2016年12月9日金曜日

トルコの現状

 朝日新聞で11月29日に掲載された主に弁護士たちで立ち上げた「一人一票実現国民会議」の意見広告の一部(冒頭部分)を転載すると・・・

 1 エルドアン・トルコ大統領は、軍の一部によるクーデターの未遂事件を理由に、2016/7/20,緊急事態宣言を発し、1ヵ月間に、
 1⃣ 3万5022人を、逮捕・拘束し、
 2⃣ 8万1000人強を、免職や停職の処分にし(CNNニュース)、
 3⃣ 同時に、同大統領は、言論の自由を停止し、報道機関・131社(通信社・3社、テレビ局・16局、ラジオ局・23局、出版社・29社を含む)を閉鎖しました(BBCニュース)。

 2 しかし、日本の新聞、テレビは、【エルドアン大統領の緊急事態宣言の発令に関する詳しい情報】を大きく報道していません。
   そのため、日本国民(1億2000万人)のほとんどは、
 ① 【トルコ大統領が、本件7月に緊急事態宣言を発して強権政治を行っているという事実】にも、
 ② 【緊急事態宣言の怖さ】にも、
 気づいていません。 

・・・・・と記載して、自民党憲法改正案の緊急事態宣言(98条、99条)の危険性を指摘すると同時に、同改憲案47条が「一人一票」を否定し恣意的な選挙区と定数を構想していることを批判している。
 全く同感だ。

 それにしても、自分たちジャーナリズムの根幹に関わるこの問題を日本のマスコミはどうしてスルーするのだろう。
 エルドアンの強権政治を批判することは同種の安倍政権への批判と「邪推?」されないかとびくびくしているのだろうか。

 麻生大臣が「・・・ナチスの憲法改正・・・あの手口に学んだらどうかね」といみじくも教えてくれたとおり、安倍自公政権の強権政治に麻痺したのでは取り返しのつかない明日が待っている。


   今日の記事は少々硬い話になったのでお口直しに拙いジョークをひとつ…
 「実はドイツはアメリカに対抗するために密かにキューバのスポンサーとして同国を支援していた」ことをご存知か?
 それが証拠には、フィデル・カストロはadidas(本社ドイツ・バイエルン州)のトレーニングウェアを愛用してスポンサー契約に応じていた。

   カリブから一報はadidas姿なり

2016年12月8日木曜日

薪カマドの改良

   先日のお餅つき大会では薪(まき)カマドを使って「もち米」を蒸した。
 薪をくべて羽釜でお湯を沸かすのだが、ガス等にはない独特の雰囲気が出る。
 その炎と煙は文句なく人々を高揚させる。

 老人ホーム家族会で話していた際、「餅つきは薪カマドで蒸すと入居者も喜ばないか」と話すと、「それはどんなものですか?BBQコンロみたいなものですか?」と、全くイメージがわかないスタッフがいたが無理もないことだ。

 先日のお餅つき大会で3台用いた薪カマドの内の1つはわが家のカマドだが、妻の実家で使っていた年代もので、非常に単純な、いわば鋳物製の小型ドラム缶に火口があるようなものである。
 だから、ホームセンターで売っている廉価なカマドよりも風格はあるのだが、性能はもうひとつであった。
 そこで今般、次のように改良した。

 ひとつは煙突等がないものだからどうも燃焼効率がよくないので、カマド上部と羽釜の羽との隙間を拡大した。
 安い材料でいろんな方法を試したが、最終的に、余っていた鉄製の植木鉢スタンドの脚を鉄切鋸の刃で切断して逆立ちさせた。

 二つ目は、薪の下に空間を作って空気を流れさせる台=ロストルがないので、ホームセンターでガスコンロの五徳と金網などを物色したが、バーベキュー用の金網代わりのロストルを見つけた。
 問題はその下の空間をどう作るかで耐火煉瓦も考えたが、長さ50ミリのボルト、ナットと直径30ミリのワッシャーで脚を付けた。

