあるような「卯の花の匂う垣根」はあまり見かけないものだが、奈良公園周辺で見事な垣根があったので撮影したのが二番目の写真。
 ただ、垣根というよりも群生のようにも見えたが確かに垣根は垣根だった。

   三枚目の写真はモリアオガエルの卵。
 オタマジャクシは未だ孵っていない。
 目を凝らして親を探したが見つからなかった。
 一瞬モリアオガエルの声を聞いたのだが人が来たのですぐに鳴き止んだ。

 青蛙おのれもペンキぬりたてか ・・は芥川龍之介の句。
 曇天のもりあをがへる泡育つ ・・神蔵 器というのもあった。
 
 私の娘はどういう訳か蛙が好きで、その家には蛙デザインの小物がいっぱいある。
 そして、昔の小物などが我が家にも残っている。
 一番上の写真は我が家の蚊遣り。

 昆虫博士の奥本大三郎氏は蛙が大嫌いで蛙恐怖症だと本の中で語っている。
 昆虫仲間の池田清彦氏はザリガニが駄目で、養老孟司氏は蜘蛛らしい。
 こういう好き嫌いはほとんど理屈の外のことのようだ。

 なので、蛙嫌いの方にはごめんなさい。

2016年5月20日金曜日

名前は知らない

   NHKの『ぐるかん』(ぐるっと 関西 おひるまえ)の『ひと坪ガーデン&田んぼ』の はた あきひろ 先生が駅の近くにお住まいだ。
 『ひと坪ガーデン&田んぼ』の現地でもあるから、散歩がてらに見学している。
 先生のガーデニング講座も2回受けたことがあり、ガーデニングのテクニックよりも、植物や自然を愛する姿勢に感銘を受けた。

 先日妻が帰ってきて開口一番「はた先生が近くの研究所の外構リニューアル工事をされているから見ておいで」と私に告げた。
 妻は見かけただけでなく話してきたらしい。
 なので私があいさつしたときに、「歩道橋を越えた直ぐのお宅ですね。花と野菜の庭でいつも見ています」と言っていただいた。
 「シワシワのレタスは虫に強い」というように「はた先生」の助言を受講後すぐにとり入れたり、連作障害については無視をして失敗したりしているのが丸判りで恥ずかしいがしょうがない。

 今春は畑をほんの少し拡大し、夏野菜の種まきや苗の植栽も終了した。
 花の方は今春の追加はほとんどなく、元々の宿根の草木が次々に主役交代しながら庭を飾ってくれている。

 で、写真の花だが、まず名前を忘れた。
 いつどのように手に入れたのかも思い出せない。
 花が咲くまではどんな花だったのかも想像できなかった。
 しかし、そういえば何年も前から庭の片隅にあった。
 花が咲いていない間も銀色の葉が美しいのに、なぜか我が家では影の薄い可哀相な花だった。
 念のため、「アザミに似た花」で検索をすすめたら、「セントレーア・ギムノカルパ」と出てきた。
 そんな大層な名前だったかな?と思うがそうらしい。
 少し人工的な匂いがするほどに美しすぎるから、なんとなく私が異端児扱いしてきたのだろう。
 
 マイガーデンのコンセプトは通行しながらみなさんに楽しんでもらえるオープンガーデンである。
 だから、この花をもっと一等地に引っ越しさせてやっても良いが、得てしてそんな時に限って草木を弱らせてしまうものだ。…悩んでいる。

 タイトルの「名前は知らない」は、様ざまな記憶に自信が持てなくなった自分自身へのツッコミだが、寺山修司作詞『戦争は知らない』ザ・フォーク・クレセダーズ(〽野に咲く花の 名前は知らない)にも掛けてみた。
 今、あの反戦歌の時代よりもその歌詞に現実味が感じられるのはどうしてだろう。

   追記する。You Tube でカルメン マキのライブを見つけた。


2016年5月18日水曜日

語るに落ちる

   先週大阪に出かけたら、近鉄上本町駅改札横に大きな台が置かれてその上に警官が立っていた。
 爆弾テロの予告でもあったかのような雰囲気だった。
 雰囲気だけでモノを申すのは控えたいが、住民の安全を守っているというよりも、ちょっとでも怪しい奴はとっ捕まえるぞ!という”ウタガイビーム光線”がテカテカしていた。
 丁度その前に理髪店があって、そこの従業員は「終始覗かれている、睨みつけられているようで嫌だ」と言っていた。
 伊勢志摩サミットの1週間以上前である。
 新聞によると、近鉄はサミット前からなんと鵜方~賢島間を運休させると出ていた。そこまでやるんだ!
 住民そっちのけだと思うが世界中の動きを見ればこれが現実なのだろう。
 ただし、以上の事柄は日常会話の域である。

