2016年8月28日日曜日

テロ豪雨

   この記事をアップした「いま」は雨かも知れないが、先日来我が街では猛暑が続いていた。
 テレビでは生駒山の西側や奈良県南部の大雨洪水警報が度々報じられたが、どういう訳か我が街は上手く外れていた。

 この頃はゲリラ豪雨という言葉をあまり聞かなくなったが、報じられているところでは今年の豪雨はもっとピンポイントで発生している。テロ豪雨みたいだ。

 25日もそんな日だったから、庭の水やりをしてから孫をクルマで送って行った。
 すると、ちょうど奈良市街あたりにテロ豪雨が見てとれた。それが車内から窓ガラス越しに撮った写真で、ほんとうにピンポイントで雨が降っている。

 車内で「本当にピンポイントやね」と話しながら走ったが、道路は少々渋滞で、そのうちにフロントガラスに小さな雨粒が落ちてきた。
 そして、到着して駐車場から玄関まで行く段になって、一瞬にして大粒の豪雨になってしまった。ああ。
 テレビで報じられていたピンポイントもこうだったのだろう。
 それにしても何というタイミングだろう。ああ、あの渋滞がなかったなら・・・・・、

 そして、帰りしなには小雨になったので、家に向かって快適にクルマを走らせた。
 で、ご想像のとおり、ほとんど雨上がりのドライブを終了し、わが家に到着した途端、ドアからガレージ、ガレージから玄関まで走るのを躊躇わせるほどの豪雨になった。何ということだ。

 この日の雨は、地図上のピンポイントではなく、レーダーによる爆撃の如く、私を狙い撃ちにしたような感じがした。
 やっぱりテロ豪雨である。

 ただ、非常に汚れていた車体が綺麗になり、洗車の手間が省かれた。

2016年8月27日土曜日

負けて泣く

   オリンピックつながりで思ったことを書いてみたい。
 高校野球ともダブっている。
 「何時から日本人はこんなに〝負けたときに泣く”ようになったのだろう」という疑問である。
 「従来の〝負けて涙を見せてはいけない”的な社会規範こそがタテマエ社会の象徴なのであって、悔し泣きできる今の方が素直で自然なんだ」という意見もあるだろうが、個人的には「負けて泣くな!」とテレビのこっちで呟いている。

 どちらかというと私は涙もろい方である。映画やテレビで感動した場合には泣いてしまう。だから、金メダルであろうとなかろうと、勝ったときに泣く感情はよく分かる。そういう選手を見てこちらも感動して涙が出ることもある。
 しかし、負けたことで泣くメンタルが私には解らない。そんなときは〝心の中で泣いて”納めるべきではないのか。
 もしそれが、周りの重圧へのお詫びの涙だとしたら、一層鼻白む。

 妻に「面白いよ」と教えてもらった朝日新聞25日夕刊の三谷幸喜さんのコラムが愉快だった。
 マラソンの福士加代子さんの14位で終わった後のインタビューについてで、
 「金メタル獲れなかったああああああ」と笑いながら叫んだそれに、その態度が不真面目だとパッシングが起っていることに「これが目くじら立てることなのか」と反論している。
 福士さんは国内大会のときも「リオ決定だべ」と言ったが、これらを三谷さんは「照れ屋さんなのだろう。それに何か面白いこと言わなければ気が済まない性分が加わり、こうしたコメントになるのではないか」と分析し、当たり障りのない言葉に逃げない素晴らしさ、非難する人が出ることを分かった上で受けて立つ度胸と褒めたたえている。
 三谷評あっぱれ! このコラムにメダルをあげたい。

 それよりも、彼ら彼女らをして号泣させた歪んだ「周りの重圧」こそ分析し批判しなければならないのかもしれないが、それほどスポーツ界に詳しくないのでそれはおく。

 重ねて言うが、おじさんは思っている。 負けて泣くな! 勝って泣け! 