 この改良がどの程度有効かは近日試される。
 ホームセンターに行けば廉価な薪カマドが売られているが、それを買ったのではこんな手作りの楽しみは味わえない。

    暮来月(くれこづき)餅つき道具の手入れかな
 

2016年12月7日水曜日

暴走内閣の矛盾

 TPPや年金削減法案の強行採決に続いてカジノ法案まで強行採決という政治を見せつけられると、正直なところ絶対少数の無力感を感じる。
 そんな中、右翼組織日本会議をバックボーンとする暴走安倍首相が、今度は真珠湾でオバマ大統領とともに犠牲者を慰霊するという。
 この見かけ上のギャップは何だろう。
 
 私は感覚的に、「私が安倍首相なら1月総選挙だ」と言ってきたが、そこへ向けての必死のイメージづくりのような気がしてならない。

 アベノミクスの大失敗は誰の目にも明らかになった。中心中の中心人物黒田日銀総裁自身が認めている。
 財政も、リーマンショック直後の2009年度以来7年ぶりに年度途中で赤字国債を発行しなければならなくなった。
 TPPや年金法案の悪法ぶりは日増しに広がっている。
 カジノ法案に至っては、すべての商業新聞が批判している。

 だからこの先、経済のイメージ、他国の悪口だけで保ってきた内閣支持率が高止まりするはずがない。
 一番の忠犬ぶりを担ってきた籾井NHK会長の再選も閉ざされたようだ。
 なので必死で「頼りになるリーダー」のイメージを作ろうと外交の大常識を踏み外してトランプ氏に一番乗りをしたが、これはアメリカ政府から強く叱られた上に、トランプ氏にも「TPPは離脱する」と歯牙にもかけられなかった。
 プーチン氏には択捉、国後を放棄してでも小さな2島返還の感触だけでも匂わせてもらって話題を作ろうとしたが、一般新聞ですらがすでに失敗を見込んでいる。
 そこで最後のイメージ戦略が真珠湾慰霊ではないのか。

 そもそもそれは日本政府の発意でもなく、アメリカの外交問題評議会(CFR)が発行する隔月発行雑誌フォーリン・アフェアーズ・リポートが6月に日本政府に勧めていた行動だし、そこに乗ってトランプ詣で叱られたことへの謝罪というのが本質なのだろうが、統制されたメディアによって見かけは前向きに華々しく報道されることだろう。

 「自虐史観の見直し」と「天皇退位反対」が首相の本心だろうが、選挙のためならどんな嘘でもつく男である。国会で、「自民党は強行採決など考えたこともなければしたこともない」としゃあしゃあと言ってのけたことは記憶に新しい。
 真珠湾奇襲は謝罪せず、憲法解釈は変更し、駆けつけ警護部隊を送り出した。
 その口で「慰霊と平和」を口にするのである。

 唯一安倍首相にとって今ありがたいことは、野党第一党蓮舫・野田民進党の野党共闘への消極姿勢と、面舵いっぱい誘導する連合だろう。
 だから、野党共闘の整わない間に解散総選挙と企んでいると私は推測する。
 と考えると、先に書いた「年度途中赤字国債」も選挙用のバラマキだという底意が見えてくる。

 本来は、日本の首相が真珠湾に行くことは良いことだろうが、マスコミのムードに流されずにその本質を見つめたい。
 暴走内閣は強さの表れではなく、どうしようもない「行き詰まり」の結果であろう。


 谷町筋の谷町8丁目に近松門左衛門の墓がある。
 ビルとガソリンスタンドに挟まれた小さな入口の奥である。
 あまりよくは知らないが、武士社会の行き詰まりと、登場した貨幣経済の、ある種残酷さを感じながら書かれた故にその戯曲は当時の庶民から大きな喝采を得たのではなかろうか。

