2018年2月25日日曜日

怠け者ほど勇ましい

   政治学の長澤高明氏を講師に、こじんまりとした憲法問題の学習会に参加した。

 一般に「改正回数が多い」と言われるドイツ憲法は(だから日本も改正せよという意見があるが)、ドイツでは日本でいえば普通の法律レベルの事柄が基本法(憲法)に書かれているからそうなるのであって、ドイツでも日本の憲法レベルの基本条項の改正は全くされていないとの話は新鮮だった。もっと勉強しなければと思った。
 
 また、「新法は旧法を破る」という法律論の大原則を知らない訳ではなかったが、日本ではこれまで新しい法律の制定に際しては矛盾したり抵触したりする旧法を真面目に改訂したり削除してきたので馴染みが薄かった。実際私もピンときていなかった。
 ところが例えばアメリカでは(旧条文削除等を怠って)大雑把に新法を作ってきたから、誰もが新法と合致しない旧法部分は問答無用で無効(失効)になるのは常識になっている。これはアメリカだけでなく法律論では本来常識に属することである。この辺の日本人一般での誤解や無知を思うとこの法律論の勉強も大事だとつくづく思った。

 単純にいえば9条2項の「戦力不保持」「交戦権否定」という旧法の上に「自衛隊の明記」という新法を被せれば、いうなれば「軍隊の認知」が新法になり、「戦力不保持」も「交戦権否定」も空文化されるわけで、「9条2項が残っているから何も変わらない」というのは詐欺師のペテンである。それを信じるのは無知である。

 そうして、講師の「外交とは勝ち負けではなく、リスクを最小限に抑えること。それが政治の役割だ」との意見にも大いに納得した。
 これまでこのブログでも「臆病な人間ほど勇ましい言葉をもてあそぶ」ことを指摘してきたが、生い立ちも境遇も違う他人(つまり外国)との外交は単純なはずはない。いろんな困難が山のように出てくるに違いない。が、それが外交というものであって、それを「対話のための対話はしない」というのは、究極の怠け者の外交論だろう。

 私は日本の右翼ほど平和ボケはいないのではないかと思う。
 軍事力、つまり戦争で平和を勝ち取るというその戦場はどこですか。そのとき貴方は何処にいて何をしているつもりですか。その戦争でどれくらいの人が死に、どれくらい国土が破壊されるのですか。説明できる者はいない。
 勇ましい言葉を並べる者は怠け者である。・・と講師は喝破された。

 どうしたら学校での銃乱射事件を防げるかの問いに・・・、
 「先生に銃を持たせろ」とトランプは本気で語った。ジョークではなかった。
 貴方はこれが正しい解決策だと思われますか。
 安倍首相は「トランプ大統領を全面的に支持する」と言っておられますが。

 私自身は、日本国憲法を理性的に読めば自衛隊は違憲の存在だと思うが、当面の現実の世界では防衛力は肯定されるべきだと考えている。
 しかし、今はそれを中心テーマとして議論すべきときではないと考えている。
 もっと言えば、現憲法の縛りのかかった自衛隊でいいではないかと考えている。
 大切なことは、非武装論者も、加憲論者も、学術的なその違いを横に置いて「安倍改憲を許さない」の一点で手を取り合うことだと私は発言した。

 リアルに考えよう。大統領が銃の所持が当たり前という国とも、バレンタインデー禁止の国とも、気を長くして付き合うというのが外交だろう。
 もう一度言う。勇ましい言葉を吐くものは怠け者である。

    春寒し銃持て教壇に立てという

2018年2月24日土曜日

アオバトとチョウゲンボウ

   NHKの「ニッポンの里山」という番組で「神奈川県大磯のアオバトの屋敷林」というのが何回か再放送されていて何回か見たことがある。
 ここのアオバトは大磯の海に半ば浸かって海水を飲みにくる。それをハヤブサが襲いに来る。
 どちらも珍しい映像だった。

 猛禽類というと、友人のひげ親父さんの高層マンションの家のベランダにチョウゲンボウが時々来るという。
 それを撮影したスナップが21日の新聞に掲載されていた。
 モノクロだが迫力のある眼力が掲載されていた。

   21日の記事でレンジャクを撮りに出かけたが全くと言っていいほどで出会えなかったと書いた。
 あとで聴くと、一日中待っていてボウズだった人もいるらしいから、一瞬でもカメラに収められたのはヨシとしなければならないかも。