2016年8月26日金曜日

君が代について

   オリンピックの感想に続いて「君が代」についての私見を書いてみたい。
 「君が代」の歌について、戦前は「君」とは天皇のことであるとされてきた。これは100%まぎれもない事実である。
 なので、新しい憲法下でそういう歌を踏襲するのは適当でないとの主張は至極妥当なことである。(先日の象徴天皇のお言葉を思い起こすだけでも理解できる)

 ただ、政府見解などは別にして、純粋に偏見なく学問的に検討すればどうだろうか。
 その一番の基となるのが古今集の「我が君は千代に八千代に・・・」だろうが、だとすれば、その古今の「君」は「あなた」であることは明らかだ。
 「我が君は・・」が「君が代は・・」に変形した鎌倉時代の和漢朗詠集の伝本(それ以前の和漢朗詠集は「我が君は」のまま)も、「君が齢」であり「あなた」であることを疑う必要はない。
 このため、この歌詞は後で述べる隆達節をはじめとする流行り歌・祝い唄としてその後も折々に一部変形したりしながら採用され歌われてきたと思われる。

 なお、中近世には、天皇の御代、将軍の治世の意味で「君が代」と歌われた和歌が皆無ではないが、圧倒的には「君が代は」と歌われた和歌は前者の「君が齢」として歌われてきている。

 さて、今日に繋がる「君が代」について、世間の通説では薩摩の大山巌が薩摩琵琶歌「蓬莱山」の中から採ったと言われているが、彼自身は「平素愛誦する君が代の歌を提出した」と言っているだけである(大山の副官林田芳太郎覚書)。
 「薩摩琵琶歌からだと思う」と言ったのは後の文部官僚和田信二郎で、「君が代と萬歳」に書かれているがあくまでも和田や大山周辺の想像の意見である。
 しかも、蓬莱山の歌詞を見ると、その中の一部に「君が代は・・」と出てくるが、「・・苔のむすまで命ながらへ・・」と続くので、和歌として独立していないから、この通説の信ぴょう性はないとは言わないが結構低いレベルと思われる。

 それにしても、戦前の国定の見解は「蓬莱山」から採ったというもので、「天皇の御代」であったことは間違いない。
 それを学校教育で徹底したことも間違いない。
 という事実を重視すれば、議論の余地はないかもしれない。・・・しかし、

   一呼吸おいて検討を進めれば、「蓬莱山説」よりも、今の「君が代」の歌詞にドンピシャなのは小唄等の基となった隆達節である。
 江戸初期に堺の僧高三隆達(たかさぶりゅうたつ)が始めた「隆達節」のいわばイの一番の歌詞がこれで、なのでその「君」が「あなた」であることは議論の余地がない。

 なお幕末頃には隆達節がリバイバルで流行ったと言われている。
 だから最も蓋然性の高い推測をすれば、大山たち薩摩の兵隊が江戸~薩摩の旅の要所要所の遊里で習い覚え歌っていた流行り歌(隆達節~小唄)こそが「君が代」の母であろう。

 もう少し想像の翼を拡げれば、当時の薩摩の海外(琉球)貿易の拠点は堺であって、その頃の堺は薩摩と非常に密接な地であった。
 隆達節の故郷堺の遊里で、薩摩武士がこの「君が代」に親しんでいなかったと想像することの方が難しい。

 別の角度から考えると、「蓬莱山説」だとしても、その中の古歌としての「君が代」は古今集~和漢朗詠集~隆達節等の種々の流行り歌の引用であるから、この古歌の「君」は何かと考えると、「あなた」だと言って大きな誤りはないのではないか。

 以上の諸事実を押さえると、非学問的な戦前の誤った解釈(「君」とは「天皇」)を「誤りである」と国民的規模で正しく理解するとすれば、この歌詞はそんなに悪い歌詞ではない。と、私は思うのだが・・・
 恋歌として流行った側面もあるが、基本は「あなたの長寿を願う」祝い唄だと思うのだ。
 ただし、戦前の歴史の垢が付きすぎていると思うか、古臭いと思うか、「遊里の恋歌の側面が強い」と思うか、旋律が嫌だと思うかという好みの問題はある。
 さらに、それを歌うことを強制し、罰するなどというのは三流の独裁国家のすることだし、してはならないと考える。

 また、現に教員等が「歌え」との強制に異議申し立てをしただけで各種処分がなされている等々の現状からみてそんな簡単に「偏見のない検討」などできないという意見も解らないわけではないが、権力者の非科学的非学術的見解に機械的に反発して検討を停止してはならないような気がしている。
 思いきってこんなことを書いてみたのも、日頃頭の中に「メッセージの伝え方」という問題意識があったからで、民主的な人々がもっと自由闊達に議論する必要があると考えて、小さい石ころを投げてみた次第である。