 現代大阪に二重写しを思うのは穿ち過ぎだろうか。
 大阪市内の公明党代議士3名はカジノ法に賛成した。

    まねき無き門左の墓にも師走かな


 

2016年12月5日月曜日

餅つき大会 復命

   今ではわが町内会最大の行事となったお餅つき大会が盛会裏に終了した。
 昨日書いた「何かあったら」という心配事が「何もなかって」ホッとした。
 全部で19臼搗きあげた。参加者は300人を超えた。

 そんなわけで、なんとなく「自治会主催お餅つき大会」のモデル事業(成功例)のようになり、これから新たにお餅つき大会を始めようという近所の大規模マンション群の自治会からも勉強に来られた。
 マンションとなると、もうほんとうに「お餅つきはしたことがない」という会員ばかりらしい。

 普通には、近頃の自治会というとどこも女性陣が主流になり、社会人になりきれない会社人の参加が少ないものだが、わが行事の最大の特徴は「お爺さん」がたくさん参加しているところにある。
 この爺さんパワーがカマドや臼周りの餅つき行事には欠かせない。
 反対に言えば、回を重ねたお餅つき大会がお爺さんを家から呼び出したと言えるかもしれない。「懐かしいやないか」と。
 会社では管理職であろう40代50代が、餅つき大会では爺さん連中から子供扱いされているのも可笑しい。

 わが街は一言でいえば新興住宅地であるから、ともすれば希薄になりがちな住民どおしの交流がこのように進むのは防災や防犯上も意味があるはずだ。
 「地域の絆」なんて言葉を百回繰り返すよりも値打ちがありはしないか。
 
 さて、昨日の記事で述べた子どもの参加だが、結果としては丸める作業に挑戦した子は少なかった。この原因究明と対策はこの国の未来を左右しないか。
 それでも、つき手の方には何人もが行列を作り、親が記念写真を撮ったりして大いに盛り上がった。女性陣もけっこうつき手に挑戦してくれた。
 反省点もあるが、それは毎年少しずつ進歩すればよい。

     もちつき会年寄の声いきいきと 

 【附録】 蒸して、搗いて、丸めるという餅つきは、黄河流域の、搗いて粉にして、丸めて、蒸すという中華の文化ではなく、長江流域の江南の文化である。

2016年12月4日日曜日

餅つき禁止!?

   昨日は「町内餅つき大会」の準備作業だった。
 ということは、今日は本番になる。

 さて、先週、日本農業新聞が「食中毒防止の観点から餅つき禁止の自治体が出てきて、餅つき行事を中止した団体もある」と報じた。
 テレビの「ちちんぷいぷい」でもよく似た内容の報道がされたし、タイミングよく??わが家のポストに京都府のノロウイルスのチラシも全戸配布された。
 数年前から餅つきを止めた団体も近くに幾つかある。

 この種の話は昨年も書いたことなのだが、わが地域の保健所は何年か前から「登録された特定の人しかお餅を触らないよう」指導してきた。なので、ここ数年、自治会では子どもたちに丸めさせないようにしてきた。私の「反対意見」は通らなかった。保健所は杵でつく人も特定するようにといってきたが、さすがにこれはあまりに馬鹿馬鹿しいので無視してきた。
 また、別の話だが、わが自治会では使用していないのだが、プロパンガスの使用について消防署は否定的な言葉を吐き、薪コンロにするというと、野焼き禁止だダイオキシンだという話が役所から出る。
 ボランティアでイベントをするのもいやはや大変なのだ。

 元に戻って、厚生労働省監視安全課によると、餅つきを原因とした食中毒発生件数の統計はないという。ないのだ、
 もし、統計に基づいて少しでも可能性のあることを禁止するというなら、仕出し弁当や外食産業は全面的に廃業させなければならないことになるだろう。なぜなら、その業種での食中毒は時々報じられている。
 なので結局、弱い者いじめ、小さい者いじめ的に「起こったら大変だ」という思想がこの瑞穂の国を席巻しているわけだ。(またまた横道だが、カジノ法案で依存症が増えて事件を起こすようなことが増えるのはこれは間違いないことなのだが、その件では「起こったら大変だ」と言わないのも不思議だが、それはまあおいて置こう)