 そのレンジャクを待っていたとき、なんとアオバトがやってきた(一番上の写真)。
 その日、私はレンジャクを狙っていたので「あっそう」という感じだったが、考えようによっては珍客で、普通にはこの写真1枚で満足すべきだろう。

 そして”そのアオバトを狙ってチョウゲンボウが!! というと「大磯のアオバト」映像になるのだが、実際は、ちょっと時間差でチョウゲンボウがやってきた。ハイタカかもしれないという人もいた。
 一番下の写真のとおり、やはり猛禽類は絵になる。

    カジノより老人鳥を追いかけよ

2018年2月23日金曜日

鶺鴒とイソップ寓話

 何回か書いてきたことだが、参考文献によると「ヨーロッパではスズメが人の手から餌を食べたりするが、これは日本のスズメとは種類の違うイエスズメである」「よってヨーロッパのイエスズメは人になつくが日本のスズメは人になつかない」とあるが、私は「日比谷公園松本楼周辺の日本のスズメは人の手から米粒を食べるから文献上定説とされていることは事実に相違する」と度々主張してきた。
 
   さて2月3日に不吉な鳥の代表トラツグミのことを書いたので、今日はバランス上、吉兆鳥の代表ハクセキレイのことを書く。
 鶺鴒(セキレイ)が何故吉兆鳥かということは日本書紀に書いてあるのでここでは割愛する。
 私が書くのは奈良公園の写真のセキレイである。

 それまでの印象でもセキレイはけっこう人を怖がらない鳥という印象はあった。
 それでも一定の距離に人が近づくと必ず飛び立つ野鳥であった。
 それが先日、奈良公園のベンチでおにぎりを食べていると、鹿ではなくこのセキレイが足もとにやってきた。
 そこで米粒を投げてやると、私の動作に一切逃げずに、ちょこちょこと寄って来てそれを食べ始めた。
 公園のドバト(これは野鳥のカテゴリーからは外されている)並みの親しさに驚いた。

 奈良公園は偉大なりである。
 実際誤解もあるようだが奈良公園の鹿はこれも野生動物である。
 つまり、古くからの神苑である奈良公園では野獣も野鳥もこうなるのだろう。
 
   そこでイソップ寓話の「北風と太陽」を連想した。
 物事に対して厳罰で臨む態度と、寛容的に対応する態度の対比を表す言葉として用いられ、教訓として、冷たく厳しい態度で人を動かそうとしても、かえって人は頑なになるが、暖かく優しい言葉を掛けたり、態度を示すことによって初めて人は自分から行動してくれるという組織行動学的な視点もうかがえる。(Wikipedia)

 組織行動学的にいえば、これが理解できない経営者は二流経営者となる。
 外交に携わる政治家は奈良公園の自然の中で学ぶべきではないだろうか。

    鶺鴒は情けを人におしえどり

2018年2月22日木曜日

兜太逝く

   先日、NHK全国俳句大会が放映されていて、中休みのような間に司会が季語について選者に振ったところ、夏井いつき先生が比較的柔軟に考えたいと言うのに対し、伝統俳句協会の坊城俊樹先生は「僕は季語に恋をしている。故に夏井先生は僕の恋人にはなり得ない」と述べて可笑しかった。
 ああ、ここに金子兜太先生がおられれば何と言っただろうかと想像した。
 如何にもNHK的な当たり障りのないご披露で終わっていた。

 私は兜太氏の「俳句入門」を持っているが、その最初の章のタイトルがそも「季語にこだわらない」である。
 念のために断れば、兜太氏の主張の力点は「率直に生活実感を!」にあり、季語を軽視せよと言っているものではない。
 それでもこのタイトルをトップに持って来たのには兜太氏の「生活実感」にこだわる信念が感じられる。
 昨年7月まで毎日毎日「平和の俳句」の選者を務められてきたのと同様の信念が感じられる。
 花鳥風月にはどうにも収まらない人間を詠まずして何の芸術か!と。(これは私の勝手な想像)

 氏は昨夏、東京新聞等の「平和の俳句」の選者を引かれた。
 そして、この1月からは朝日俳壇も、そもそも氏を含む4名の選者であったのが、紙面構成上も極めて歪な3名の選者によるものとなっていた。それは私を含む読者に不穏な想像を与えるに十分なものだった。
 事実、2月19日付け「朝日俳壇・朝日歌壇」にはこんな句や歌が掲載されていた。