 問題は、「アンダーコントロールだ」と首相が大見得を切ったフクシマ事故だ。
 東京電力はサミットの期間中だけ廃炉作業を中止するそうだ。
 5月12日の東京電力の記者会見によると、「たくさんの方が(日本に?)一番来られる時ですから、その時に何か異常が発生した場合、早期に検知するために、定例的な作業を除いて休止する」らしい。

 この伝だと福島県民も日本国民も「たくさんの」ではなさそうだ。
 日本経済を牽引?してきた爆買いの観光客もそうではない。
 ただし、これは嫌味のひとつである。

 それよりも、これは、フクシマの現状は想定外の要素たっぷりの危険なものだということを、はしなくも当事者が語ったものだろう。
 ほんとうにフクシマは危険なのだ。アンダーコントロールなら休止する必要はない。
 報道の自由度72位の国である。
 この問題、東京新聞以外はあまり報道していない。
 何度も言うが、報道の劣化はフクシマ以上に危険である。

 ついでに言えば、東京オリンピック招致に裏金賄賂(買収資金)2億円を斡旋した電通はパナマ文書でも疑惑が取りざたされているが、マスコミ界の裏面の帝王・電通のことは大手新聞社もタブーになっているようで沈黙している。
 この国は今、土台が腐りつつないか。

2016年5月16日月曜日

大型の円形周溝墓をみる

写真の後方(西側)は畝傍山
   先日来から体調を崩しているが、これだけは見ておきたいと思ったので、藤原京右京九条二・三坊、瀬田遺跡現地説明会に行ってきた。
 場所は藤原京・本薬師寺跡の少し南。

 遺跡は、上から順に、藤原京の塀、側溝、建物。
 藤原京以前の建物。
 さらにそれ以前の建物。
 そして、弥生時代終末期の周溝墓が検出されていた。

 その周溝墓だが、方形周溝墓が二つ、円形周溝墓が一つで、円形周溝墓がまるでこのための発掘であったかのように、たまたま発掘対象であった今回の職業訓練校建設現場の真ん中に座っていた。

   墓本体のマウンドは藤原京造営時あるいはそれ以前に削られていたが、直径18~19mの円墳のようなマウンドが幅6mぐらいの溝で隔され、墓への出入りあるいは行事のための陸橋が造られていた。
 この陸橋が後の前方後円墳の「前方」と考えられるという説は肯ける。

 出土した土器は庄内式(2世紀後半~3世紀中葉まで)で、弥生の最後、古墳時代の直前だから、この陸橋付きの円形周溝墓(写真右上)が大きくなって纏向型大型墳丘墓(写真の下)となり、さらに直後には箸墓古墳等の隔絶した巨大前方後円墳に発展したことは私には容易に想像がつく。

 環濠集落に代表されるような弥生の群雄割拠の時代が終わり、大王の時代の足音が聞こえてきた時代。
 因みに卑弥呼の最初の魏への遣使は239年だから、先立つことおよそ数十年と言ったところだろうか。
 ここは畿内、北東には纏向、南東には飛鳥という地だ。
 私には陸橋から墳墓を見たときの背景に耳成山が想像できた(今は建物で遮られているが)。
 
 これまで「前方後円墳は近畿で誕生したが、前方後円墳を構成する要素は近畿の弥生墓制を基にした発展形ではなかった。・・・墳丘の可視的部分でいえば、ほとんど近畿以外の外部的要素から造られていた」(吉村武彦著「ヤマト王権」に引用されている北條芳隆著「前方後円墳と倭王権」)とされていた「定説」は大きく再検討されなければならなくはないか。
 まだまだ材料が少ないので何とも言えないが、ここで見たこの景色だけは覚えておこうとワクワクしながら思った。

2016年5月15日日曜日

続 六道の辻

   4月22日に「六道の辻」という記事を書いた。
 写真の興福寺の五重塔の下に写っている階段が極楽への道か? 写真を撮っている手前側が極楽への道か? ははははは。
 

2016年5月14日土曜日

忍音もらす時鳥

   郭公(ほととぎす)一声夏をさだめけり 蓼太 ・・・とは見事である。
 ほんとうに季節がガクンと45度ほど廻った気がした5月13日、我が家でホトトギスの忍音(しのびね)を聞いた。

