2017年2月21日火曜日

春一番

 近畿には昨20日に春一番が吹いた。4年ぶりだとか。全国各地では先週末にもっと明瞭な春一番が報じられた。
 衛星からの写真が進歩したので、テレビでも房総半島から沖に伸びる大砂塵がはっきり確認された。
 新婚当初千葉県松戸市に住んでいたが、春一番に限らず、団地の裏の畑から舞い上がる砂塵のすごさにはほとほと参った。
 もちろん窓の枠や洗濯物へのダメージも半端でなく、近畿で育った夫婦にとっては、「これが教科書で習った関東ローム層か」と海外移住したかような新発見の気分だった。
 砂塵の衛星写真を見てそんな昔を懐かしく思い出した。
 現代の松戸市にそんな「関東ローム層」が確認できるかどうかは知らないが、当時はほんとうに関東一円ですごかった。

   この間から体調不良が続いているので庭を眺めることもしていなかったが、先週末には風こそ吹かなかったものの近畿でも急速に気温が上がったせいだろう、庭の蕗の薹が大きく膨らみ、料理用の収穫のタイミングを逸するようだ。
 体調不良で摘むことも料理する気力も湧いてこない。
 そのうちに花が膨らんで、それでも普通には十分料理に使えるのだが、欲を言えば膨らむ直前に採るべきだろう。
 蕗の薹は天麩羅が美味しいが、夫婦二人では後始末が大層なのでわが家では近頃は天麩羅をほとんどしない。

 フライパンで炙って甘味噌で食べるか、いっそう蕗味噌を作るか悩んでいるが、精神の積極性が低下しているので結局何もしないうちに花になってしまいそうだ。
 それでも、典型的な春の風景だと愛でることができただけでも十分な気持ちになっている。

   見るだけで程よい苦みの蕗の薹

 「野草は基本的に有毒である」と本で読んだが、解っちゃいるけどやめられないのが食の探訪だ。知らなかった美味に出会えた喜び、これもある種の依存症だろうか。

2017年2月19日日曜日

ケヤキの根上り

   わが家の裏は遊歩道で街路樹のケヤキが道のほぼ中央に何本か植えられている。
 このケヤキは夏には日陰を作り、ほとんどの人は知らないが私は家の窓からタマムシを鑑賞している。
 また、「雀の小便たんご(イラガの繭)」をキツツキが突くのも見ていて飽きない。
 ただ初夏には毛虫が大発生したり、晩秋には大大大量の落葉を散らすので悲喜こもごもといったところだが、基本的には身近な自然で私は好きだ。

 ところが写真のとおりの数本のケヤキで「根上り」がしてきたので自治会を通じて自治体に対策を要望していたところ、先々週に「鋳物製のガード(グレーチング)を取り払おう」と連絡があったので、ちょっと待ってほしいと現地を見ながらの相談を自治体と行った。

 この程度の根上りをどうして問題にするかといえば、やはり高齢化があり、この程度の段差でも蹴躓く人がいる。ベビーカーの人、足の不自由な人も困っている。さらにこの道は坂になっているので自転車の事故は十分に想定される。
 私としては、隣の自治体の工事施工状態からみても太い根の上部を削ることで対応は可能じゃないかと意見を言い検討してもらうことになった。

 ところで、ケヤキの根上りで歩行者が被害者になるというようなことを言ってきたが、考えれば被害者はケヤキではないかという思いもしてきた。
 周囲は広く舗装され、いったいどこへ根を張れば水や養分を得られるのかとケヤキは言っていないか。
 次の検討段階では「浸水性舗装」への転換を述べてみようか。
 よい知恵があればご教示いただきたい。

   根上りの被害者は誰と木々が言ひ

2017年2月17日金曜日

鷽(うそ)

   前回記事のミリオンさんから「鷽の御守」もいただいていた。
 ご近所の道明寺天満宮の1月25日初天神「うそかえ祭」の「鷽」である。
 菅原道真が大宰府でお祭りの途中、無数の蜂が参拝者に襲いかかったのを鷽が出てきて喰いつくし危機を救ったとの故事による。