    兜太選紙面に探す寒の朝 (横浜市)下島章寿
    冴え返れ兜太戦後を終はらすな (鹿児島市)青野迦葉
    「アベ政治を許さない」人病みたまうアベ政治なお続く厳冬 (水戸市)中原千絵子
    兜太選休みの月曜ものたりぬ木の芽ふくらむ春待遠し (倉吉市)谷本邦子
 もっと以前からこの傾向はあったが、最新の状況を摘んでみた。
 その翌日20日、氏は98歳の生を閉じられた。
 弔句をひねるのは止そう。揮毫に込めた意思をこそ継ごう。 

    薄氷(うすごおり)砕けよ墨書複写する

2018年2月21日水曜日

連雀(れんじゃく)

   先週用事のついでに奈良公園に寄ると超望遠レンズを付けたカメラマンに出会った。
 私が「すぐ先でイカルが鳴いていますよ」というと、「向こうにレンジャクが出ました」と教えてくれた。
 鳥好き人間同士の会話だ。

 早速教えてもらったところに行くとヒレンジャクにキレンジャクが混じって樹上に留まっていた。
 しかし私はスマホしか持っていなかった。念の為撮ってはみたものの「ただの小鳥」にしか見えなかった。

   そこで20日午前中、望遠レンズを引っ提げてリベンジを試みた。
 9時過ぎから12時まで、レンジャクは2羽が木のてっぺんに一瞬現われただけだった。
 世の中という奴はこういうものだ。

 午後から好きな歴史講義を受講した。来ていた友人のFさんが「うちの公園の池にオシドリが来ているよ」と言った。こういうものなのだ。
 写真の出来栄えも「もひとつ」だ。

     気まぐれなレンジャク暇な人が待つ

2018年2月20日火曜日

名のない蜜柑

   友人のOさんからOさんの郷里の蜜柑をいただいた。「名のない蜜柑」だそうだ。
 産地では、JAだか県だか知らないが、普通の温州ミカンでは発展性がないとかで、いろんな品種改良が試されているらしい。

 そして「ヨシこれでいこう」ということになった新しい種類の木が農家に配られ、各家の既存の木(根)に接木する。
 それを3年ほどして新しい品種だということで大々的に売り出すつもりだが、試験場と実際の果樹園(農家)にはいろんな違いがあり、そこまでしてみたが予想どおりにならなかったり、3年ほどしたらもっと良い品種が出てきたりということがあるのだそうだ。
 そうして、結局市場に出回らなかった、「市場の名前」がない蜜柑がこの世には幾つもあるという。

 写真の名無しさん、大きさはデコポンよりもまだ大きい。ジューシーである。難を言えば少し皮が剥きにくかった。
 ジューシーということは「甘~~い」好みの世間一般では「酸っぱい」になるのだろうか。
 ところで、わが孫の夏ちゃんは酸っぱい蜜柑類が大好きな蜜柑試験官である。
 夏ちゃんに言わせるとこの名無し蜜柑、まだ甘すぎる(もっと酸っぱいのが食べたい)らしいが、デコポンなどよりも気に入ったらしい。
 花柚子の実を食べるほど超個性的な試験官だから市場の役には立たないが、こんな美味しい蜜柑が名無しというのは可哀相だ。
 私はけっこう好きである。Oさんありがとう。
 「蜜柑が黄色くなると医者が青くなる」とよく母が言っていた。蜜柑のビタミンが体に良いという話。今は懐かしい。

     春庭に種吹き飛ばす蜜柑かな

2018年2月19日月曜日

早春 若ごぼう

   若ごぼう(葉ごぼう)は山菜(山野草)ではないけれど、極めて季節限定の野菜で、山菜並みに河内平野の早春の香りがする。
 なので、蕗のとうなどの山菜が好きなわが家では山菜級の扱いをしている。

 上の写真は若ごぼうが売られている形で、その束ねた形から「矢(やー)ごんぼ」ともいうとある。
 セロハンの印刷のとおり、大阪府八尾(やお)市の特産品である。
 そういえば八尾出身の「ひげ親父」さんは確かに「やーごんぼ」と言っていた。

 料理にしてから、息子ファミリーには「取りにおいで」とメールをしてお裾分けをした。娘ファミリーには19日に手渡す。

 先立つ数日前には妻が「若ごぼうが無かったから」といって蕗を買ってきた。
 蕗も旬だからこれも美味しくいただいた。
 「初物を食べると七十五日寿命が延びる」というから、これで5か月ほど長生きできたことになる。
 七十五日以内に次々と初物を食べれば不老長寿間違いない。
 ところが調べてみると、江戸で罪人(死刑囚)に「最後に好きなものを食べさせてやるから好きなものを言え」と言ったところ、全く旬でないもの(手に入らないもの)を言ったので旬が来て手に入るまで75日死刑執行が延びた故事によるという文があった。
 ほんとうかどうかは解らないが、これだと家庭や外食で「初物だ!」と喜ぶのは筋違いになる。