 写真のキビタキ(黄鶲)のように声の綺麗な鳥はいっぱいいるが、ホトトギスほど心地よいのか心地悪いのか微妙な声の鳥はいない。
 それだけに古来から、その種の微妙で暗い民話やそれに掛けた歌も多い。

 そして、尻馬に乗る気はないが、私もホトトギスの忍音は、ウグイスなどの初音とは少し違った感慨を受ける。
 その声を、どうすれば「死出の田長(たおさ)」と聞くのかは解らないが、冥土からやってきて「そろそろ田植えをしろよ」と必死になって我々を督励していると感じた古人の気持ちが解るような気がする。
 
 13日も、孫の診療時間の約1時間奈良公園を散歩した。
 写真は東大寺の大鐘楼のすぐ北で出会ったキビタキ。
 こちらは何の翳りもなく初夏を謳歌していた。

2016年5月13日金曜日

続 よく解らない植物のこと 

    カナダの国旗はメープルの葉っぱである。
 カナダ楓(ふう)という。
 ほとんど同じものにアメリカ楓(ふう)もある。
 その差異を私は知らない。

 そもそも、一般に、楓(かえで)と紅葉(もみじ)の違いがよく解らない。というか、いろんな本やネット上の解説がよく解らない。
 みんなカエデ科だと書いてあるのもあるし、ムクロジ科、マンサク科、フウ科と書いてあるものもある。
 私の感覚でいえば、葉の形や紅葉(こうよう)するところはほとんど同じだが、実の形が大きく異なる。こんなものが一緒である筈がない。・・・と感じている。

 その実だが、お寺の庭を飾るモミジは竹トンボなのに、楓(ふう)のそれはイガイガの豆電球(クリスマスツリー)だ。これが同じ種類だろうかと首をかしげている。
   私は自分で「竹トンボがモミジ、豆電球がカエデ」と思っているが、〇〇モミジ、〇〇カエデという中にはそのカテゴリーに合わない物も多いので他人に向かってはこの説を大きな声では語っていない。

 それにしても、竹トンボの如何にも和風に対してイガイガの米欧風なのはどうしてだろう。それも私の脳味噌に知らぬ間に刷り込まれたナショナリズムがそう思わせているのだろうか。

 ちょうど今、あちこちのモミジの竹トンボが美しい。
 それを見ながら、「あのイガイガと同じだろうか」とやっぱり考えているが、それ以上に勉強しないのでいつもそのままやり過ごしている。

2016年5月12日木曜日

よくわからない植物のこと

   奈良・春日大社の参道、一の鳥居・影向(ようごう)の松を少し入った先の北側に大きなムクロジの樹が立っていて、その上に竹が生えている。
 以前に私は「何十年かに一度実った竹の種が風か鳥かリスによって運ばれて芽吹いたのだろうか」と書いたことがあるが、4月にOB会で遠足に行ったとき、「地下茎が伸びてきたのだろう」という意見も出た。

 そしたら先日、生物学の谷幸三先生がSNSで、「隣の国立博物館の庭の孟宗竹の地下茎が伸びてきて、真ん中が煙突状になった古木を突き抜けたもの」と書いていた。
 きっと専門家として上から覗いたことがあるのだろう。
 確かにフェンスの際まで孟宗竹が来ているからおおむね肯けるが、ムクロジの大木周辺には竹が全く見えないから、今現在の私の心境は「よく解らない」ままだ。

   ちなみに、ムクロジは「無患子」の字のとおり子育てに縁起の良い木とされている。
 なのでその実で羽根をつくって羽根つきをするのもレクリェーションというよりも邪気除けのありがた~く目出度い行事だったらしい。
 より具体的にイメージが膨らんでは・・、羽根の飛ぶさまをトンボと考え、蚊を食べてくれる・・伝染病除け・・・とも。なるほど。
 ジカ熱等が怖ろしい昨今、みんなで羽根つき大会が必要かも・・・と妄想したりしている。

2016年5月11日水曜日

唐草紋について

   忍冬(にんどう・すいかずら)の花が近所の道端に咲き誇っている。
 その花は始めは白く、徐々に黄色くなる。
 一般には「銀から金へ移る」と言われたりする。
 本によると、子どもたちが花の蜜を吸って遊ぶところから「吸葛(すいかずら)」と呼ばれ、枝葉が冬も萎れないので「忍冬(にんどう)」というとあった。