2016年8月25日木曜日

オリンピックと君が代

 「オリンピックの君が代は、ついて歌うこともできないほど無茶苦茶にスローテンポやった」と、友人から教えてもらった。
 興味のなかった私には初耳だったのでネットで調べてみると、それはJOCが用意したもので1分17秒とあった。
 NHKの番組終了時等に流れるのが57秒らしいからスローテンポであったことは間違いなさそうだ。
 ただ、法律にはテンポの定めがないということも知ったから、テンポは好みの問題かもしれない。

   23日に朝日新聞が「スポーツと国歌」を大きく取り上げていた。
 私には志田陽子氏の指摘が一番深い考えに裏打ちされているように思えた。
 氏の発言を読むと・・・

 オリンピック憲章第6条に「オリンピックは・・・選手間の競争であり、国家間の競争ではない」とあること、
 同憲章で国際オリンピック委員会と組織委員会が国別のランキング作成を禁止していることなどを指摘していて目から鱗の感がした。

 続けて、歴史を振り返れば、ナチスのようにスポーツや芸術が国威発揚や戦意高揚に動員されたため、五輪憲章も日本国憲法もその反省に立っているとの指摘も重要なことだろう。

 なので、東京の組織委員会会長森喜朗元首相が「国歌を歌えないような選手は日本の代表でない」発言を大変残念なことだと批判していることは当然のことだと私は思う。
 森喜朗氏はオリンピック憲章や日本国憲法の精神をわきまえておらず、その職責に相応しくない。

 なので、森発言をはじめ、NHKが番組でオリンピックの意義を「国威発揚」だと堂々と不適当に解説したことや、民放も含めてやたらに「日の丸を背負って」というような言い方を繰り返したり、メダル至上主義の放送を繰り返したことを、オリンピックの個々のシーンに感動した人々はやはり理性的に批判する必要があるだろう。

 自分の所属する集団や国や民族の活躍を喜ぶのは普通のことだろうが、過度にそれを強調するのは後進国(民族)だし田舎者だと私は思う。
 というよりも、全体主義やヘイトスピーチと紙一重になる危険性を現代人は噛みしめる必要がありはしないか。
 手放しのスポーツ礼賛、スポーツマンシップという言葉の多用の陰で、多くの種目で、勝利した日本人選手が、ともに闘った他国の選手に挨拶もせずにはしゃいでいた方が見苦しいし、その種の指摘がメディアから聞こえてこないのも悲しい。(一部の選手は試合後に互いの健闘を讃えていたが)
 
 今回は柔道の吉田選手が銀に終わったことで見ていられないほど落胆していた。
 過去には同じように期待されながらメダルが取れなかった選手が、国賊とまで批難され、ノイローゼになったという話も少なくない。
 テレビを見ながら、日本という国の程度は辺境の後進国のままだろうかと寂しくなった。
 「君が代」については明日に続く・・・

2016年8月24日水曜日

地蔵盆 夏の終わり

 フェースブックは「今日は〇〇さんのお誕生日です。お祝いのメッセージを送りましょう」と、私のフェースブック友達の誕生日を知らせてくるが、全く余計なお世話だと思って対応したことは一度もない。
   そのフェースブックに、見た覚えのある写真が掲載されていた。
 そういう「お世話」のひとつで、「貴方が3年前に投稿した写真です」という。
 大阪の街を歩いているときに撮った、典型的な町内の地蔵盆の写真だった。

 地蔵盆は、多くは町内の小さなお地蔵さん単位で行われるお祭りで、旧暦の7月24日に行われる。
 それを大阪では、月遅れの8月24日に行い、後に知ったことだが奈良市では新暦の7月24日に行うところが多い。
 多くは町内のお地蔵さんであるから境内などがあるわけがなく、お地蔵さんの前の道路上にいすを並べて、道路上に提灯を張るのである。道路交通法より上位の慣習法と言えるだろう。
 大人たちの短い読経があり、その後子どもたちは盆踊りをし、メーンは西瓜を食べたりジュースを飲んだりで、最後は花火をして、たくさんのお供えのお菓子を貰って帰るのが私の知っている地蔵盆だった。

 わが家には道路に向かって道祖神がある。
 友人の僧侶に開眼法要の読経もしてもらった。
 いつかこの「なかよし地蔵」で地蔵盆をしたいと思っていたが、しないままに今日に至っている。

