2017年5月25日木曜日

山極先生の祝辞

   ネットで知った今年の京大の入学式の山極総長祝辞に感心した。
 その部分を以下に紹介する。

 さて、では常識にとらわれない自由な発想とはどういうことを言うのでしょうか。私が高校生だった1960年代に流行った歌があります。昨年ノーベル文学賞を受賞したボブディランの、

How many roads must a man walk down
Before you call him a man? 

人間として認められるのに、人はいったいどれだけ歩めばいいの?”
という問いで始まる歌です。そして、

How many ears must one man have 
Before he can hear people cry? 

人々の悲しみを聞くために、人はいったいどれだけの耳をもたねばならないの?

How many deaths will it take till he knows
That too many people have died? 

あまりにも多くの人が死んだと気づくまで、どれだけの死が必要なの?”
と続きます。それは、

The answer, my friend, is blowin in the wind 
The answer is blowin in the wind 

友よ、答えは風に吹かれている”
という言葉で終わるのです。

 これはボブディランが21歳のときに作った歌で、「答えは風に吹かれている」というのは、「答えは本にも載っていないし、テレビの知識人の討論でも得られない。風の中にあって、それが地上に落ちてきても、誰もつかもうとしないから、また飛んでいってしまう」という気持ちを表したものなのです。彼はこうも歌います。

How many times can a man turn his head
And pretend that he just doesnt see?” 

 (見ないふりをしながら、人はどれくらい顔を背けるのか ← 私の挿入) 
 そう、この歌は、誤りを知っていながら、その誤りから目をそらす人を強く非難しているのです。これは、1960年代に起こったアメリカの公民権運動の賛歌で、日本でも多くの若者が口ずさんだものです。


 大学には、答えのまだない問いが満ちています。しかし、その問いに気づくためには、利己的な考えを脱ぎ捨てて、この世界を新しい目でながめる必要があります。常識にとらわれない発想とは、これまで当たり前と思われてきた考えに疑いを抱いたとき、それに目をそらさず、真実を追究しようとする態度から生まれます。どんな反発があろうと、とっぴな考えと嘲笑されようと、風に舞う答えを、勇気を出してつかみとらねばならないのです。これまで京都大学は、この精神のもとに多くの新しい発見や独創的な考えを世に出してきました。日本初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹先生は、京都大学教官研究集会で、「私たちの生きている、この世界に内在する真理を探究し、真理を発見し、学生たちに、後進の人たちに、そして学外の人たちにも、真理を伝達することが、大学の本来の使命である」と述べています。そこには、大学の知は私的な利益追求のためにあるのではなく、常に公共のため、社会のためにあるという矜持があると私は思います。
 (引用おわり)

 政治の世界では大嘘つきが跋扈している。
 企業(職場)では姿の見えにくい「同調圧力」が首を絞めつけている。
 それらは誰もが感じていることなのだが、少なくない人々はそれらを批判すべき矢面に立つのを避けている。
 そして、戦後民主主義は満身に傷を受け、時代は戦前を刻んでいる。
 山極先生の言葉は、世間一般の「一般人」が心に受け止めるべき喫緊の課題ではなかろうか。(明日に続く)

    夜を裂いて絶叫届くやほととぎす

2017年5月24日水曜日

楝ちる道

   縁は異なものと言うが、3月8日の記事に書いたとおり、明徳元年室町幕府足利義満の時代に創建された堺の調御寺(ぢょうごじ)の歴史調査で、少なくとも江戸時代に遡る鬼子母神像が戦火を潜って現存していたことが発見された現場に立ち会わせていただいた。
 一般に鬼子母神(きしもじん)は安産・子安の神仏として有名だが、特に日蓮聖人が重視したことから、法華信徒の守り神として現在でも厚い信仰を集めている。

 経典では、鬼子母神は千人の子を持っていたが、その末子をお釈迦様が隠し「千人のうちの一子を失うもかくの如し」と諫めたので改心したという。
 その説話に因んで、鬼子母神の祭事では千個の団子を供えたらしく、その千個の団子(千団子)にも似た鈴なりの実を持つ木を「せんだんご→せんだん(栴檀)」といい、古名を「あふち(楝)」と言ったという説もある。(他に「千珠(せんだま)」説などもある)