 ちなみに孫の凜ちゃんがお宮参りに行った奈良の菅原天満宮では6月25日にこの「うそかえ神事」を行う。
 参拝者どおしで「かえましょ」と言いながら交換し、「嘘を誠に替える」とかいいながら「あてもの」の要素も含んだ楽しい行事になっている。

 凜ちゃんファミリーは先月に菅原天満宮の近所から引っ越しして、わが家から自転車でも行ける距離に来た。
 同窓生たちと話をすると、子どもたちは深圳だとかドイツだとか世界中に行っているが、わがファミリーは「冷めた味噌汁を持っていける」距離にみんな集まったのが可笑しい。

 なお、安居天神については2月2日の記事に書いた。

   あのことはうそだったといわぬ初天神

   追加した右の写真は手向山八幡宮の「菅公腰掛石」。この地で「このたびは幣も取りあへず・・・」と詠んだという。修学旅行生などが無視して歩くので、「ここに座って記念撮影したら賢なるで」と勧めてやる。

2017年2月15日水曜日

厄払い失敗













 2月9日に「明日も節分」で書いた厄払い(厄落とし)の性根が入っておらなかったようで、体調不良が続いている。
 それとも、鬼の悪口を言ったからだろうか。
 以前は抗生物質など服用すればすぐに症状が軽快していたのにと思うと情けない。
 そういうことを見通していたように、旧友のミリオンさんから鬼の一筆箋が届いた。
 「鬼はどじょうすくいを踊りながら天へ帰って行きました」には笑った。

 「鬼の悪口」でいうと、2011年12月18日に書いたことだが、役の行者は生駒山で夫婦の鬼を捕まえ弟子にした。その地は「鬼取」(おんとり)という地名で今もある。
 幕末から明治時代、その暗峠(くらがりとうげ)奈良街道沿いに住んでいた曽祖父(義父の祖父)は「疝気や腰痛に苦しむ旅人に家伝の妙薬を施して多くの人から感謝されていた」と生駒市史に載っているから、役の行者に教わった秘伝の妙薬の継承者ではなかったか。ということは鬼の後裔? ということは妻は鬼の末裔となる。
 にもかかわらず節分に「鬼は外」などと大声をあげたのがいけなかったのだろう。
 と反省したので遠くなく回復するだろう。

   さて、後輩のUさんから、OB会会報に頼んでいた原稿が届いた。
 読んでみると胃がんの闘病記なので驚いたが、前向きな言葉がちりばめられていたので一安心だ。
 歳を重ねると厄払い程度ではどうしようもないことが生まれてくるが、だからこそ一日一日を大事にしなければ・・・・。

   凍て土に藤袴の芽秋よこい
 「春よこい」ではない。イラチの性分で既に秋のアサギマダラを夢みている。


2017年2月13日月曜日

頭に血が上る

 標記のタイトルを慣用句などと馬鹿にしてはいけない。
 建国記念の日と過労死について些か興奮して記事を書いた後、頭に血が上って気分が悪くなった。
 測ると脈拍と血圧が大幅に上がって、安静だけでは治まらずついにダウンした。
2/4の「風光る照葉樹とは名言」
   実は、土曜日は孫の夏ちゃんの生活発表会で楽しみにしていたのだが、それもパスして金曜の夜から土日と終日臥床していた。正確に言うと寝ていることもしんどかったのでゴロゴロしていた。
 ただ、こういう時のために頻脈の薬は常備してあったので、救急車とまではいかずに済んだ。ちなみに心筋梗塞用のニトロも常備しているので、2種類の薬を間違って服用すると酷いことになる。
 ということで、本来は今日は少し自慢っぽい楽しい「爺ばか日誌」になっているはずのブログ記事の出だしが湿っぽくなった。
 そこで、いくたびも雪の深さを尋ねけり(子規)的に自分を鼓舞して記事を書く。

 2月12日付け朝日俳壇・歌壇から、
 稲畑汀子選 不覚にも心弾みし雪の朝(神戸市)塩田博子は文句なしに頷いてひとり笑いした。
 金曜日は孫の凜ちゃんの送迎があるので大雪は困るのだが、その朝の予想外の小雪には少しがっかりした自分がいた。あははは。