 小さい頃、地蔵盆は夏休み最後のイベントだった。だから、半分は「もう夏休みが終わってしまう」という寂しい気分が背中に乗っていた。
 そんなことを思い出したのもフェースブックの余計なお世話のせいだから、「余計」ではなかったと言っておこう。


   スノウさんから、オオルリのヒナが成長して巣立ちしたという右の写真をいただいた。
  コメントは8月9日の「オオルリが孵った」の記事にいただいた。
 (http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2016/08/blog-post_9.html)
 スノウさんはオオルリの子育てのためにこの夏の別荘利用は相当遠慮したらしい。
 爽やかな山の風をいただいた。
 
 地蔵盆といい、巣立ちといい、気温は高いが確実に夏も終わりだという感じがする。

2016年8月23日火曜日

やはり8月

 先日から、ある会報の編集に係っていると、意外なほど、寄稿者から寄せられた原稿の多くが戦争や軍隊に関するものだったので、改めて少し驚いた。
 生活や福祉の課題よりもそうなるのは、それだけ戦争法の具体化や改憲の危険性が感じられているからだろうか、それとも、8月という月がそうさせるのだろうか。
 そんなことを思いながら22日付の朝日俳壇、朝日歌壇を読むと、戦争だけではないが・・・

 五七五の旅に出ようか風天忌 (津市)西 をさむ 
 かなかなや殺(あや)めざる人至高なる (高岡市)野尻徹治
 遅かりし玉音にして原爆忌 (三木市)酒井霞甫
等の句が目についた。そして、

 「石棺」は取り消されても語の陰の見えぬ廃墟の見えてくる夏 (福島市)青木崇郎
 水田にフレコンバッグが連なって避難解除は机上で進む (会津若松市)赤城昭子
 自衛隊は軍隊ならず隊員は戦争に行かずとお見合いしたり (松戸市)猪野富子
 障害を持つも老いるも一つこと排除の刃われへと向きぬ (長野市)栗平たかさ
等の歌も・・・

 もちろん、風刺だけに句や歌の意味があるわけでもないだろうし、
 扇風機似合ふ夫婦となりにけり (長野市)懸 展子
 夕立は来ぬと見切りて水を遣る (東かがわ市)桑島正樹
 ビーナスの誕生となり天花粉 (東京都)大網健治
等もクスッと笑えてよかった。

 触発されて川柳もどきの俳句を作ってみた。
 「どうやろか?」「恥をかいたらええのん違う」と妻が言ったので、先の会報の原稿の一つにした。
 二重投稿はあかんので、会報が発行されてから掲載したい。・・というほど大層なものではないのでこの話は忘れてもらいたい。

2016年8月22日月曜日

ツクツクホウシとギンヤンマ

 19日に奈良公園の吉城園を覗いた。
 いつもの池にオタマジャクシは泳いでいたが、子蛙は一匹も見つけられなかった。
 前々日に大雨があったから、それに乗じて森に帰って行ったのだろう。
 庭師の方に聞くと、昔は少し森の方の「茶花の庭」あたりの草原に親蛙がいくらもいたという。
 しかし、雑草は庭園に相応しくないと手入れを徹底し、挙句は除草剤まで使用してからめっきり見かけるのが減ったらしい。
 
   気を取り直して庭園を散策した。
 萩の花が美しく、季節は秋だと実感した。(立秋は過ぎた)
 蝉も選手交代らしく、昼間の代表はツクツクホウシに代わっていた。
 先日はヒグラシを書いたが、ツクツクホウシの鳴き声も味わい深い。
 ただ、昼間ということもあり、残暑とセットでイメージされるから、ヒグラシのようには寂しい気にはならない。

   大きな池をギンヤンマが悠々と旋回していた。
 子どもの頃、捕獲するのが非常に難しかった代表だ。
 オニヤンマほどではないが結構大きく、色はというとオニヤンマよりも格段に綺麗なヤンマだ。
 妻と話していたら、家の中でギンヤンマを糸で結んで飛ばして遊んでいたらしい。
 結構やるではないか。

 先週は吉城園に行かなかった。病院の都合で来週も行く予定がない。
 2016モリアオガエル日誌も、このように何となくフェードアウトしていくのだろうか。

2016年8月21日日曜日

メッシュベスト ピンからキリ

   天気予報では「今日の最高気温は38度でした」というようなニュースが近頃続いている。
 記憶違いかもしれないが、私が小さかった頃は暑い暑いと言っても33度までだったような気がするのだが・・・
 「地球温暖化」に異論を唱えている人もいるが、私は素朴に「温暖化している」と感じている。
 各種データも北極海の氷もそれを示している。