 その楝(おうち)だが、明治29年に発表された歌『夏は来ぬ』の4番に登場する。
 作詞は佐佐木信綱で、こうである。
   楝(おうち)ちる 川べの宿の
   門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
   夕月すずしき 夏は来ぬ
 私は無学なものだから、最初にこの歌詞を見たときに「楝」の読み方も意味も解らなかったことを思い出す。

   ところが今では、わが家を出た直ぐの遊歩道が楝の並木路になっていて、毎日のようにその下を歩いている。これもまた「縁は異なもの」と言えようか。
 そして先日から楝が満開で、その道は素晴らしい芳香に包まれている。
 先日来の記事で、匂いのきつ過ぎる木々のことを書いたが、楝については「過」もなく「不足」もない。
 ただし、この芳香のことを「栴檀は双葉より芳し」と言ったのではなく、諺の栴檀は白檀のことである。事実、楝の若芽に芳香はない。

 楝の並木路の近くでは卯の花も咲いている。
 そう、お察しのとおり、あと必要なのは時鳥(ほととぎす)である。
 時鳥の「聞きなし」ほど多様な鳥もいないし、その聞きなしに係る民話の種類も多い。そして、その民話の多くに暗い陰があるのも特徴的だ。
 奈良県北部のそれは、兄のために良い芋を残して自分の分を食べた弟を兄は疑い腹を裂くと屑芋しかなかった。兄は後悔してホトトギスに姿を変え「弟(おとと)かわいや、ほーろん(本尊?)かけたか」と毎日八千八声ずつ鳴くというもので、激しい鳴き方、口内の真っ赤な色と合わさって、「鳴いて血を吐く・・八千八声のホトトギス・・」の河内音頭となる。
 全国的にも、「芋首食たか」「包丁立てた」「弟腹(おとはら)突(つき)った」「ぱっと裂けたか」と同種の聞きなしと民話がある。(山口仲美著「ちんちん千鳥のなく声は」)

 縁は異なもので、この記事を書いている22日の深夜にホトトギスの声を聞いた。理屈抜きで感動した。妻にそう言うと妻は「私は2日前の夜に聞いた」と鼻の穴を膨らませた。

    自慢気に忍音聞いたと妻は言ひ

2017年5月23日火曜日

奈良公園の自然と文化

   昆虫博士・谷 幸三先生のfbで知って、20日に『奈良の自然・文化遺産連絡学習会 第1回 奈良公園のびっくりする自然』を受講した。
 レジュメなしのパワポだったので、終始笑いっぱなしで感心しきりだったが、結局あまり覚えていない。しかし、何かの折にそのテーマにぶつかったときに思い出すときもあるだろう。

 ただ私としては、自然の巨大さが印象に残り、単純に人間が「エコ(生態系)だ、生物多様性だ」というだけでは環境が維持されず、御蓋山や春日の奥山の原生林は自身の力で極相林に達しており、それも自然に崩壊していくらしいこと、その後、原生林らしい林になるのは2000年後らしいことなど、う~むと考えさせられる話もあった。

 谷先生お定まりの、生産者、消費者、分解者というエコシステムの話でも、地球上で日本列島は例外的なくらい恵まれていることを教えられ、「食料なんか輸入すればよい」というTPP推進論者の思想の軽薄さを思い知らされた。

   奈良公園の鹿は1300頭いるが、もし自然状態で考えれば適正規模は50頭らしい。さらに戦後は100頭もいなかったようなので近親交配の負の害もあるようだ。
 ならば殺して頭数を管理するのが正しいのかといえば、世の中そんなに単純ではなかろう。
 奈良県などが進める高級ホテル建設や自然破壊は言語道断だが、市民一人一人が専門家の知識も聞いて考える必要があるように思った。

 奈良公園・吉城園のモリアオガエルも絶滅寸前を泣いている。

    指染めてすかんぽ剥きし台所

2017年5月22日月曜日

安倍晋三は保守ではない

 4月9日に「本当の保守主義」という記事で、自身を保守主義者だと名乗っておられる中島岳志氏が「保守本流は安倍政権を批判すべき」「本当の保守主義を貫くと共産党と共鳴する」と発言されていることを紹介したが、毎日新聞5月21日6:30配信の【<陛下>退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」】の記事は、まさしくその指摘の妥当性を証明している。記事の内容は次のとおりである。