 長谷川櫂選 三十万年フクシマを見よ冬銀河(熊本市)坂崎善門
 高野公彦選 二万年前のラスコー壁画見て核の処分の十万年想う(三鷹市)大谷トミ子は私の心の悲しみや怒りと共鳴して余韻が残った。
 こういう理性的で情趣溢れる文学が広がってほしいものだ。

 その反対に、日曜日、有名女優が引退して幸福の科学に専念するニュースがあった。きっと選挙の広告塔になるのだろう。
 背後霊から話を聞いてその言葉こそが「真実」だというのは「ポスト真実」の最たるものだと思うのだが、怖ろしい時代になった。数年前、建国記念の日に橿原神宮で憲法改正等を大声で訴えていたのが幸福の科学だった。
 ああ、記事の締めまでが湿っぽくなった。

   今日はとても五七五は出てこない。

2017年2月11日土曜日

過労死ライン

   「息をするように嘘をつく」安倍首相が唱えているものの一つが『働き方改革』。
 「改悪」を「改革」と不当表示して劇場型に宣伝するのは、小泉改革や橋下維新に学んだものだろう。
 この『働き方改革』の問題点は順次指摘していきたいが、今日は、注目の「過労死ライン(基準)」について再確認(復習)しておきたい。

 政府(働き方改革の担当は厚労省ではなく内閣官房。これもおかしいが)は労働時間について、看板では「改革」と称しながら、その内実は、「残業代ゼロ」法案(労働基準法改正案)の成立を期し「高度プロフェッショナル制度」導入と裁量労働制の対象拡大で、結局は「過労死は自己責任」にしようとしている。

 さて、現行「過労死の労災認定基準」の労働時間は、『発症前1か月に100時間、又は2~6か月間平均で月80時間を超える時間外労働は、発症との関連性は強い』と定めている。
 つまり、ひと月平均で80時間を超える時間外労働が2か月あるいは6か月までの数か月続いた状態で脳・心臓疾患を発症した場合には原則労災認定する(もちろん例外はある)と定めている。
 なお、労働時間以外の、勤務形態、作業環境、精神的緊張等の負荷要因も考慮されるので上記時間以下であっても労災認定されることがあることにも留意が必要。
 ここでいう「時間外労働」とは、1日8時間、1週40時間を超える労働時間で休日労働も時間外労働時間と評価する。

 そこで、なぜ「1か月100時間」あるいは「2~6か月で、月平均80時間」の時間外労働が過労死ライン(基準)とされたかだが、それは厚生労働省が設置した『脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会』報告書によっている。
 専門検討会は、10名の専門医(医師)により構成され、平成12年から13年にかけて延べ12回の会議を重ねて検討結果を取りまとめた。

 その報告書は、いろんな症例の検討から、どういう労働環境の患者に明らかな有意性が認められるかというようなことが詳細に検討された大著となっている。

 その内容を一言で記すことは難しいが、大胆に摘んで言えば、長時間労働が脳・心臓疾患に影響を及ぼす理由は次のとおりだと指摘している。
 ① 睡眠時間が不足し疲労の蓄積が生ずる
 ② 生活時間の中での休憩・休息や余暇活動の(疲労回復の)時間が制限される
 ③ 長時間に及ぶ労働では、疲労し低下した心理・生理機能を鼓舞して職務上求められる一定のパフォーマンスを維持する必要性が生じ、これが直接的なストレス負荷要因となる
 ④ 就労態様による負荷要因(物理・化学的有害因子を含む)に対する曝露時間が長くなる

 その上で、疲労の蓄積の典型として睡眠不足を指摘して、睡眠時間が・・・
 ● 6時間未満では狭心症や心筋梗塞の有病率が高い
 ● 5時間以下では脳・心臓疾患の発症率が高い
 ● 4時間以下の人の冠(状)動脈性心疾患による死亡率は7~7.9時間睡眠の人と比較すると2.08倍・・・と述べている。