 クレーマーが善とされ、「責任者出てこい」を一番恐れる役所にも同情しないわけでもないし、そもそも企業では成果主義が善とされ、「何かが起こったら」減点されるものだから、賢明な選択が「何もしない」「少しでも危険性のあることは止めとこう」「見て見ない振りをする」となるのもむべなるかなである。
 以上のこと以外にも、重い杵で餅をつくのだし、熱湯が行き来するから、餅つき行事はけっこうなリスクがあるのも事実だ。ということを言えばほんとうにキリがない。
 そこでわが自治会だ・・・。

 前述のようにここ数年は「限られた人だけで丸めてきた」が、今年はついに「手洗いの徹底とビニール手袋の使用を前提に子どもたちにも丸めさせよう」と素晴らしい決定をした。
 「伝統だ、文化だ」といいながら何もさせない。ただ見ときなさいではよくないと一致した。
 手洗いが不十分な子供を見つけたら役員でなくても徹底させればいいのだ。結局、世間一般では大人が大人でなくなっていないか。
 他家の子をよう叱れない大人が、見て見ぬふりをして、常に自分を「お客様」の位置においておいて「何かがあったら」クレームをつける。
 食中毒の心配よりも、この国の大人の未熟さの方が私は哀しい。
 わが自治会は偉い!
 今日は本番だ。

    冬ざれや餅つきするなのニュースあり

2016年12月3日土曜日

ヒリヒリ、アツアツ

 私は20代後半には東京にいて、陳建民(1919-1990)氏のグループの店のヒリヒリと超辛くて旨い麻婆豆腐の虜になったが、関西に帰ってからは食べる機会を逸していた。

   そして、それよりも前の20代前半にはよく大阪千日前の珉珉で皮の薄い餃子を食べていたが、これもその後あまり食べる機会がなくなっていた。その理由は別になく、歳とともに少しお洒落な店に行ったからだろうか。
 
 で先日、古書を渉猟しようと思ってわざわざ千日前ビッグカメラ西の天地書房に足を向けたところ、これが移転か閉店をした模様でまるで浦島太郎の気分を味わった。

 そこでいくらか肩を落として千日前周辺を歩いてみると、なんと、珉珉千日前本店がまだあった。
 と驚くのも、昔は戎橋筋と千日前筋を結ぶ東西の少し大きな通りの真ん中に大きな丸い提灯があって、余談ながらその前には「啖呵売」の店があり、その提灯のところを路地に入っていくのだったが、その提灯をもう何年も見ていなかったので、てっきり、「餃子の〇〇」に敗れて閉店したのだと勝手に想像していたからだった。

 なので、即餃子付きの麻婆定食を頼んだところ、餃子は皮の薄いあの珉珉の味の上に、熱々の器に入った四川麻婆豆腐が花山椒たっぷりで、つまり、陳建民流の麻婆豆腐で、猫舌の私はヒリヒリアツアツ、アツアツヒリヒリ喜びながらのたうちまわった。それでいて値段は格安。
 心は一度に20代に飛び、先ほどまでの天地書房肩透かしによる落胆が嘘のように満足した。
 
 家に帰ると妻が「今日は何食べたん?」「オムライス?」「天津飯?」と聞いたが、あの自分史的感動を言葉で伝えることは無理だと感じたので、「内緒!」とだけ答えた。

   青春の店あり味あり冬の暮

2016年12月2日金曜日

ささげご飯

   今年の農作業で最初にした失敗は春の「ささげ豆」の種まきだった。
 その失敗が判ったのは秋の収穫時だった。
 毎年の「ささげ豆」と比べると豆が黒いのである。
 どうも、そういう種類の種をまいたらしい。
 ということなので、少しばかり色の黒いささげご飯になった。
 収穫祭といったところである。