 《天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。
 陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。
 宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。
 ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
 陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。
 宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。
 陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。【遠山和宏】
 引用おわり。

 憲法第4条が、天皇は、この憲法の定める国事行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。・・と定めているから、問答無用で天皇の「考え」に沿って立法化すべきだとは決して思わないが、昨年8月の「おことば」を一国民として素直に聞けば、象徴天皇としての深い洞察と人間味に私は理解と同情を禁じえなかった。

 さて、政府が設置した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」であるが、該当の発言をした「有識者」がその種の主張を繰り返していたことは任命前から周知の事実であった。
 つまり、安倍首相はその種の発言を期待して任命していたのである。
 安倍首相の思想的バックボーンは日本会議である。その日本会議の主張は「象徴天皇制」の継続ではなく帝国憲法の復元である。
 
 真面目な保守主義者こそ、戦前回帰を企む日本会議安倍政権を批判すべきではないだろうか。

2017年5月21日日曜日

野蒜

   山菜採りは犯罪の下見かも知れないし山菜を売って犯罪の資金源にしているのかも知れない! というのが共謀罪の政府答弁。
 つまりは屁理屈をつければ何でも「共謀」になるし「一般人」でなくなる。
 怖ろしい法律案だし怖ろしい(政府)権力だと思う。

 怖ろしいといえば、山菜と間違って食べた毒草で死んだというニュースもあった。
 犯人はイヌサフランでギョウジャニンニクと間違ったらしい。
 確かに、若芽の頃はギョウジャニンニク、ミョウガ、ウルイなどとそっくりだ。わが家の庭にも、ギョウジャニンニク、ミョウガ、ウルイが適当に生えているし、サフランも生えている。気を付けなければ・・・・。
 
   そのニュースの前にはニラと間違えてスイセンを食べて中毒というのもあった。
 これも、ニラもスイセンも生えている。
 そういえば、ワケギのような葉っぱのプランターがあるが、ワケギの臭いがない。「これはいったい何を植えたのだった?」と妻と首を捻っている。
 こうなると、この次のニュースは私かもしれない。

   さて、ノビル(野蒜)、ラッキョウ、ネギ、ニラ、ニンニクを五葷(ごくん)という。
 『不許葷酒入山門』(葷酒山門に入るを許さず)にいう「葷」である。
 「老人ホームの庭の草刈りで刈り取られようとしていたから」と言って、妻が野蒜を持って帰ってきた。
 一日コップに入れておいて、翌日の夕食にいただいた。
 「こんなに美味しいのならもっと採ってくるのだった」というほど美味しかった。
 レシピなどはなく、砂糖と少々の酢で溶いた味噌をつけて生食しただけ。
 「不許入山門」というだけあって、元気が出たような気になった。

    いっちょ前のネギ坊主なる花野蒜

2017年5月20日土曜日

今年もモリアオガエル

   5月19日、奈良公園大仏殿近くの吉城園(よしきえん)。
 毎週通っている孫の通院先に近いので、少しだけ時間を融通して訪問し、今年もモリアオガエルに逢うことができた。
 モリアオガエルは水中でなく樹上に卵を産む希少な種であるので、天然記念物に指定されている府県も多い。
 写真1は池の上に張り出した木の枝の卵泡で、樹上だけでなく池の水面近くの草むら数か所にも卵泡はあった。
 恋の季節である。

 写真2は親ガエル。樹上ではほとんど動かず、動いても「のそりのそり」というようにしか動かないので、それが反対に見つけ難い。

   気配を消して待っていると、ゴゴゴ、ゴゴゴ、ゴゴゴ、そしてトトトトトトトというようにけっこう大きな声で数匹が鳴き始めたが、声はすれども、写真2の親ガエル以外の姿は確認できなかった。(目の前の草むらに居るのは確実なのだが)
 微妙な鳴き声を文字にするのは非常に困難だが、私はこう聞いた。