 さらに、以上のことを総務庁の社会生活基本調査とNHK放送文化研究所の国民生活時間調査に当てはめて1日24時間から「逆算」して、
 ● 6時間程度の睡眠が確保できない状態とは、1日8時間の労働時間に4時間程度の時間外労働が1か月継続した状態、つまり、おおむね月80時間を超える時間外労働
 ● 5時間以下の睡眠は、脳・心臓疾患の発症との関連性ですべての報告で有意性があるとされているが、それは1日5時間程度の時間外労働が1か月継続した状態、つまり、おおむね月100時間を超える時間外労働となる・・・と指摘したわけである。

 以上が、月80時間以上の時間外労働が過労死ラインと言われる理由である。
 故に、36(さぶろく)協定(労使による時間外労働協定)であってもこれを超えることは医学上、人道上許されることでなく、企業はそういう労働時間の範囲内で繁忙期に対処できるように人員を確保すべきである。
 人の命より尊い業務などない。
 この範囲(労働時間)では対処不可能な人員(体制)であるのに高い業務目標を指示し、働き方は多様で自由で任せたと言って使用者責任を回避しようとするのは欺瞞である。
 こんな法案を成立させたら、過労死はみんな自己管理ができなかった故の自己責任だとされてしまう。過労死促進法である。

   県境を越えた途端の吹雪かな

 奈良県北部の開発は進み平城山(ならやま)の面影は消えかかっている。なので、普通に幹線道路を北へ走っていると街の真ん中で知らぬ間に京都府になる。それでも、ちょうどその辺りで天候が大きく変わることがあり、昨日もきっかり県境で晴天から吹雪に変わった。「風神たちも天気予報を聞いているに違いない」「律儀な奴や」と夫婦で頷きあった。

2017年2月10日金曜日

建国記念の日を祝ってはいけないわけ

   その1 2月11日というのは明治6年に定められた紀元節の日であった。
 それは日本書紀神武天皇紀の「辛酉年春正月庚辰朔、天皇橿原宮に卽帝位」を根拠として決められた。
 アジア諸国を蔑視した明治政府が中国の思想「辛酉革命説」に基づく上記記述を根拠にしたことも可笑しいが、何年前の辛酉年にするかには根拠はなく、それをエイヤッと紀元前660年とした。
 その辻褄のため神武天皇は127歳の長寿とされ、その後も100歳を超える天皇を何人も創作した。
 ちなみに近年、考古学界では弥生時代の開始時期を繰り上げる方向で議論が戦わされているが、一般的には紀元前660年は弥生時代前期とされている。つまり、国家の始まり=建国という「神話」は神話であって歴史(史実)とは程遠い。
 
 一般論として、国が神話を基に建国の日を定めることを否定するものではない。
 また、神話が非科学的だと眉をひそめるつもりもない。 
 だがしかし、明治政府は神話を「史実だ」、故に「天皇は神だ」「アジア諸国より優った国だ」「戦争は必ず神風が吹いて勝利する」と教え込み、アジア諸国民や日本の庶民を塗炭の苦しみに陥れた軍国主義国家を作ったのだった。
 この教育・宣伝を推進したのが学校教育と国家神道だった。
 学校の奉安殿の前で敬礼を忘れた少年Hは殴られ、街には不敬罪があった。
 神戸でテーラーをしていた少年Hの父親は、アメリカに帰った元お客からの絵葉書故に警察で拷問を受けた。

 その国家神道とは、幕末まで営々と営まれてきた「村の鎮守の神様」を内務省の管轄下に組織し、「宗教ではなく公的に国家祭祀を行う組織」にしたものだった。
 
 そのため戦後は、絶対的天皇制の深い反省から民主国家を目指し、故に国家神道は廃止されたが、戦前の特権的地位に未練を感じた関係者は神社本庁を組織し、後に国民運動組織「日本会議」などを前面に立てて、紀元節復活、国旗国歌法制定の運動を組織し、そういう戦前回帰、民主憲法改正の運動の中で昭和41年建国記念の日は制定された。