 「赤ご飯」というと、以前に書いたことがあるが父が生きていた私の小さい頃、わが家では甲子(きのえね)の日に大黒様の掛け軸を掛けて赤ご飯を三角錐に山盛りにしたものを供え、湯気で御飯茶碗の蓋がガチャンと落ちると「よかったよかった」というしきたりがあった。
 父母とも亡くなった今は、具体的に何処から来た信仰であったのか解らない。
 寺社で大黒様を見ると、そういうしきたりと繋がっていないかと調べてみたりしたが、も一つ解らない。

 関西では赤飯や赤ご飯はアズキが普通だが、お江戸では割れやすいアズキは切腹を連想するとかで、ささげ豆で作ると本で読んだことがある。焼き魚の基本も背開きだと。
 なので、ちょっとお江戸っぽいわが家の収穫祭になった。
 
 さて、寒波のニュースが流れているが、ミニトマトはまだまだ順に実をつけている。
 「西陽除け」のグリーンカーテンの西洋朝顔も順に咲いている。
 土をいじっていると「事実は小説よりも奇なり」ということが少なくない。

      一年の苦労がこれとささげ飯
 

2016年12月1日木曜日

本丸はISDS

「TPPの本質はISDSだ」バーニー・サンダース
   自公維が強行した会期延長の結果、TPP承認案が成立する可能性が非常に高まった。関連法案は自然成立しないから参議院での攻防がある。

 それにしても、トランプ氏の当選によって発効する可能性のないTPPを強行する自公維は狂気の沙汰だ。
 トランプ氏は、一連の発言からみて、今後強力な2国間協議を迫るだろう。
 そのときに、今回TPP承認という国会決議をしておくならば、このTPPの水準が出発点にされ更なる譲歩を迫られるのは火を見るよりも明らかだから、現与党には独立国のリーダーとしての外交力、そのセンスがゼロだと私は思う。

 そしてそのTPPだが、その本丸がISDS条項だと私は思うのだが、新聞やテレビはほとんどそのことに触れないのにはがっかりする。いや、本丸であるからこそ触れないのだろう。
 ISDS条項というのは、多国籍企業がTPP締結国の国家や自治体を訴えることができる条項で、多額の賠償金を課すことができる。
 その裁判所、裁判官は多国籍企業が担うのである。

 同様の条項で各地で行われた事実を見ると・・・・
 ウルグアイが子どもたちの喫煙を禁止して健康を守る法律を制定したところ、フィリップス・モリス社はウルグアイ政府に高額の賠償を求めた。「我々が子どもたちにタバコを吸わせて金儲けをするのを妨害した」と。

 エジプトが労働法を改正して最低賃金を引き上げたところ、フランスの廃棄物処理会社ヴェオリア社がエジプト政府に1億1千万ドルの賠償を求めた。「エジプト労働者の生活改善は多国籍企業の利益を損なう悪行だ」と。

 スウェーデンの電力会社バッテンフォール社は原発廃止を決めたドイツ政府に50億ドルの賠償を求めている。

 この種のISDS条項を、日本発の多国籍企業は東南アジアやインドやメキシコに対して持っておきたいのだ。

 こうなれば、自治体や政府の上に多国籍企業が君臨することになる。
 国民が民主主義的な討議によって環境基準を定めたり、健康のために薬物を規制したり、国営の健康保険制度を充実したり労働法を改正したりすれば、それらはたちまち多国籍企業のほしいままの利益の障害になるとして賠償させられ、そういう制度を無効にさせられるのである。
 これは単に経済の問題ではなく、各国の民主主義、民主政治を踏みにじるものである。