 さて、奈良県知事はこの吉城園の隣を高級ホテルにして、吉城園をそのホテルの庭にすることを計画している。
 モリアオガエルは奈良県のレッドリストに絶滅寸前(絶滅危惧種Ⅰ類)と書かれているのだが、それが行政の力で文字どおり現実のものになりそうだ。
 地方自治行政を「金儲けという物差し」でしか考えられない知事は、少なくとも奈良にはふさわしくないと私は思う。

 かつて東大寺206世別当の上司海雲(かみつかさ かいうん)師(明治39~昭和50)は、志賀直哉、杉本健吉、会津八一、入江泰吉、須田剋太等々奈良の文化人のサロンを運営されていたが、その当時も奈良県は奈良公園内にホテルを建てようとか、いわゆる行楽地としての開発を推進したのに、サロンの文化人たちは強力に反対した歴史がある。
 その折、上司海雲師は県の「観光開発」の貧弱な思想に対し、青丹よし奈良の京(あおによしならのみやこ)を踏まえて「阿保によし奈良は田舎」と叱責されたのはあまりに有名。

    天蓋に白玉吊りし青蛙

2017年5月19日金曜日

はらぺこあおむし

   イクジイ未経験者でも「知ってる人は知っている」が絵本の世界では『はらぺこあおむし』は超有名である。
 私の手持ちの本はフリップフラップといってアコーデオンのようになる本で、各ページにあおむし等が飛び出す仕掛けなどがある。
 ストーリーは単純で、卵からかえったあおむしがいろんなものを食べて綺麗な蝶になる。
 こういう絵本で育つと「虫が怖い」などという大人になることはないだろう。

   左の写真は朝倉山椒の木で、3匹の小さなアゲハのあおむしが写っている。
 それほど大きな木ではないから、観察を続けるなら人間が食べる「木の芽」がなくなってしまう。
 よって、花柚子の方にそおっと移っていただいたが、オレンジ色の角を出し、強烈な臭気を出して不満の意を表していた。すまん、すまん。

 先日、友人たちの集りに採りたてのセロリを持って行ったところ、「わあ、土がついてる、ナメクジがついてる」と不満げに驚いた人がいた。
 何ということもない当たり前の事実が当たり前でない人がいて社会があるのだと、可笑しいような寂しいような複雑な気持ちになった。

    あおむしの風に舞う日のある不思議

2017年5月18日木曜日

安倍首相の改憲表明 その黒子

 自民党の石破茂が、5月3日に突然表明した安倍首相の「憲法9条3項に自衛隊を明記する」という憲法改正案に、「これまでの自民党内の議論は何だったのか。自民党改憲草案とまったく違う」と怒り心頭と報じられている。
 自民党改憲草案は最悪のシロモノだし、それをリードしてきた石破の主張も同様だが、安倍晋三首相・自民党総裁が、最低限の自民党内の党内民主主義も踏みにじって、党外の「闇の黒子」の意を受けて行動していることが石破発言で明々白々となった。

   そしてその「闇の黒子」が、安倍晋三の筆頭ブレーン、日本政策研究センター代表伊藤哲夫であることも以下のとおり明白となった。伊藤哲夫は日本会議の常任理事でもある。
 そも伊藤哲夫は、同センター機関紙「明日への選択」2016年9月号で、「憲法9条に3項を加え、『但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛のための実力の保持を否定するものではない」といった規定をいれること」を提起し、同センター小坂研究部長は、「自衛隊を明記した3項を加えて2項を空文化させるべきである」と述べている。
 さらに伊藤哲夫は、これによって自衛隊の存在を認めている人々を引き寄せて「護憲派にこちら側から揺さぶりをかけ」ると野党や市民分断の意図をあからさまに語っている。

 では、首相を操る伊藤哲夫とはいったい何者だろう。
 伊藤の兄は宗教法人・生長の家本部に勤めていたと、右翼団体一水会で有名な鈴木邦夫が語っている(「日本会議の正体」の本に書かれている)。
 本人伊藤哲夫は、少なくとも1976年(昭和51)には生長の家(教団)の中央教育宣伝部長であった。
 その頃、1980年(昭和55)に『憲法はかくして作られた』という本が生長の家本部政治局から発行されている。
 そして、1983年(昭和58)に生長の家が政治活動を中止した後、2007年(平成19)に同じ内容の『憲法はかくして作られた』の本を伊藤哲夫著として発行している。
 その内容が右翼の改憲運動の教科書のようになっているようだ。