 私などは、この花を見ると「忍冬唐草紋」(にんどうからくさもん)という言葉が思い浮かぶ。
 正倉院の宝物や古代寺院の軒平瓦や仏像の須弥壇等に多い紋様で、中近東が故郷といわれている。
 なので平城(なら)がシルクロードの終着駅という宣伝文句もあながち嘘ハッタリとは思えない。
 さらに、この種の紋様が支持されたその理由の別のひとつが、この種の蔦系の植物の生命力が共通の認識だったという説に私は同意する。
 故に唐草文様は吉祥紋様である。

 ただ、こういう海外の文化を「換骨奪胎」というか「消化」というか、アレンジするのにこの民族が長けているという下世話な説も否定し難い。
 唐草紋は獅子舞の衣装となり、ドロボーの必須アイテムである風呂敷に昇格した。
 ドロボーは別として獅子舞の衣装は「吉祥紋」を肯定する。
 
 毎年そんなことを思い出しながらこの花を愛でている。

   13日に右の写真を追加した。
 法隆寺の軒平瓦(下)。
 唐草紋とは蔦の繋がったデザインを言っているようだ。

2016年5月10日火曜日

俳壇・歌壇を読んで反省する

 5月9日、GW明けの朝日俳壇と歌壇。どこか私の琴線に触れたものをご紹介。

 春愁をはみ出す地震の画面かな (平塚市)秋濱 信夫
 春日傘ひそかに杖とたのみけり (松戸市)斉木 直哉
 春宵(しゅんしょう)や故人ばかりの映画観る (堺市)山戸 暁子
 花の夜の残業の灯を消しにけり (東京都)飯沼 邦子

 お守りのごとくケータイ握りしめ浅く眠りぬ余震に怯え 
            (熊本市)高添美津雄
 地震速報つぐるテレビの音鳴ればかの三月の記憶に竦(すく)む 
            (仙台市)坂本 捷子
 「骨壺と私は無事よ」熊本はひとり住まいのファックス届く 
            (愛知県)赤羽 一郎
 アルコールゼロのビールの冷えた缶ググッと飲みほす介護の合間 
            (横浜市)杉本 恭子
 手に持った物を捜しているような 平和のための改憲というは 
            (岐阜県)高岡  勉
 花霞む山里ゆけばおちこちに隠しようなきフレコンバック 
            (福島市)美原 凍子
 職退いて無駄に残り̪し吾が名刺焚けば炎のほんの束の間 
            (神戸市)杉岡 壱風

 ・・・同じ景色を見て、同じニュースに接しながらなんと敏感な感受性かと感心。
 俳人、歌人に脱帽。
 「綺麗」とか「美味い」とか「怒る」というような散文的ブログしか書けない自分が情けなくなるが、そこで筆を止めていないのが善いと自分を慰める。

2016年5月9日月曜日

菖蒲と豆ごはん

  GWの打ち上げ?で、息子ファミリー・娘ファミリー勢揃いでたこ焼きパーティーを行なった。

 写真の「菖蒲の鉢巻」の意義?は5月5日の「端午の節供」の記事に書いた。

 5月7日の記事に書いた義母の子ども時分の蛙捕りについて「曾祖母ちゃんはパチーンと叩いて殺したんやて」と夏ちゃんに話すと、「私もやりた~い」と即答した。
 情操教育上問題ありとの意見もあるかもしれないが、祖父ちゃんは「そらそうやなあ」「こんど捕りに行こう」と応答した。
 つい先日、アカハライモリを手づかみで捕ったらしいから、蛙捕りも朝飯前だろうし、パチーンも朝飯前だろう。

 「お祖父ちゃんは子どものときどんなふうに遊んでた?」と聞くので「海に泳ぎに行って足で貝を採ってた」と答え、「こうするねん」と足の親指と人差し指をチョキのように広げたり閉じたりして、立っている貝を挟む動作を見せた。
 もちろん夏ちゃんはその辺のおもちゃを貝と見立てて同じように貝を挟む真似を繰り返したが上手く足指が動かない。ので、「夏までに練習しときや」と指示をした。

 夏ちゃんは凜ちゃんが来るまでは甘えたで駄々をこねたりしていたが、凜ちゃんが来たらいっぺんに姉ちゃんになって必死にあやす方に廻ってくれた。

 先日からスカンポや茗荷竹の話を書いたので、我が家はまるで毎日珍食奇食を食べているのかと誤解の向きもありそうなので断わっておくが、パーティーの主食は自然農法のウスイエンドウの豆ごはんだった。
 「関東にはウスイエンドウがない」「だからこの豆ごはんがない」というのをテレビ番組で知って驚いたが、ウスイエンドウの豆ごはんは関西の旬の料理の定番だろう。