 そこで現代社会であるが、トランプ大統領の就任や英国のEU離脱、先進国での排外主義的ネオナチズムの台頭等の状況、つまり「ポスト真実」が世界を危うくしていることは論を待たない。
 権力者が嘘をつく、少数者や弱者を社会の不幸の原因、敵として感情的に攻撃する、交渉や理知的議論よりも強制・統制と軍事力で脅迫する政治である。

 20年前の1997年(平成9年)、それまでの右翼団体を結集した日本会議が誕生した。その直後の中央大会で壇上から訴えられた次の提言を見るとこの組織の性格と目的が明らかだ。
 ●主権回復の原点は憲法改正(平沼赳夫)
 ●夫婦別姓に反対し家族の絆をを守るために(高市早苗)
 ●近隣諸国条項、河野談話の撤廃を(中川昭一)
 ●憲法は国家哲学の表明(長谷川三千子)
 ●中・韓両国の検定下にあるわが国教科書(藤岡信勝)
 ●国防省設置のできない内閣は総辞職せよ(西村真悟)
 ●拉致された国民を救えない国家とは何か(西岡力)

 今この国では、怖ろしいほど地道に積み上げられてきたこういう戦前回帰の右翼運動と、先に述べた劇場型、ワイドショー的「ポスト真実」の政治が合体して、問答無用の強行に次ぐ強行が繰り広げられているのである。

 理性だとか知的議論などというのは嘘っぽい、人間のホンネはもっと醜いものと言って何が悪い、・・というようなニヒリズムと、不満とイライラの解消のために「いじめる側」に参加したいという熱狂の社会が現実にあちこちで発生している。

 そういう下で「建国記念の日」を迎えているのである。
 それ故私は、建国記念の日に反対し、多様な考えが共存できる民主主義を守りたい。
 2月9日付け朝日新聞(写真掲載)の島薗進氏インタビューは一読に値する。立憲主義の危機を切々と理論的に訴えられている。

      春寒し熱狂を生むは絶望か

 その2 上記と同じく2月9日付け朝日新聞によると、財務省近畿財務局は、「原則公表」とされている国有地売却額の情報公開を、記事記載のこの1件だけ拒否・隠ぺいしたという。
   記事によると、路線価に基づく国有財産台帳は12年時点で8億7千万強で、7億円での購入希望を断られた法人もあるらしい。
 そして、常識的には売却額とほぼ同額とされる買い戻し特約の代金が1億3400万で、隣地を豊中市に売った額の1割程度という不思議、疑惑。以上、記事による。
 なお、売却先の学校法人森友学園が建設中の学校は「瑞穂の國記念小學院」で、すでに運営している幼稚園では教育勅語や五箇条の御誓文を暗唱させ、軍歌を合唱させていることで有名。
 籠池総裁(理事長)は日本会議大阪支部長(又は役員)で名誉校長は安倍昭恵氏。
 日本会議のそうそうたるメンバーが視察したりして、日本会議による戦前教育復活の先頭部隊の様相を示している。
 よって、日本会議主導の運動は、時代錯誤の軍国主義的であるだけでなく、倫理も崩壊していると私は思う。

2017年2月9日木曜日

明日も節分

   イクジイをしていてNHK Eテレの子ども番組を見ていると驚くようなクオリティーの高さに感心することがある。
 2歳ぐらいからの幼児を対象とした「にほんごであそぼ」という番組では「三人吉三廓初買」の有名なお嬢吉三の台詞のさわりを教えていたのには心底飛び上がった。

 念のため、そこの台詞の全てをあげるとこうである。
 「月も朧(おぼろ)に白魚の 篝(かがり)も霞む春の空、冷てえ風も微酔(ほろよい)に 心持よくうかうかと、浮かれ烏(うかれがらす)のただ一羽 塒(ねぐら)へ帰る川端(かわばた)で、棹(さお)の雫(しずく)か濡手で粟、思いがけなく手に入(い)る百両、[御厄(おんやく)払いましょか、厄落し(やくおとし)、という厄払いの声]ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹(よたか)は厄落し、豆沢山(まめだくさん)に 一文の銭と違って金包み、こいつぁ春から縁起がいいわえ」