 そんな熱い夏に外出するときには、少なくとも財布、小銭入れ、免許証と各種カード入れ、スマホ、家や自動車のキー一式をどのように持つのかが悩ましい。
 場合によっては、ピタパの入った名刺入れ、自転車のキー、ペン、メモ帳も加わる。
 もっと加わるときには、バッグなりザックなりを利用するが、そうでない場合、ズボンのポケットでは溢れかえる。
 だからといってポケットのついた上着を着るのは暑過ぎる。

 なので私は、メッシュのベストを2着持っており、そのポケット機能を活用している。背中は全面的にメッシュである。
 今回、そのうちの1着に入れてあったボールペンのインクが染み出してベストを大きく汚してしまったので、買い替えることにした。

 先ず、格好のいいイメージがあったのでモンベルに行ってみた。
 結構多機能のかっこいいトレッキングメッシュベストがあったがその値段は12,500円+税だった。
 そこで、私の中の「大阪のおばちゃん的要素」に火がついた。
 お洒落着でもないからこれは何が何でも高すぎる。
 それに、背中(腰)の地図帳も入る大きなポケットは暑さ対策上は全く余計なお世話だ、と。

 さて、経験的にいうと、カラビナをはじめ登山道具と大工道具には大いに共通点がある。
 ならば、少々カッコは悪いがコーナンなら屋外工事従事者用のもっと安いのがあるはずだ。
 と考えて、数日後コーナンに寄ってみると、私を待ってましたとばかりに売れ残りが数点ぶら下げられていた。
 値段は680円+税だった。

 「安もん買いの銭失い」という諺があるが、失って後悔するほどの値段にも至らない。
 惜しむらくは肩の部分までメッシュであって欲しかったがしようがない。なにせ680円だ。
 東京のお方はこういう記事を「馬鹿じゃないの」と思うようだが、大阪人は何故か自慢したくなるのである。

2016年8月20日土曜日

核先制攻撃容認論

クリックすると拡大できます
   15日付けのワシントン・ポスト紙が報じたところでは、オバマ大統領の検討している核兵器先制不使用宣言に対し、安倍首相が「北朝鮮のような国々への抑止力が弱まる」と、米太平洋軍司令官に反対の意思を表明した。

 安倍首相の論理は、「そんなきれいごとでは相手に弱そうだと舐められる」というように肩をイカラセル中学生の不良グループの論理だと私は思う。

 一般的な自衛権のことを考えると、日本国内で日本国民の危険が現実のものとなった場合は、警察、海上保安庁、そして現状の自衛隊の自衛力で対処すべきだろう。
 だが現実は、周辺国との国境線をめぐる意見の対立はあるが、それ以上の危険が何処に生じているだろうか。
 冷静に考えて、国境線をめぐる対立は外交の力で粘り強く対応するしかない。
 
 次いで自衛権と核兵器の関係でいえば、先進各国や国連でも、地球を壊しかねない兵器、非人道的兵器は自衛権といえども容認できないというのが世界の趨勢だろう。
 毒ガス兵器の禁止などはそのひとつであり、その論の延長で核兵器の全面的禁止をどう展望するかというのがオバマ氏をはじめとする各国首脳の課題となっている。
 「悪い奴を懲らしめるための戦力ならすべてが許容される」というなら、毒ガス兵器禁止協定も不当なものということになる。

 そもそも防衛白書さえ、北朝鮮の核開発は「米国の脅威に対抗する独自の核抑止力が必要」と考えているからだと、主には米朝間の不信の連鎖だと認め、核抑止力論では際限なく軍拡するしかないことを認めている。
 重ねて言うが、だから冷静な議論が大切だ。
 核不使用共同声明は国連加盟国の8割、155か国が賛同しているのだ。

 余談ながら、先日来尖閣諸島沖に中国漁船が大挙押しかけ中国公船も混じっているとNHKが大々的に報じていたが、その場所は日中漁業協定に基づく暫定措置水域で、禁漁期明けに中国漁船が押し寄せ、それを取り締まる中国公船が来ていることは全く持って不思議なことではない。
 この水域で中国漁船が漁をすることも中国公船が来ることも日本は認めて協定しているのである。
 それを、まるで中国船団が領土を侵略しに来ているかのように報じることは怖ろしい思想統制ではないか。