2016年5月8日日曜日

茗荷竹の甘酢漬け

   茗荷竹の甘酢漬けは、茗荷の芽をホワイトアスパラや独活(うど)や白ネギのように土盛りをして軟白化したものを漬ける。
 ・・・ということは、ものの本で知っていた。

 しかし、庭(畑ではない)の茗荷をそのように手間をかけて育てるのも億劫だったし、大量に採ってしまうと枯渇するので、結局「ホワイトミョウガ」は作ったことがなかった。

 それよりも、茗荷の蕾を採って甘酢に漬けて楽しんでいた。
 蕾はいくら摘んでも茗荷が減ることはない。
 それに、茗荷の蕾は自家製がなくなっても年中スーパーに並んでいる。


 ・・・・・「お父さんが喜ぶと思ってコープに申し込んでおいたよ」と妻が申し込んだのは、茗荷竹の甘酢漬け。
 到着したもののラベルを見ると、製造者は高知市春野町弘岡の(有)石元食品とあった。
 このごろ土佐の珍味と相性がよい。
 蕾同様というか、それよりもシャキシャキ感もあり口の中に幸福感が広がった。
 グルメリポーターなら「あま~い」というのだろうがそんなことはない。甘酸っぱい大人の味である。
 非常に気に入ったので、次にコープのカタログに登場したときも申し込んでもらった。(このことで私がどれだけ気に入ったのかお判りいただけるだろう)

 私が小学生のときは、祖母から「物忘れするよって子供は食べたらあかん」とよく言われた。
 ということは、私は小学生の時から茗荷(蕾)が好きだったらしい。
 香りも味も好きなうえに、今では老人性の物忘れを全て茗荷のせいに責任転嫁できることがよい。
 みんな茗荷が悪いのだ。

   【9日追記】
   普通店頭に出ている茗荷は「蕾の固まり」で「茎」ではありません。
 写真はネットにあったものですが、収穫せずにおくとこのように花が咲きます。可愛い花です。その状態でも食べられます。

2016年5月7日土曜日

「思い出」の持つエネルギー

   暦の七十二候では、立夏の初候は「蛙始めて鳴く」で、新暦の5月5日~9日頃。

 特養に入所している義母に食事介助をしながら、「こどもの日のちらし寿司は美味しかった?」と尋ねると、「美味しかった」と答えただけだったが・・・、尋ねるともなく「もう田植えやねえ」と呟くと、「田植えはしんどい」「田植えは難しい」と言って、田植えのしぐさをしてくれた。
 やっぱり義母の記憶の中の原風景は米作りなのだと改めて感心した。

 半分眠ったように食事をしていたさっきまでとは違って、田植えの話は自分から話そうとしてくれた。
 なので楽しくなって、「おばあちゃんは食用ガエルは食べた?」と振ってみると、「食べてない」とこれは空振りだったが、あとは勝手に、「蛙は田圃にいっぱい居った」「捕ったらお尻に麦わらを刺しまんねん」「ぷーと吹いたらこんなに膨れまんねん」「それを手のひらに乗せてパーンと叩きますねん」とジェスチャー付きで話してくれた。
 「蛙は死にますねん」「それだけのことですねん」。
 男兄弟ばかりの中の紅一点だから、遊びもこんなだったようだ。
 
 こうして、蛙とりの思い出話は義母にぐぐぐーっとエネルギーを与えてくれたように私には見えた。
 この話の最中、顔つきがイキイキしていたから。

 さて、中国の神話では月に兎ではなく蛙がいるという。
 その神話の基になった発想はというと、満ち欠けを繰り返す月、冬眠を繰り返す蛙・・に、生命の再生=不老不死を重ねたのだろう。
 蛙の思い出話には、だからエネルギーが湧いてきたのだと想像したりする。

2016年5月6日金曜日

こどもの日にキビタキに会う

   昨日はこどもの日。なので子どもたちはその子供たち(つまり私たちの孫)を連れてそれぞれ遊びに行ったから、老夫婦にとってはイクジイからも解放されたただの休日。

 それにしては天気が良すぎるので急きょお弁当をこしらえて「海外旅行」に出かけた。
 国際観光都市奈良は、外国語が圧倒的で「ほとんど海外旅行と同じや」とやせ我慢をいいながら。

 奈良国立博物館は工事の終了した仏像館が無料開放。その上、つまらないことながら普段は閉まっている西側玄関(写真)から入られた。
 中に入ると、もしかしたら今日は敬老の日?