 ここは素朴に、比較的値段の高い初物の時期にそれを戴けた喜びと解しておこう。
 わが家では必ずと言ってよいほど初物のときは「これで七十五日長生きできる」と言い合ってから食事を戴いている。代々の習わしだ。

 蛇足ながら、若ごぼうの季語を調べると夏と出てきたので有名なスーパーでの去年のやりとりを思い出した。
 私が若ごぼうを尋ねたところ、普通のごぼうのところに案内された。
 「もしも~し、それは新ごぼうやがな」「新ごぼうと若ごぼうは全く別物でっせ」。
 歳時記の世界でも新ごぼうと若ごぼうの誤解があるのは残念だ。

     早春や七十五日伸ぶ若ごぼう

2018年2月18日日曜日

スマホなどのこと


 12日の記事の最後に「年長の孫はスマホを操って回転ずしのシステム語る」と短歌もどきを詠ってみた。

   その心は・・・先日、息子ファミリーが誘ってくれて久しぶりに回転ずしに行った折り、到着して直ぐに私が受付しようと走り始めたら息子から「スマホで予約済やで」と助言を受けた。ほんに受付前で待っていたら時間通りに案内された。そうかあ!

 テーブルに着くと回転寿司だからデモンストレーションのように回転はしているのだが、明らかにそのレールはサブであり、基本はタッチパネルで注文するようだった。そうかあ!

 このタッチパネルでいろんなメニューを探し出し、われわれの注文をサッサと処理してくれるのが年長組さんの孫の夏ちゃんだった。
 注文したものは、昔は何番テーブルというような紙を付けてレールに乗ってきたものだが、今は別の(2階の)レールで矢のように飛んできてテーブル横に停止する。そうかあ!

 その前に「注文の〇〇を送る」旨の表示がディスプレイに出て、それを取ったら「届いた」旨孫がタッチする。
 日本経済はデフレだが、回転ずしは長足の進歩を遂げていた。今頃そんなことに驚いているのは私が浦島太郎だったからだろう。

 スマホでは、夏ちゃんはお父さんのスマホに勝手にゲームをダウンロードして遊んでいる。無料のゲーム、無料のバージョンアップなどすべて心得ているらしい。

 妻が息子から、機種変更で「電話はできないスマホ」を貰った。
 ネット関係のことはできるので、ユーチューブ、写真、音声入力、ネットラジオ、QRコード、各種検索などをし始めて、私の知らない機能を私に解説し始めた。

 妻の姉の携帯の調子が悪くなったので、義姉は甥である私の息子のアドバイスでスマホに変えた。
 1~2日は「やり方がわからへん」などと妻とやりとりしていたが、すぐに写真の転送などもできるようになり、意欲的に習得に努めている。
 どちらかというとこの種のITは大の苦手としていたが、今では老後の趣味が増えたと喜んでいる。

 さて、友人たちと集まると圧倒的にはガラケーで、如何にITに馴染めないかという自慢話で盛り上がるが、『この社会』に安住していると停滞というか後退する感じがする。

 「老いては子に従え」との格言どおり、子どもたちに教えを乞うのが大切だ。
 妻が「文字入力するのに指の先が太すぎて上手くいかないが」というと、世の中にはそれ用のタッチペン(兼ボールペン)が山ほどあることを子が教えてくれた。写真の左がそれで、百均で購入した。
 私が「外出先でバッテリーが切れて困った」というと、「予備の充電用のバッテリーを用意しておくのが常識になっている」とこれも教えてくれた。写真の右のものである。ネットで購入した。

     絵文字すら使えず孫に嘲笑らわれて

2018年2月17日土曜日

風雨順時

   今年の年賀状にお水取り(東大寺二月堂修二会)を引いて風雨順時(季節が季節どおりに来ることを祈る)を祈念する旨を書いた。
 そのお水取りの前行が始まったことが新聞に報じられた。