 18日付け朝日新聞にピーコさんのインタビュー記事があったが、そのくだりに・・・
 永六輔さんのNHKの追悼番組に出て、「永さんは戦争が嫌だと思っている。戦争はしちゃいけないと。世の中がそっちの方向に向かっているので、それを言いたいんでしょうね」と言ったら、そこがばっさり抜かれていた・・・と書かれていた。

 現実にこの国がおかしくなっているのは、オバマ大統領の核兵器先制不使用宣言ではなく、安倍首相の憲法改悪の蠢動と、その提灯持ちをして国民を煽る「国営放送」だと私は考える。

2016年8月19日金曜日

掃除機の買い替え

   永年使用してきた掃除機のプラグ周辺が発火しそうなほど熱く感じるのが大分以前から気になっていた。
 ちょうどストックしてあった紙パックもなくなったし、そろそろ買い替え時かと思いネットで掃除機の品定めを始めた。
 しかし、ネット上の情報はどちらかというとイメージばかりで、大袈裟にいうと写真と値段の一覧のようなものだった。
 テレビのCMが記憶にあったジャパネットたかたもそうだったが、その中でまあまあ値段は安い方だと感じられた。

 そのため家電量販店に行き、「何故こんなにいろんな種類があり値段の幅があるのか教えてほしい」と尋ねてみた。
 その結果解ったことは、大きく分けて従来の紙パック式、サイクロン+フィルター式、二重サイクロン式があるということで、集塵力にはそれほど差がないということだった。
 あえて言えばサイクロン式には紙パックの購入の必要がないこと、後者に行くほど排気が綺麗であることぐらいで、後は布団掃除等の付属器具の多少であった。

 そこで単刀直入にスマホでジャパネットたかたの売れ筋クリーナーを見せ、このレベルで対抗できる品はどれかと聞いてみた。
 答は、ジャパネットたかたのは二重サイクロンの少しだけ古いタイプだが、付属器具を含めて対抗できる商品はないということだった。
 端的に言えば、家電量販店の店員が、ジャパネットたかたの方が安いと認めたのだ。
 店員の説明代としてよく似た商品を購入してやることも考えたが、後後の使い勝手も考えて家電量販店を後にした。

 帰宅してネットで購入したら翌日には到着した。
 ジャパネットたかたを初めて利用したが、この件に関しては不満はなかった。
 段ボール箱は凜ちゃんのベビーベッドに変身した。作品のオリジナリティーを尊重して修飾は控えている。
 量販店の丁寧に教えてくれたお兄さん、ありがとう。

2016年8月18日木曜日

朝日新聞にひと言

   17日付け朝日新聞大阪版夕刊にシリーズの「関西遺産」というコーナーがあり、関西弁で七を「ひち」と呼ぶことについて大きく取り上げられていた。
 大きな写真は天神橋筋七丁目商店街で、アーケード正面の大きな看板には「てんひち」と書かれていた。
 それに対して意外に思ったというか、半分腰を抜かしたのは本文中の京都の七条商店街振興組合理事長で、「ななじょう」との対応の話ではあるが、「しちじょうを守りたい」と答えていた。
 関連して、七条通り沿いの店10軒では、「しちじょう」が4軒、「ななじょう」が5軒、「ひちじょうかしちじょう」が1軒ということだった。
 
 大阪では、かつて質屋の看板は「ひち」と大きく書かれていたから、その感覚からすると京都の七条は「なんと矜持がないことよ」と思ってしまう。
 「ななじょう」のことは置いておく。

 こんな記事を書くのも、2011年のことを思い出したからである。
 当時、土曜か日曜の特別版に文芸かなんかの著名人の寄稿がシリーズとしてあった。
 その中で、上方唄(端唄)の「松づくし」が載っていた。
 先ずはその歌詞を書いてみる・・・
   一(いっ)本目には池(いけ)の松
   二(に)本目には庭(にわ)の松
   三(さん)本目には下(さ)がり松  四本目には志賀の松  五本目には五葉の松  六つ昔は・・  七本目には姫小松・・・・
 で、なんとその七本目に「しち」とルビが振ってあったのである。
 お気づきのとおり、「い」と「い」、「に」と「に」、「さ」と「さ」と掛けていくのであるから、姫小松に掛けるためには「ひち」でなければ成り立たない。事実、東京であってもこの歌は「ひちほんめ」と唄う。