 その後、弁当を食べながらしばし人間ウォッチング。「奈良公園ビギナー」があちこちで鹿や鴉にお弁当を盗られている。鹿も鴉も百戦錬磨の強者。あはははは。

   さらにその後、「きっと夏鳥のキビタキが渡ってきているはず」と、「下の禰宜道(ささやきの小径)」に行くと可愛いイトトンボ。ただし種類は私の持っている図鑑程度では判らない。

   と、間もなくピッピッピッピョと綺麗な声。
 東南アジアあたりの環境破壊にも負けず今年も南の国々から渡ってきてくれた。
 そして、短時間ながらカメラの先に姿を現してくれた。
 経験からいえば、もうすぐ緑の葉っぱが生い茂ってくるのでキビタキを見るのが非常に困難になる。
 声はすれども姿は見えず・・・に。
 なのでこれは5月初旬だけの特別興行。
 「ちょっとだけよ~」に満足して帰ってきた。


 【追記】

   スノウさんからオオルリの写真が届いたので9日夜に追記する。
 オオルリ(きっとそうだと思う)は10年ぐらい前には奈良公園でもよく見たが、この頃は出会ていない。
 六甲の中山寺の奥でも写真を撮ってその独唱を堪能したことがある。
 美人で美声だからもう一度出会いたいと思っている。
 写真はスノウさんからメールで届いたもの。

2016年5月5日木曜日

端午の節供

   端午の節供は、古代より宮中や貴族社会で大事にされていた節日であって、近世には五節供のひとつとして江戸幕府の式日となった。

 そういう古代中国伝来の行事と、この時期に行われていた田植えに関連する田の神の来訪と物忌みの行事、乃至早乙女の神祭りの行事と習合し、後世には別に古俗としてあった成男戒の習俗=男児の節供が加わるとともに、菖蒲≒勝負≒尚武という語呂合わせも大いに受け入れられ、というか、それが前面に出るようになり、それらが新憲法下で再編されて子どもの日になって今日に至っている。

 要するにいろんな要素があるにはあるが、年中行事のひとつとして、好きな由来などをチョイスして、男女の別なく、子どもたちの思い出に残るように祝ってあげるのがよい。

   しかしながら、都市の住宅事情は伝統を継承するには多くの無理があり、我が子たちも「飾る場所(余裕)がない」というので、節供人形は寂しく我が家に残されたままだった。
 実際その昔、江戸間の『6畳・3畳・台所』という宿舎に義父母が新幹線に乗ってこの人形を担いで来た時には嬉しくも困惑したから、息子や娘の気持ちも判らなくはない。

 だから真剣に正暦寺の「人形供養」を検討したりしたのだが、頼んでおいた地元の議員の斡旋で、雛人形と五月人形は、けいはんな自然公園・水景園に無事お嫁入りすることが出来た。
 話がまとまったのが上巳の節供の後だったので、雛人形の方は今年のお目見えは持ち越されたが、五月人形の方はゴールデンウィーク前から来場者に公開されている。 
 背景のガラス越しに新緑の木々が揺れ、巣立った子の新家庭が一つ増えたような穏やかな気分になった。
 
   住宅事情と言えば、子育て世代が住む住宅に余裕があるわけでもないから、鯉のぼりは今年、孫たちのために新たに我が家に打ち立てた。
 そして、子どもたちに、これからこの時期には孫たちを連れて鯉のぼりを見に来るようにと指示をした。ふっふっふ。近所の方々には、年寄りだけで鯉のぼりを立てている酔狂な家と思われている。

   おまけの話として、我が家はこの時期菖蒲湯に入り、出て来る時に菖蒲を1本抜いて鉢巻をすることになっている。
 延喜式にいう「五月五日、天皇出御、菖蒲鬘を着します」の高邁な僻邪の行事というよりも、「こうすれば頭痛にならない」という父母、祖父母からの言い伝え。素朴な夏に向かう僻病の願いごと。
 これは住宅事情には関係ないから、子どもたちにも必ず継承するよう厳命している。
 報道の自由度世界72位という国であるから、菖蒲の力で頭の中が騙されないように鉢巻をすると考えるのも良い。
 もちろん、我々老夫婦も鉢巻をするが、こちらは加齢による頭痛封じという旧来の素直なおまじない。