 トランプ氏の「おかげ」で、TPPが即時発効することは遠のいた。
 なので、このISDS条項の大問題点をもっともっと広く広める必要があるように考える。
 訳も分からず「グローバル化に乗り遅れるな」的な脅迫に踊らされてはならない。

     顔なしに国すべて売るTPP

2016年11月29日火曜日

吊るし柿

 何日か前に渋柿を買ってきて「寒風が来るまでは」とそのままにしてあったが、21日にNHKの「あさイチ」が能登のころ柿づくりを紹介した。
 で、「そろそろわが家も作業をしたら」と妻に尻を叩かれた。
 テレビでは、独特の皮むき器(ヘタ取り器と言っていた)がとり上げられていたが、なかなか個性的なカーブのピーラーだった。
 もちろんわが家にそんなものはない。
 そこで、セラミック包丁で挑んでみたが上手くいかず、けっきょく鉄の包丁で皮むきをしたところ、真っ黒になってしまった。
 柿渋(カキタンニン)と鉄が反応(鉄媒染)したのだが、こんなに見事に反応するとは知らなかった。
 今までは妻が剥いていてくれていたし、今回は妻の外出中に作ったものでこうなった。
 少し熟しかけのものもあったから、上手くできるかどうかは分からないが、少なくとも晩秋から初冬の景色にはなった。
 吊るし柿は小春日和では上手くいかない。





      寒太郎歌う空に吊るし柿

      つむじ風落葉はみんなわが門(かど)
 
 「寒太郎」は「〽北風小僧の寒太郎」。
 季語は「吊るし柿」と「落葉」。
 「つむじ風」が夏の季語なんて無視してはいけないか?

2016年11月27日日曜日

圧巻の古代史学

   9月4日の「読むほどに古代は遠ざかる」に書いた「纒向発見と邪馬台国の全貌」の第2弾である「騎馬文化と古代のイノベーション」(KADOKAWA税別2,000円)を読んでから相当経つが全くブログ記事にまとめきれない。
 内容が豊富すぎる。

 時代は応神天皇からである。
 古事記では父の仲哀天皇が死亡してから10か月後に神功皇后が産んだ子で、あまりに疑わしいからか古事記は「新羅征伐中に生まれそうになったが腹に石をつけて遅らせた」と言い訳のような記事を載せている。
 住吉大社では「住吉の神が神功皇后と結ばれて応神が生まれた」といい、つまりは武内宿禰という論もある。
 そういう細部は置いておいても、常識的に考えて、古事記は政権交代、新王権を示唆しているように見える。

 そしてここからがこの本の内容になるのだが、これまで大和に限られていた宮(みや)が河内、摂津、和泉(併せて河内というが)に建設されたり、巨大な前方後円墳が河内(百舌鳥・古市)に造営された。
 その古墳周辺には、これまでの威信財に代わって馬具や兵器が大量に埋納された。
 それを河内王朝と呼ぶか呼ばないかは別にして、古代王朝の大転換があったことは誰も否定できない。
 そういう大激動の時代を東北アジアと韓半島の政治文化と照らしながら多角的に論じたのがこの本である。
 そんなすごいことをこのブログ記事で紹介など絶対にかなわないので、とにかく面白いので一読をお勧めするとしか書けない。

 面白いといえば、この本の冒頭には江上波夫氏の「騎馬民族による征服説」が特別収録されている。
 上野誠氏は、それは三つの点で不思議な学説だといって、第一に古代史でこれほど著名な学説はない。第二に提唱後70年経った今も再検討されるほど内容がある。第三に学説の一部に支持する学者はいるが学界において積極的支持者が皆無である・・・・と述べている。
 それは、それだけのスケールと魅力があるからだと。

 あとは本に譲るとして、古代の日本を語るとき、唐や隋や百済ばかりでなく、それ以前からの北東アジアの多くの政治文化が多くのルートで入ってきたことを精密な事実を積んで語られている。
 現代社会を考える上でも非常に参考になる。