 私はこれは筆者が付けたルビではなく、朝日新聞東京本社の校閲部あたりが付けた大失策だと考えた。
 想像だが、普通に大新聞が七にルビを振るだろうか。思うに、もしかしたら著者は正しく「ひち」とわざわざルビを振っていたのではないだろうか。だとすれば、至極当然で著者の心配りさえ感じる。
 それを、校閲部あたりの馬鹿者が、「こんな間違いは通せない」「標準語を教えてやらなければならない」「でないと朝日の権威が失墜する」などと思い違いをして、「しち」というルビになったのでは・・・などと想像するのは的外れだろうか。

 なので私は、朝日新聞大阪本社宛にファックスでその誤りを指摘し、電話もした。
 しかし、朝日新聞からは私あてに何ら回答もなかったし、そのシリーズの続編で訂正等の記述もなかった。
 なのでそのとき、朝日新聞には「誤りを素直に認めない傲慢さがある」と私は記憶した。
 
 「ひち」の話は、井上章一さんの「京都ぎらい」にもあったから、出版元の朝日新聞出版にもこの経緯(いきさつ)を読者の声欄にメールした。

 朝日新聞はもう少し謙虚になるべきだ。「七」という漢字が「しち」だというだけの理由なら、大阪の「十三(じゅうそう)」は「じゅうさん」とルビを振るのか。
 17(じゅうひち)日の記事を読んで、忘れていたそんなつまらないことを思い出した。

2016年8月17日水曜日

お盆の送り火

   京都五山の送り火は立派な行事だが、我々遠くの者からすると舞台の向こうで演じられている催しのような気がしないでもない。
 そんなものだから、観客ではなく主体的に、ささやかな送り火を庭先で焚いた。
 
 この間から、誰もが当然と思っている共通認識も50年~70年経つと歪んでしまう※ことがあると書いてきたから、ただただ記録だけのためにお盆の思い出を以下に書いておくと、(※日本史の森をゆく) 
 旧堺市街に住んでいた我が家では、お盆の最後には市(いち)小学校近くのお寺に参るのが決まり事だった。
 おぼろげな記憶を頼りに地図を探してみると、一光寺だろうか。私の記憶はもう飛んでしまっているので確定的ではない。

 絵を描いた燈籠が提灯のように飾られ、とても賑やかな行事だった。
 ここへ、家々からお盆のお供え物を持って行き、経木なんかと一緒に川に流してもらうのである。
 精霊流しの一形式だっただろうか。昭和30年代までのことだった。
 現代の地図でも、一光寺のすぐ近くに旧堺を取り巻く濠である土居川があり堺港への川筋があるからここであった可能性は高いと思う。

 なので、お盆明けの大浜海水浴場にはその種の漂着物が流れついていた。
 ということもあり、さらに土用波もあり、普通は海水浴はお盆で終了というのが一般的な了解事項だったような気がする。(ただし私は夏休みいっぱい泳いでいた)

 ゴミではないがその種の物を川から海へそのまま流すのは如何なものかということで、「精霊流し」はほどなくなくなった。
 なので堺で精霊流しがあったという、こんな話もそのうちに「なかったこと」になってしまうかも知れない。

 精霊流しといえば少し違うが、昔8月6日にヒロシマの太田川で原爆死没者を慰霊する燈籠流しに参加したことがある。
 送り火ではないが、こういう行事への参加を通じて世代の継承もできるような気がする。
 私も多感な時代に原水爆禁止を胸に刻んだ。

2016年8月16日火曜日

蜩のカナカナカナカナ

 お盆の14日、甲子園の高校野球が雷で一時中断していた頃、珍しく我が家周辺でも少しばかりの夕立があった。
 一瞬だったが、ちょっとした突風が吹き周囲が結構暗くなった。
 そして、その分厚い雲が過ぎようとしたとき、わが家の庭でヒグラシが大きな声で鳴き出した。
   ひと雨のあとのかなかなしぐれかな 佐々木タ加子  ・・だった。