 1983年の生長の家の路線変更にはいろいろ理由があるようだが、少なくとも2016年には、「日本会議の主張する政治路線は、生長の家の現在の信念と方法とはまったく異質のものであり、・・ 安倍政権の政治姿勢に対して明確に「反対」の意思を表明します。」とHPに掲げている。
 この生長の家の路線変更に、ついて行かなかったメンバーが、谷口雅春(初代総裁)先生を学ぶ会などの生長の家本流運動(いわば生長の家原理主義)を展開しており、彼等のことを現生長の家の先の「表明」では、「元信者たちが・・すでに歴史的役割を終わった主張に固執し・・活動をおこなっていることに対し、誠に慙愧に耐えない・・」と指摘している。

 こうして、1983年の生長の家の路線変更の翌年1984年(昭和59)に、足場を失った伊藤哲夫は日本政策研究センターを設立した。
 その後は、安倍晋三とともに2001NHKの「女性国際戦犯法廷」を‟事前に知って”抗議活動を行うなど、安倍晋三の私的ブレーンとなり日本の右翼運動の主要な指導者となっていった。(それらの事蹟は本に詳しい)

 その改憲のための運動方針を、2015年日本政策研究センターのセミナーで配られたレジュメ「憲法改正のポイント」からみると、
 1 緊急事態条項の追加
  非常事態に際し、「三権分立」「基本的人権」等の原則を一時無効化し、内閣総理大臣に一種の独裁権限を与えるというもの
 2 家族保護条項の追加
  憲法13条の「すべての国民は、個人として尊重される」文言と、憲法24条の「個人の尊厳」の文言を削除し、新たに「家族保護条項」を追加するというもの。
 3 自衛隊の国軍化
  憲法92項を見直し、明確に戦力の保持を認めるというもの。
 ・・・であり、 

 質疑応答で、「我々(生長の家原理主義的右翼?)は、何十年と、明治憲法復元のために運動してきたのだ。・・周りの人間にどう説明すればよいのか?」との質問に、主催者側の回答は、「もちろん、最終的な目標は明治憲法復元にある。しかし、いきなり合意を得ることは難しい。だから、合意を得やすい条項から憲法改正を積み重ねていくのだ」という趣旨だった(日本会議の正体)という。
 こうして、前述の「明日への選択」2016年9月号とぴったりと結びつく。

 最後に、彼らの心の師、生長の家初代総裁谷口雅春に触れると、谷口雅春は1930年に生長の家を創設。戦中は戦争遂行を全面賛美して、「大日本帝国は神国なり」「大日本天皇は絶対神にまします」「大日本民族はその赤子なり」と主張し、戦後は、国民主権の放棄と天皇主権。現行憲法破棄と明治憲法体制への復古を主張した。
 宗教的には、「病的思想が無くなれば病気が無くなる」と「病気の治癒」「人生苦の解決」で信者を拡大したが、信者でもあった鈴木邦夫に言わせると「宗教という以前に愛国運動をやっているところと思っていた」と述べている。
 1960年浅沼稲次郎殺害の山口二矢も1970年三島事件で自刃した森田必勝も谷口雅春信奉者だったと言われている。

 『日本会議の研究』という本によると、宗教家的なカリスマ性は、安東巌が引き継ぎ、その弟子が伊藤哲夫、その弟子が安倍晋三ということになろうか。
 なので安倍首相の主張は、決して「現に存在している自衛隊を書き込むだけ」ではないのだ。
 私はマヌーバー(策略)という言葉を久しぶりに思い出した。
 本音で言うところの常軌を逸した戦前復帰の運動が巨大なエネルギーで進行している。
 基本的人権を制限して世界中で戦争できる国というのが彼等の本心であり目的だ。
 こんな企みを絶対に許してはならないと思う。
 この記事は、日本会議の正体(平凡社新書)、日本会議の研究(扶桑社新書)に基づいて執筆した。