       古代の朝貢復活させた大臣(おとど)あり

 川柳のつもり。卑弥呼や倭の五王が東夷北狄と競って中華の国に朝貢したのは何時のことか。その時倭の王は並ぶ順番などで大いに争った。先日、就任もしていない皇帝にイの一番に朝貢した首相あり。歴史は喜劇として繰り返すとは誰かの言葉。

2016年11月26日土曜日

グローバル化 やめにしないか

   11月23日朝日新聞のピケティ コラム(仏ルモンド紙からの抄訳)の標題は「米大統領選の教訓 グローバル化 変える時」で、その書き出しは「まずはっきりさせておこう。ドナルド・トランプ氏が勝った要因は、何をおいても経済格差と地域格差が爆発的に拡大したことにある」から始まっている。
 そして、「欧州が、そして世界が、今回の米大統領選の結果から学ぶべき最大の教訓は明らかだろう。一刻も早く、グローバリゼーションの方向性を根本的に変えることだ」とし、「関税その他の通商障壁を軽減するような国際合意は、もうやめにしないか」と訴え、EUとカナダの包括的経済・貿易協定に触れ「投資家の保護のためにはあらゆる手立てが講じられ、多国籍企業は国家を民間の仲裁機関に訴えられるようになる。開かれた公の法廷を回避できるわけだ」と「常軌を逸している」と断じている。
 そうして、「今こそ、グローバリゼーションの議論を政治が変えるべき時なのだ。貿易は善であろう。しかし、公正で持続可能な発展のためには、公共事業や社会基盤、教育や医療の制度もまた必要なので、公正な税制が欠かせない。それなしでは、トランピズムがいたるところで勝利するだろう」と結んでいる。
 
 この論文を、グローバリゼーション推進、TPP推進の朝日新聞首脳はどう読んだのだろうか。
 アメリカの著名な経済学者の指摘を真摯に受け止めるべきだろう。
 多国籍企業が国家さえも呑み込もうとしている局面で、「安い牛肉が食べられる」的な記事はもうやめにしないか。

 今後、トランプは露骨な日米関税・貿易協定を迫ってくるだろうが、TPP賛成と言ってしまった安倍自公(維)政権では「国益」は守れない。 


       木枯らしは耳から先に身に凍みる

 東京に雪が降った日、先に厚着をしたせいか京阪奈のわが家ではそれほど寒いとは感じなかったが、シャッターの戸袋がガタガタと寒波の到来を教えてくれた。
 その音を聞くと気温自体はたいしたことはないのだが、体中がこわばって布団から出られなくなった。

2016年11月25日金曜日

五齢幼虫

   だいぶ以前の流行語大賞ノミネートの中に「キモ可愛い」というのがあったが、そういう言葉はアゲハの幼虫のために使ってほしい。
 写真はナミアゲハの五齢幼虫だと思う。
 まあ、わが家のペットみたいなものである。

 アゲハの幼虫を捕まえて「山椒の匂いがする」という人がいるが、それは八割方正解で、幼虫は山椒の葉(木の芽)が大好物で四六時中山椒を食べているのだから当たり前である。
 ちなみにミカンの木が好きな幼虫はミカンの匂いがする。
 なので青虫の匂いでその蝶の食草食樹がだいたい判る。
 すぐにWikipediaを開くのは待った方が楽しい。

 五齢は終齢でこの後はサナギになり羽化をして蝶になる。
 本格的寒波の前に巣立ってほしいと見守ってきたが、先日から行方不明になった。
 山椒の木は九割方裸になっているから見落としたのではないし、どこにもサナギはない。
 で、一番の可能性というか、ほぼ間違いなくモズかヒヨドリに喰われたものと思われる。
 自然界はある意味残酷で、緑滴る季節には完璧な保護色も、晩秋の裸木では一も二もなく見つかってしまったのだろう。
 もちろん、野鳥はこの家の主のペットだったとは知る由もない。