2016年5月4日水曜日

スカンポ(虎杖)の塩漬け

   調べてみると、ちょうど3年前、2013年5月1日の「土手のスカンポジャワ更紗」の記事で、妻が採ってきたスカンポをお浸しにして食べた記録がある。 それを妻に話したら「へえ~ そんなことあったかいな」と忘れていた。

 なお、その記事に土佐のバラやんがコメントをしてくれて、「虎杖(イタドリ)と言って欲しい。2日に1回は食べている。お椀にいっぱい食べている」と教えてくれた。

 そのときの記事にも少し書いたが、以前に渓流釣りに行ったとき、その道の先輩が帰りにスカンポをいっぱい採り、「塩漬けにしておいたら1年中食べられる」と教えてくれていた(が、実行はしていない)。

 で今回、その塩漬けのスカンポを義母がお世話になっている特養のスタッフからいただいた。
 それを塩抜きして写真のように少し炒めたうえで炊いたところ、グルメ番組ではないが「うまあ~」という言葉しか出なかった。
 妻は「癖になりそう」というほど気に入ったし、私もパクパクいただいた。バラやんのコメントどおりだった。
 妻やお嫁さんの感想は「メンマ(支那竹)のようだ」とのこと。

 本には「春の若い茎」とあるから採取シーズンはもう終わりかけだろうか。
 時間がない。夏日が恨めしい。

2016年5月3日火曜日

半藤さんに学ぶ―歴史は人間学

   今日5月3日は憲法の誕生日。満69歳、数えで古稀。
   3月19日に私は『メディアは戦争に導いた』という記事を書き、半藤一利氏の主張を紹介した。
 重ねて紹介するとその本の書き出しは、「自民党は日本国憲法改正草案を発表した。9条の論外の改悪は断固として許すことはできないが、それに比敵するくらい21条の条文には愕然となった。まさしく怒り心頭に発し、それを報道しただけの新聞に罪はないのに、ビリビリ引き裂いてしまったほどとなった」から始まっていた。

 その記事でも書いたが、半藤一利氏は元文藝春秋編集長としても有名なので、私などは「食わず嫌い」みたいに、メジャーな論壇での保守派の作家というイメージがあったが、先の文章のとおり全く誤解していたのかもしれない。

 その意識が少し変わったのは対談集『昭和史をどう生きたか』(写真は表紙と目次)を読んだときだった。
 戦記などは好きではない私だったが、「指揮官たちは戦後をどう生きたか」で勇者たちを紹介する一方で「責任を感じない人びと」を真正面から批判しているのが驚きだった。だから「歴史とは人間学だとつくづく思えてきます」という言葉もすんなりと共感できた。
 
 ・・・とはいうものの、半藤一利氏のインタビュー記事が先日の赤旗日曜版のトップにあったのには重ねて驚いた。
 日本の多くの良心的な知識人が、保守や革新の区別なく、偏見なく共産党と共鳴する時代がやってきている。小林節氏しかり。・・との感慨を抱いた次第。

 さて、その赤旗の記事で大きな「中見出し」が2面にあり、『戦時中 私も非人間的になっていた』とあって、氏は「歴史の本を書きながら、自分自身の戦争体験は戦後何十年も書いたり話したりしませんでした」として「空襲で逃げるとき、川の中で人を蹴飛ばしたり、はねのけたりしました」と・・・、
 
 先の対談集では、氏は東京大空襲の経験を語り、「小さい子連れのお母さんは飛びこむ元気がないから、水を被って川の縁に並んでました。そして火がかかってきた瞬間に、紙屑みたいに髪や洋服がバーンと燃え上がって、あっという間に窒息死です。その上を火がダーッと舐めていくのを私たちは川の中から眺めているほかなかった」
 「じつは川の中の自分も危なかった。泳げない人が、私の手に掴まる、足にも掴まる。一緒になって浮いたり沈んだりしてる間に・・ひょいと助けあげられました」
 吉村「僕の方は、隅田川の上から流れてきた死体を見たわけです。七八十体あったかな、みんな焼けてなくて、女の人の着物も綺麗でしたよ。・・・見ているけれど、しばらくすると皆飽いたように行ってしまう。何かもう無感覚なんですね」
 半藤「あの、人間が無感覚になる時は、おっかないですね。真っ黒焦げの死体がいくつも転がっている傍らで焚き火をして、服を乾かして気にも留めないんですから」
 吉村「ああ、そういうものですね」