    草藪に紫蘭自己を主張せリ

2017年5月17日水曜日

国家機密漏洩罪

このブログの閲覧者
   ブレジネフ時代、「ブレジネフは馬鹿だ!」と叫んだ男が懲役22年の判決を受け、刑期の理由は国家侮辱罪で2年、国家機密漏洩罪で20年だったは、あまりに有名なアネクドート(ロシアンジョーク)だった。

 私は故米原万里さんの相当な愛読者だったが、その著書にはこの手のアネクドートが頻繁に紹介されていた。
 が、プーチンがトランプに肩入れした話や、世界中にサイバー攻撃を仕掛けているという「ジョークでない話」は全く笑えない。

 日本では、「一般人」が突然に「一般人」でなくなり逮捕されかねない「共謀罪法案」が強行されかかっているが、訳も分からないうちに盗聴や盗撮されるのは気分のいいものでない。
 実は、そういう気分の良くない不思議なことが私の周りで起こっている。(誤解であればごめんなさい)
 この頃私のブログの「閲覧者」数が急に伸び、ここ数週間は日本国内を上回ってロシアで大量に「閲覧」されている。
 ロシアのどこかの日本語学校あたりで流行したのなら良いけれど、KGB周辺の流行ならよしてもらいたい。

 心当たりはない。ピロシキやボルシチや白ロシアの記事はだいぶ以前のことだし、スベトラーナ・アレクシェービッチを書いてからも月日はたった。
 「朝ドラ(ひよっこ)でロシア民謡が登場した時代」の記事はまだ書いていなくて共謀罪ではないが「心の中」である。
 この記事のついでにその「心の中」を少し書くと、『トロイカ』の 〽響け若人の歌 高鳴れバイアン の「バイアン」がアコーデオンのような楽器であるのはこの歳になって朝ドラで初めて知った。

 そもそもブログ記事が、新作アネクドートのヒントにされるほど(謙遜ではなく)私のブログには筆力はない。
 なのでアネクドートというよりも、ロシア・ファンタスチカ(SF)の世界に巻き込まれた気分である。

 一番想像されるのは、ロシア向け日本のネット通販会社が私とよく似たURL(ブログのアドレス)であるというようなことだろうか? もし、そんな事実を発見されたお方は教えていただきたい。(不思議な不快感が解決する)
 シベリアへ北帰行する冬鳥たちよ、こんなヤポンスキーの疑問が解ったならば教えてくれ!

    川柳  朝ドラは思い出の歌で引き付ける

2017年5月16日火曜日

エゴノキと生命力

   美と醜は紙一重ということがよくあるが、エゴノキの花の香りも微妙だと思う。
 多くの本には「エゴの花には芳香がある」と書かれているが、先日の記事のジャスミン同様、些か度が過ぎていると私は感じている。

 しかし、熊蜂その他の昆虫が喜び勇んで寄ってきているから、よい言葉を選んで言えば「生命力を感じさせる匂い」とでもいおうか。

 14日、母の日のプレゼントだと言って息子ファミリーが『ミホミュージアム』へ連れていってくれた。・・が、珍しく休館日だったので、信楽のドライブとなった。
 信楽は文字どおりの高原だから、奈良市内ではすっかり終わっている藤も桐も満開で、山肌のあちこちを紫色で飾っていた。

 つい先日は堺あたりでメジロの違法所持が摘発されたニュースがあったが、高原では「長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛」と激しく囀(さえず)っていた。
 こういう広々とした自然の中で聴く囀りの方が素晴らしくないだろうかねえ。

 介護やなんかで何年も遠出をしていなかったので、あちこちの高速道路が繋がっている状況に浦島太郎のような気持ちになった。
 だから、道路を走っているというよりも、「時代」を追いかけて走ったような一日だった。