 「NHK朝ドラだけが平和主義」ではないけれど、EテレやBSには素晴らしい番組も少なくない。

 それはさておき、「ほんに今夜は節分か」にちょっと引っかかって調べてみると、上方では(当然に)太陽暦の立春の前日が節分だったが、江戸では実際の節分とは異なって、旧暦(太陰暦)の12月30日と1月6日と14日を節分と決めていたという。
 そして芝居のこの場面は、正月14日の節分の夜らしい。
 で、・・・明日2月10日は旧暦の正月14日。

 蛇足ながら、ネットの解説から要旨引用すると、
 月もおぼろに見えて、江戸湾でやっている白魚漁のための篝火もかすんで見える、すっかり春っぽく霞がかかった今夜の空、
  (真冬ほどではない、程よく)冷たい風が、ほろ酔いの火照った体が気持ちいい。そんな風に当たりながら気持ちよくうかうかと、
  月夜を昼間と勘違いして飛び歩く浮かれカラスみたいに遊び歩くお嬢吉三自身が飲み歩いてひとりでねぐらにしている場所に帰るそのときに通る大川(隅田川)端で、
 「竿の雫か濡れ手で粟」は、和歌の「縁語」と「序詞」の世界。上の行の「川端」の縁語で「竿」を引き出し、「竿の雫か 濡れ」までが序詞。これで「濡れ手で粟」を引き出し、
 川端の舟の竿の雫で濡れたのではないが、濡れ手に粟のことわざのように、思いがけなくやすやすと手に入ったこの百両、
  (この百両は、お嬢吉三が夜鷹の娘を川に突き落として奪ったもの)
 (呼び声)おん厄払いましょう、厄おとし 節分の夜だから「厄落とし」の呼び声がして、
 ほんとうに、今夜は節分だったのか、
 「厄払い」の決まり文句で「西の海(に)さらり」とよく言うけれど、今回はそれより(てっとりばやく)川の中(に)、
 (お嬢吉三が夜鷹を斬って川に落としたのだが、水のあるところに落としたから「厄落とし」なわけ)
 (川に)落ちた夜鷹は、水に落ちたのだから自分にとっては厄落としだ、
 節分の夜、厄落としに向けて人々が投げて道に落ちてる包みは豆がたくさん入ってて、一文銭はちょびっとなわけだが、お嬢が手に入れたのはそれとは違って本物の金包み、百両の金包みを手に入れてしまった、
 しかも夜鷹がこんな大金持ってるとは思わないからお嬢的にはものすごく旨い「仕事」、なので、 こいつは春から 縁起がいいわえ。

 まあ、こんな解説はもちろん「にほんごであそぼ」ではしていなかった。
 ともあれ、江戸時代のお江戸なら明日は節分ということになる。
 お善哉でも食べますか。

   冷え性の処方を学ぶ浅き春

2017年2月8日水曜日

この世界の片隅に 2

   映画「この世界の片隅に」について、ネット上では「テンポが早すぎる」「判らない言葉が判らない」という声があることを2月1日の記事で触れた。
 そこで思うのだが、「テンポが早すぎる」について私は全くそうは思わなかったが、よくよく考えてみると大雑把ではあるにしても私は15年戦争の「年表」程度のことは知っている。
 もし私がその程度の「年表」を知らなかったとしたら、「テンポが速すぎる」と思ったかもしれない。

 今の学校のことは知らないが、私が中学校や高校で習った日本史は明治維新までだった。
 テレビで「日本は72年前までアメリカと戦争していたのを知っている?」「うっそー!」という会話が流れたりするが、もしかしたら「この世界の片隅に」の背景たる歴史は若い人たちの間で十分共有されていないかも・・・。

 そいえば映画の中に時限爆弾が出ていた。
 飛行機から落された爆弾が時限爆弾で、空襲警報解除、「もう爆撃は終了した」と思って外に出た人々が死んでいった。
 そういうリアルは私の知識(皮膚感覚)の中にはなかったことだ。
 私だって、「うっそー!」の若人と五十歩百歩だ。