 記事中では大導師が「修二会とは我々が安心して暮らしていけるように、季節が季節通りにやってくることを祈るものです」と話していた。

 東大寺のHPによると、『修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で懺悔(さんげ)することを意味する』とあり、先の記事中で大導師は『・・身近なところから、戦争や自然破壊まで「過ぎる」ということを悔いなければならない』と述べている。
 与党や「ゆ党」の政治家に聞かせてやりたいものである。

 大導師が前行に入られた同じ日(ただし現地時間では14日)、アメリカでは銃乱射で17人の高校生が死亡した。
 今年に入って45日ほど経ったがアメリカの学校での発砲事件は18件目だったらしい。
 それでも銃規制が進まない。銃という暴力を所持しない限り身は守れない、自衛はできない。銃のない平和な社会は理想主義のお花畑だというのだろうか。
 このフレーズどこかで聞いたことがある。核抑止力論だ。

 我々は警察権を除いて基本的に丸腰でも安心して暮らせる国を作ってきた。
 銃という暴力で安全が達成されるなら、アメリカは世界一安全な国になっていたはずだ。
 銃の無い国、その先に核兵器の禁止や、軍事よりも対話での外交解決を目指すのがそんなにおかしいことだろうか。
 私には、銃所持肯定も核抑止力論も遅れた思想にしか思えないのだが。
 地球上の人々に風雨順時を!

     十一面に悔過せよ対話せよ

2018年2月16日金曜日

探鳥日和

今週出会った鳥はポピュラーなものばかり。
① 雪の日のシロハラ。
 大型ツグミ類体長24㎝と書かれているからちょっとしたもの。
 キョロン~というような鳴声。
② 美しいがポピュラーなメジロ。
 「梅に鶯」の絵はほとんどがメジロ。
 誤解されるほどに美しい。
 腐ってしまったミカンを枝に刺しておくと突きに来る。
③ ありきたりの代表ヒヨ。
 姿も声もありきたり過ぎるが、外国からバードウォチングに来ると聞いて驚いた。
 わが家のキンカン泥棒。
 柿もたくさん被害にあうので、あまり好きではない。
③ カメラを見つめるカワラヒワ。
 キリリキリリ ビーンとけっこう綺麗な声で鳴く。
 飛んでいるときに翼に綺麗な黄色い透かしが入る。

④ ツグミが2枚、白眉がすごい。
 この背筋を伸ばした姿勢がいいのでどうしてもこういう写真になる。
 下の写真は顔が気に入った。
 胸の色や模様はけっこう個性がある。
 写真の2羽は別の個体。

2018年2月14日水曜日

間もなく卒園

   孫の夏ちゃんがもうすぐ卒園で、こども園最後の生活発表会があった。
 数年前まであれだけ天真爛漫だった夏ちゃんは、この頃とても恥ずかしがり屋で引っ込み思案になっている。
 これも成長の一つの表れかと納得するのだが、祖父ちゃんとしてはもっと弾けて欲しかった。
 と妻に話すと、息子も娘も生活発表会では同じようだったとのこと。そんなものらしい。

 生活発表会の劇の中で皆が遊んでいる場面があり、そのとき夏ちゃんがサッと逆上がりをしたので父母席からホーッという声があがっていた。ひいき目でカッコよかった。

 ただ事情で劇に参加できない園児も隅にいた。
 マイペースで成長しているもう一人の孫の凜ちゃんのことが頭をよぎって辛かった。
 いかんいかん、人生に平均だとか敗北などないんだ。
 ひとり一人のひとつ一つのそれが人生なんだ。
 今日は今日で夏ちゃんの立派な成長に拍手! よく頑張った。
 
    逆上がりして卒園の発表会

2018年2月13日火曜日

雪化粧の朝

   12日の朝はこの辺りでは珍しくサラサラの雪でうっすら雪化粧の朝だった。
 縁戚のいる金沢ではマイカーが全く使用できない厳しい日が続いているということだが、それに比べて長閑な感想で申し訳ないが、美しい休日の朝で気分がよかった。
 と、(この)老人ははしゃいでいるのだが、街には子どもたちのはしゃぐ声は聞こえない。いったいどうなっているんだ?

   子どもたちの声の代わりに、綺麗な声が聞こえてきた。
 世間では珍しくないが、私のフィールドでは珍しいホオジロだった。
 ホオジロはスズメによく似た地味な姿かたちよりも、さえずりの時期の聞きなしで有名だ。
 古くは「一筆啓上つかまつり候」で、その後は「源平ツツジ白ツツジ」、さらに最近は「札幌ラーメン味噌ラーメン」で、私も「札幌ラーメン味噌ラーメン」と聞きなしている。
 今回はそれほど高らかなさえずりではなかったが、地鳴きの範疇に入るのだろうが、一般にいう地鳴き以上に複雑で美しかった。

     頬白が春待つ声や雪の原 (季語が無茶苦茶ですか?)