    生き物の満ちる気配やエゴの花

 来週は小満である。いのちが、しだいに満ち満ちていくころと言われている。

2017年5月15日月曜日

雀の親子

   愛鳥週間(5/10~5/16)に合わせたかのように13日、庭に雀の親子がやってきた。
 親(うしろ向き、雌雄不知)と子雀2羽で、親が口移しで餌を与えていた。
 ただ、餌は子雀でも採れそうな稗やヒマワリの種などであり、別に捕獲が難しい虫ではないし、親が半分咀嚼してからやっているものでもなかったから、大きなものは半分に割ってはいたが、基本的には「これは食べられる」とか「食べられない」という基本の「き」を教えているように見えた。

 以上は正真正銘の雀の親子だが、ものの本には「雀の親はカラス」という説もあった。
 狂言「竹生島詣」や滑稽話の「醒酔笑」がそれだが、雀が「父 父」と鳴くとカラスが「子かあ 子かあ」と答えるからだという。雀の親はカラスだったのか!この歳にして初めて知った。

 他方、カラスは「雀の叔母さん」という説もある。こちらの方は単なる説というよりもれっきとした雀獲りの猟法で、囮のカラス(叔母さんカラス)を網のところにつないでおくと、「カラスがいるから危険な動物は近くにいない」とすっかり気を許して雀がやってくるらしい。
 野鳥に関する著作も多い国松俊英氏の文なのでジョークではないし、効果がないなら猟法として成り立たないから間違いはないのだろうが、私の感覚では、雀がカラスの周辺に気を許して寄ってくるというのはなかなか信じがたい話である。

 いつも行っている老人ホームの複数のツバメの巣にツバメがいないという異変が今年は起こっている。
 見上げるとツバメの巣を乗っ取ったのは雀である。
 野鳥の中では一番人間界に近いところにいる雀だから、人間(政)界のモラルの崩壊まで真似をしたのだろうか。

    ちゅんちゅんと子雀が覗く燕の巣

2017年5月14日日曜日

共謀罪を成立させないように「共謀」しよう

 「一見キノコ採りのようであってもテロの資金にするかもしれないのでこの法律の対象だ」が「磯で貝を採っていてもそうではない」らしい。その違いは凡人には理解不能のロジックだ。
 「写真を撮りながら歩く行為はテロ等準備罪の'下見'にあたるので検挙できる」とも。
 法務大臣の答弁である。なので、俳句手帖などを手に風景を見まわしている歌人、俳人は「一般人」ではなくなるし、双眼鏡とカメラを持ってキョロキョロしている愛鳥家など論外だ。
 『秘密保護法』のとき「何が秘密に該当するのか」との問いに「それは秘密だ」というのがあったが、『共謀罪法案』では「誰が一般人でない人になるのか」との問いに「それは警察が決める」らしい。
 共謀罪法案から治安維持法を想像できないのは常識の欠如ではないかと私は思う。


    熊蜂は息詰まらないエゴの花

2017年5月13日土曜日

一般人が対象

 4月27日の記事で書いたが、現在でも、某自治体の清掃事業部では「〇〇はええ歳をしてお盛んなことだ」というような滅茶苦茶なプライバシーを覗き見している。
 一般人が盗聴されたり盗撮されたりすることはないと信じている方は、世間知らずのお人好しである。
 共謀罪法案は、心を覗き見して権力が好き勝手に「しょっ引く」ことができるようにする法案であろう。


    住宅の夜を裂く鳬(けり)や田長(たおさ)かな

2017年5月12日金曜日

過ぎたるは・・・

   ジャスミンが満開である。
 それにしてもその香りたるや強烈である。
 こういうものは薄めてこそ芳香で、そのままだと「匂い」と書くよりも「臭い」と書く方が合っている。
 ものには程度というものがある。
 何軒か離れたお宅からかすかに漂ってくる程度がいい。
 ちなみに妻は「食べ物の香りを超えている」と言ってジャスミン茶(ティー)が嫌いである。
 きっと『オリビアを聴きながら』には感情移入ができないだろう。
 ジャスミン イコール 芳香というような常套句はいただけない。

   ついでに、奈良の古刹の塀越しのモミジ。
 これも、誰が「モミジは秋」と決めたのだと言いたいが、
 こういうモミジに限って、秋の紅葉の季節にはイマイチだったりして・・・
 自然の方が人間を笑っている。

 新緑の季節に燃える紅葉かな