     保護色のつもり青虫裸木に

2016年11月24日木曜日

我流歳時記離岸

   テレビ番組で待遠しいのはプレバトの俳句教室だが、毎回視聴しながら私は打ちのめされている。
 ある写真を見て芸能人達が俳句を作るのだが、私はというと全くと言ってよいほど俳句が浮かんでこない。
 そんな私の水準をはるかに超えた芸能人達の作品が夏井いつき先生によって批評・添削されるのだが、その切口が文字どおりバッサリで、しかも文句なしに説得力がある。
 で、それを聞きながら私は自分自身に絶望的になる。
 ああ、俳人の脳みそはどうなっているのだろう。

 ・・・・・ しかし、ビギナーズラックという言葉もないではないが、世の中、最初から上手くいくものなどないに違いない。と自分を慰め・・・
 中島みゆきの「ファイト」ではないが、闘わない者の嘲笑よりも、無様でも闘う道を選んで今日まで生きてきたつもりだ。
 と、一念発起して10月10日のブログから、できるだけ記事の尻尾に一句捻ってみることとした。

 読み返すと恥ずかしい。ただただ恥ずかしい。
 いつき先生の言う「ただの散文を五七五に切っただけで俳句を作った気になっている」のだとは判っているのだが、それを止揚できない。
 
 でも・・・・・、小学5年生の夏、私は突然泳げるようになった。遠泳が得意で無限に泳げるような気分にさえなった。運動には練習の積み重ねのうちにこんな飛躍の段階がある。
 いつか、「あれまでは恥ずかしげもなく酷い五七五を公表していたものだ」と言える時がくるだろうか。 「ファイト!」である。

 ただ、金子兜太氏の言葉の中に「虚子の唱えた花鳥諷詠の句ができなくなる時期の来ることを心配している」「季語が無いというので社会を語らないのは冷笑主義・シニシズムだ」というのがあり、大いに勇気づけられている。
 俳句に挑戦し始めたとまでは言えないが、わずかながら離岸したと思っている。
 23日、百均で手帳を買ってきた。

    末端冷え性十七文字が紡げない
            木と木の間に上手く糸を紡いでいる奴もいるのに

 今朝のテレビを観て
    首都の雪臨時ニュースと全国に

2016年11月23日水曜日

詩人には驚かされる

   全く偶然に、たまたま点けたテレビで永六輔の歌を特集していて、さだまさしによる「生きるものの歌」というのが流れてきた。
 六八コンビの歌らしいが全く知らない歌だった。
 メロディーは記憶に残らなかったが、その詩には驚いた。
 その歌詞というのが・・・こうだった。


 あなたがこの世に生れ あなたがこの世を去る
 わたしがこの世に生れ わたしがこの世を去る
 その時愛はあるか その時夢はあるか
 そこに幸せな別れがあるだろうか あるだろうか

  セリフ
  たとえ世界が平和に満ちていても
  悲しみは襲ってくる
  殺されなくても人は死に
  誰もが いつかは別れてゆく
  世界が平和でも悲しい夜はやってくる
  誰もが耐えて生きてゆき
  思い出と友達とそして歌が
  あなたを支えてゆくでしょう

 その時未来はある その時涙がある
 そこに生きるものの歌がある 歌がある
 そこに生きるものの歌がある 歌がある

 六輔さんはお坊さんらしいから、これは全くお経であり哲学書だと私は思った。
 そして、蓮如さんの(白骨の)御文(御文章)よりも私には素直に受け止められた。
 この世を去った人は、思い出してくれる人の記憶の中で生きていく。
 それ以外のことを私は知らない。
  
     悲しみの事実を見据えて生を説く詩人は逝けり
     真理とは悲しきものと六の歌詞(うた) 

 永六輔さんの「明日咲くつぼみに」は2012年10月30日に書いた。
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2012/10/blog-post_30.html