 これを読んだとき、戦争中の体験を語るというのはとても酷(ムゴ)いことで難しいことだと私は思った。
 よく「歴史を語りつごう」と言われたりするが、極限状態の話は辛いことでそんなに簡単なことではない。
 別の本かなんかで、「あの戦争で全くの善人は死んでしまったから、我々は多かれ少なかれ悪人の子孫だ」と読んだことがある。五木寛之氏の言葉だったか(2015年12月9日「五木寛之の共犯意識」など。幻冬舎新書「異端の人間学」ほか)。
 嫌な言葉ではあるが、蓋をして飾ってはいけないものがある。

 普通の良識的な市民が、もっとはっきり言えば父が祖父が伯父さんが、目の前で同僚(戦友)が殺されたとき、「こんちくしょう」と思って「復讐」したことだろう。
 支給されたゲートル1枚を盗まれた市民(兵隊)は文句なく誰かのものを盗んで員数を合せたし、最後の引揚船に乗れるか乗れないかのときには押しのけて乗船出来たものだけが生き残ったのだ。それが真の昭和史なのだ。
 そう考えると、ISなどの自爆テロも「ああ、彼の地の今はカミカゼの時代なのだなあ」と理解できる。
 西欧では自爆テロのことをごく普通に「カミカゼ」と報じている。
  
 半藤一利氏は『B面 昭和史 1926-1945』を出版されたらしい。
 憲法記念日にあたって、各自が昭和史を自分の言葉で語ることの大切さをいま思っている。

2016年5月2日月曜日

負うた児に教えられたキュウリ草

   庭掃除をサボっている言い訳ではないが野草をそのまま愛でている。
 もっと繁殖力がなかったらならば市場価値がありそうな美しい野草も多いが、繁殖力が強すぎるばかりに市場価値がないどころか、人々に「雑草」と呼ばれて引っこ抜かれる草も多い。
 なので我が庭の風情を解ってくれる人はほとんどいない。

 孫の夏ちゃんは4歳クラスに進級し、間もなく5歳の誕生日を迎える。
 プレゼントはリカちゃんの洋服を指定されている。

 その夏ちゃんが我が庭の草を指して「キュウリ草だよ」と教えてくれた。
 冒頭に偉そうなことを言ってしまったが、いつも嫌というほど見ているが、私には「ただの草」としか見えていなかったものだった。
 確かに可愛い花だとは思っていたが、花の直径が2~3ミリなので、ほとんど目立たない。
 その名を孫に教えてもらったわけである。
 「胡瓜の匂いがする」らしいが、匂いは実際には解らなかった。
 だいたいがほとんどの野草は胡瓜の匂いと言えなくもないし。
 それよりも「負うた児に教えられ」とはこのことだろうと嬉しい。
 ラベルは爺ばか日誌。

2016年5月1日日曜日

タキイ種苗で買った苗

フジバカマのチョコラータの芽
   庭で主に白いフジバカマを植えていて(ピンクは数本)、毎秋アサギマダラの訪問を楽しんでいる。
 そこで、少し色の濃いフジバカマも付け加えたいと思いタキイ種苗のネット通販で「フジバカマ4種の苗」を申し込んだ。

 ところが、4種のうちの「チョコラータ」というのが一向に芽が出ないので、ネットのメールを通じてその旨を連絡したら、すぐに返信があり、芽の出ていないところの写真を送ったりしたら、即追加で配達されてきた。
 あまり期待していなかったものだから、その迅速で親切な対応に「さすがタキイ種苗だ」と感心した次第。
 
 実は私が小学校にも上がる前、まだ文字どおり終戦直後であったが、父親がタキイ種苗のカタログ本を持っていた。少しの空き地でもあったら野菜を植えたりしていた時代だったが、父は野菜も花も植えていた。
 そんな記憶があるから、タキイ種苗のイメージは悪くなかったが、今回の件で一層信頼ができるようになった。

 文字どおりのオープンガーデンでフジバカマとアサギマダラの家としてご近所で認知されている我が家だから、今秋からはフジバカマの種類についても立ち話の話題になりそうだ。

 世の中爽快なことが少ない日々だが、少し感心した対応だったので、タキイ種苗の回し者ではないが「こんな善いこと」もブログに記録しておこうと思った。

 八十八夜の忘れ霜という忠告の言葉があるが、昨日は北海道で大雪だった。
 夏野菜の第一波として胡瓜、トマト、万願寺、バジルを少しずつ植え終わった。
 収穫時期を伸ばすために少し時期を置いて追加しようと思っている。
 ただ、その時期に良い苗が売られているか心配だ。