2018年2月12日月曜日

伝統と建国記念の日

   答を先に言ってしまえば、日本文化の伝統を大事にする人は建国記念の日などという薄っぺらい物語に賛同してはならないと思う。

 本郷和人著『日本史のツボ』(文春文庫)が説いているとおり、日本文化の出発点であるヤマト王権が「自分たちは何者なのか」というアイデンティティを打ち出したのは、白村江の敗戦と唐による侵略の危機に直面した天智、そして天武、持統の時代である。
 具体的には神話に依拠した歴史書編纂だが、冷静に見つめれば同時に、国家の軸となる思想は仏教としていて、いわば神道と仏教を両輪にして国を治めようとしたのだった。

 では、天皇家では神道と仏教のどちらが重視されてきたか。本郷和人氏は「間違いなく仏教です」と言い切り、「単純な話、神官よりも僧侶の方が格段に位が高かった。さらに言えば、大喪の儀、天皇皇后の葬儀も聖武天皇から江戸末期までずーっと仏式で行われていた」と指摘している。
 つまり歴史を伝統を冷静に見れば、明治、大正、昭和前半の天皇制こそ後醍醐天皇同様日本文化と伝統の異端児だということだ。

 明治、大正、昭和前半の天皇制は、このように日本文化のあだ花であっただけでなく、アジアの庶民を蹂躙し、日本の庶民を大量に殺した戦争遂行の為政者だった。
 こういう事実を無視して、明治、大正、昭和前半の政治制度を日本の伝統などというのは全く事実に反する非学術的な意見であり、倫理的にも許されないものだ。

 そして重大なことは、そういう嘘を土台にして、戦前回帰の憲法改正が現実の日程にまで上っていることだ。
 日本の伝統を大切にしたい感情は、いわゆる保守も革新も同じだと思う。
 そして、嘘を土台にした主張は良くないというのも同じだと思う。
 細かな感情では十人十色であるのは当然として、嘘で固められた戦前回帰の憲法改正反対ではみんなで手を取り合いたいと思っている。

 私自身はけっこう神社も八百万の神々も好きである。
 しかしはっきり言うが、戦前の国家神道は日本文化の中でもあだ花だった。
 神を信じる者も、仏を信じる者も、そして信じない者も、手を取り合って伝統と日本文化を大事にしませんか。

 年長の孫はスマホを操って回転ずしのシステム語る

2018年2月11日日曜日

ルッコラは冬

   近くのスーパーでは「寒波がやってくるから買い溜めしておくよう」促すアナウンスがひっきりなしに流されている。
 事実、豪雪地帯では出荷も流通もストップしているところがある。

 ただ、ほんとうに庶民の生活を気遣ってくれているのか、ニュースをネタに不安を煽って買い物を強迫しているのか解らない。近畿中部で品切れは考え難い。
 なので、去年暮れあたりからの野菜高騰とダブって、あまりいい気分で私はこのアナウンスを聞いていない。

 今冬のわが家の半坪菜園は、ウスイエンドウ、各種サラダ水菜そして定番のルッコラ(ロケット)である。
 ウスイエンドウはただただ寒風に斃れてしまわないかと見守るだけの農作業?だが、ルッコラはどういう訳かわが家の土と相性がよく、根や土ごと友人に分けたものは巧く成長しなかったらしいが、わが家では雑草並みに成長する。それを、必要な都度葉っぱだけを摘むので、次から次へと一冬中楽しめる。そこが気に入っている。
 このルッコラ、通常は各種サラダに付け加えている。もちろんサラダ水菜も。
 
 ルッコラは何とも言えない苦みが大人の味で、いっぺんにサラダ全体をグレードアップしてくれる。
 この苦み=癖が苦手だという人もいるが、少し食べ慣れるとこの癖がタマラナイ。

 事実は小説よりも奇なりというが、このイタリアンの代表のような野菜が、普通の和風の鍋料理に合う。
 試しに入れてみたのだが、苦みはほとんどなくなり、彩りとしても鍋がよくなった。既成概念で生きていると人生はつまらない。
 葉物野菜高騰のこの冬は、実利的にもお世話になっている。考えようによっては贅沢な鍋である。

     アスパラは春ルッコラは季語になし