 小さい頃家に、叔父が戦地から持ち帰った土産?があった。
 青天白日旗(蒋介石の中華民国の国旗)に包まれた砲弾の破片だった。破片といってもけっこう大きなものだった。
 破片は単なる鉄の塊ではなく、断面全てが幾つもの包丁の刃のようになっていた。
 砲弾は直撃でなくても、こういう破片が四方八方に飛び散ったのだとしたら、手足どころか胴体だって真っ二つになりかねない。
 七十何年前の砲弾でもこうなのだから現代ではもっと人殺しの技術は進歩していることだろう。
 こういうリアル(皮膚感覚)は教科書や授業ではなかなか教わらない。
 
 あの戦争のリアルは多くの人々が語らいまゝ鬼籍に入った。
 特に加害行為については多くの人々は口を噤んで墓場に持って行った。
 そして今「うっそー!」の時代に、海外派兵が進行している。
 だから「戦争の影」程度のことでも知っている世代が大いに語り継ぐ必要があるような気がする。
 北山修・杉田二郎が歌った「戦争を知らない子供たち」は「教えてほしい」と歌っていたが、「教えてほしい」と待っているだけではだめなのではないか。
 テンポが早すぎても言葉が判らなくても、親や祖父母の時代の「時代劇」を観てほしい。

   早春譜口ずさみたくなる心地して

   戦時下の親も見ただろう春日和

2017年2月6日月曜日

節分の痕

   2月3日の「今年の方相氏」の記事の「追記」で豆撒きをしたことを書き、4日の「冬の訪問者」でヒヨドリはあまり可愛くないことを書いた。
 
   ということで、わが家の周囲には豆が散らばっている。
 で、見ていると、ヒヨドリがその豆を盛んに啄ばんでいる。
 キジバトが啄ばむのは織り込み済みだったがヒヨドリが挑戦するとは思わなかった。ちょっと驚きだ。

 ご想像のとおり、大豆はヒヨドリのくちばしには大きすぎる。
 ヒヨドリが道路上で割ろうと突くのだがヤマガラやシジュウカラのようには慣れていない。
 両カラは足で木の実を上手に押さえてくちばしで突くが、そんな技術はヒヨドリにはない。
 なので、少し坂になっている道路を、豆はヒヨドリに突かれるたびに転がっていく。それをヒヨドリが追っかけて再び挑戦する。その失敗、挑戦、失敗、挑戦が可笑しくて「ヒヨドリは可愛くない」との文言を訂正しなければと考えなおした。

 が、私の見ていたヒヨドリは隣町のヒヨドリだったらしく、すぐに例のヒヨドリがヒューンと追い散らし、「この豆は俺がシマ(縄張り)のもんじゃ」と威嚇した。やっぱり。
 そのうちに人間が踏みつぶしたならゆっくり味わおうとでも思っているのだろう。

 そして丸のままの大豆を上手く食べられないヒヨドリは、相変わらず臘梅の綺麗な花を旺盛にムシャムシャ喰っている。
 やはりヒヨドリは可愛くない。

   梅咲くも春は名のみの豆の痕

2017年2月5日日曜日

山羊と戯る

右から粟、大麦、小麦、稗、古代米、黍
   土曜日は原則としてイクジイ、イクバアから解放される。
 なので2月4日、天気も良いので掃除や買い物は明日に廻して少し骨休めをしようということになった。
 妻はテレビで見たとか言って、奈良の山中に地野菜のレストランがある筈だから私に探せといった。
 ネットですぐに「清澄の里 粟」は見つかったが、前日までの完全予約制という。
 で、ダメモトで電話をしたらキャンセルが出たので対応可能だった。
 場所は奈良市といっても天理市との境界に近い高樋町・・正暦寺や弘仁寺に近い丘の上だった。
 料理は珍しい地野菜のオンパレードで、他の席ではSNS用か盛んにスマホで撮影していた。