 ツクツクホウシもいいけれど、蝉の中でもヒグラシの声は別格だと思う。
 そんな気分を、先人はいったいどう感じていたのだろうとふと考え、幾つかの書籍をめくってみた。
 そうすると、鴨長明が方丈記の中で「方丈の庵」の環境を説明するくだりに、「秋は、ひぐらしの声、耳に満てり。うつせみの世を悲しむかと聞こゆ」とあった。
 私には、これが一番しっくりと理解できた。
 やはり、ヒグラシは寂しい夕暮れと重なる。
 西行にも、「ひぐらしの鳴く山里の夕暮れは風よりほかに訪ふ人もなし」がある。

 だいぶ以前のことになるが、避暑地でヒグラシの大合唱を聞いたことがある。
 それが、もちろん夕暮れにも鳴くのだが、私が驚いたのは早朝にも大合唱をすることで、私はそれをそのとき初めて知った。(その後は我が家でも早朝に聞いている)
 そしてペンションのオーナーのいうのには、「朝方にヒグラシを聞くと、また暑い一日が始まるのかとうんざりする」というのだから、同じヒグラシの声でも時と場所・人によって感じ方はそれぞれだという感慨を深くした。
 寂しさや無常観の欠片もない話だった。
 だから、ものごとは固定観念(ステレオタイプ)で見てはならぬと反省させられた。

 それから随分時も経った。
 世の中を見ると若い頃信じていた「進歩」があまり実感できないというか、それどころか行く末に心配ばかりが気にかかる。
 なのでどうしても今の私は、あのカナカナカナカナが、やっぱり「うつせみの世を悲しむかと聞こゆ」に感じてしまっている。

2016年8月15日月曜日

今日8月15日

 先日来私は、東京大学史料編纂所編「日本史の森をゆく」(中公新書)を引いて、ある事実の共通認識が事件後70年を経ると大きく変化することがあるということを紹介してきた。
 そして今日が、敗戦後71年の節目になる。

 事実、稲田防衛大臣は日中戦争~太平洋戦争について、それが侵略であったかどうかは一概に言えないと、歴史を修正しつつある。
 蛇足ながら、ヨーロッパで歴史修正主義というのは、ナチスのホローコーストがなかったという主張と同義語であり、民主主義と相いれない幼稚で危険な主張というのが「共通認識」であることを付言しておく。

 さて、各自が自分自身の胸に手を当ててみれば容易に想像できるが、被害体験を語るのも辛いだろうが加害体験を語ることは何百倍も何千倍も辛いことだろう。
 そうして戦争体験者は口を閉ざしたまま墓場まで持って行ったに違いない。
 それをいいことに、日本会議の櫻井よしこなどは「日本人がそんな酷いことをするはずがない」というような非論理的でかつ苦しい加害体験を癒すオブラートで、侵略や加害の事実をなかったことにしようとしている。

 作家百田の「家族や愛する人の為に命をささげた」というストーリーも大局的にみれば歴史の修正だと思う。

 では事実はどうか。
 海外での事実は少なからず語られているのでここでは少し視点を変えて沖縄を見てみる。

 戦後が終わっていないといわれる沖縄では、今も辺野古や高江で暴力的に住民を排除して米軍基地を整備しつつあるが、宮古島での戦争体験を短歌にして発表してきている大正2年生れの高沢義人氏の戦争体験記にはこういうくだりがあった。
 『住民と兵士が同じ壕に避難しても壕の奥に兵士、手前に住民を追いやりました。・・・飢餓がひどくなると・・・兵隊は民家に徒党を組んで泥棒に入った。農民の貴重な財産である家畜を奪い、食糧を奪い。・・・極めて悪逆だった。軍は兵士の強盗を黙認しました』と。

 『元日本兵が語る「大東亜戦争」の真相』(しんぶん赤旗社会部取材班)には、それの何層倍もの人体実験、試し斬り、刺突訓練、強姦と証拠隠滅のための焼き殺し、大量虐殺と口止めの事実が実名で語られている。
 満州からの引揚げの様子では、「敵に居場所が分かるから」ということで親に子どもの殺害を命じたこと、一般居留民だけの列車を、「足手まといになるから」と日本軍が爆破したことなども証言している。

 また戦争体験記に共通して指摘されていることは強烈な悪臭であり、もしイラク戦争やシリアの空爆等のテレビが悪臭を発したならば、余程今とは違う世論が形成されていたことだろうと私は思う。
 
 だが人間には知恵がある。その実体験がなくても想像できる知恵がある。
 戦争を知らない世代はその知恵をフル回転するべきときにある。
 今日は8月15日。