 壁には五穀が吊り下げられていたが、いざその名前を言えと言われても、堺の「海よりの街中」で育った私には難しすぎる。
 店のオーナーに「これが粟、これが稗」などと教えてもらったが、私が何回も頓珍漢な質問を繰り返すのであきれ果てられた。
 「黍(きび)=唐黍・唐もろこし」ではなかったことをこの歳になって正確には初めて知った。
 先人たちが、粟、稗、黍などの籾摺りをどのようにしていたのかは今も知らない。現代は改良した精米機で行っていると聞いた。

   食事をしているとテラスに山羊が来た。仔山羊は生後一週間らしい。
 親山羊は引き戸を上手く開けて覗くが、本格的には入ってこない。犬並みの知恵がある。
 小さい子が喜んでなでたりしていたが、我々も内心では子ども以上に楽しんで、山羊を囲んで夫婦で写真を撮ったりした。
 ささやかな週末だった。

   立春(たつはる)や山羊と戯れ五穀食ふ
 

2017年2月4日土曜日

冬の訪問者

   晩秋から赤い実をいっぱいつけていた窓のすぐ外の「西洋カマツカ」には、シジュウカラ、ヒヨドリ、メジロ、ジョウビタキ、ムクドリ、ツグミなどが順番にやって来て、薄いカーテン越しに室内の私たちを楽しませてくれていた。

 少し離れた庭の隅の方には「黄金(コガネ)モチ」もあり、これも競うように赤い実をつけていた。
 その二つの木とも今は実が一つもなくなって、野鳥たちの関心は隣家の鼠(ネズミ)モチの方に移っている。
 そして、わが家の餌台を雀も交えて取り合っている。

 ただ、去年たくさん来ていたヤマガラの数が非常に少なくなった。
 去年などはガラス戸のすぐ外にまでヒュンヒュンと飛び回っていたのに・・・・。
 猫にやられたのか、鳥インフルエンザか、マイナスの想像がグルグルと頭をよぎる。

 ・・・・このように書くとわが家の庭はのどかな野鳥の楽園のように映るだろうが、実はそうとも言えずペアらしい二羽のヒヨドリの「縄張り」(シマ)になっている。
 この二羽が満腹の時も始終見張っていて、特に他のヒヨドリが近づこうものなら猛禽類の形相で追っ払う。
 なのでこのヒヨドリを私はトランプと名付けてその空中戦を見物している。

 そのトランプは、安倍首相が「腰を据え理解を求めたい」と国会答弁した直後に、TPP離脱の大統領令にサインをした。
 この一事でも安倍晋三の落第生ぶりは明らかだ。(TPPを肯定して言っているのではないが)
 トランプは、口先とは裏腹にウォール街の代表をスタッフに参画させ、より露骨な多国籍企業保護政策を推進するだろう。
 そのための二国間自由貿易協定に取り込まれるのが必至の安倍内閣を早期に退陣させないことにはこの国は破滅に向かう。
 
 そんなことを考えながらイクジイをして、孫に「いい匂いやろ」と言って臘梅を嗅がしたら、一瞬にして一枝の花を全部むしり取ってしまった。
 ヒヨドリに喰われるのには腹が立つが、孫の振舞いは何でも許せる。


   臘梅をむしり赤子(あかご)は自慢顔

   風光る照葉樹とは名言

2017年2月3日金曜日

今年の方相氏(ほうそうし)

方相氏あらわる
   時の経過とともに主客転倒した話は世に少なくないが、節分行事の起源といわれる追儺式(※1 ではそもそも方相氏(ほうそうし)が鬼を退治するのである。
 しかし、いつの間にか四つ目の異形からそれ自身が鬼と誤解され、今では方々で女優や力士から豆を撒かれたりしている。

 寒がりの私などは、立春前のこの時期にインフルエンザなどを含め体力の低下をひしひしと覚えるから、この時期に豆をぶつけて邪気(鬼)を払おうと考えた先人の気持ちがよくわかる。
 再度いうが、方相氏は鬼ではなく鬼を払う方である。

 孫の夏ちゃんの幼稚園では一週間ほど前から「お面を作っている」と言っていた。もちろん鬼のお面である。しかし、子どもたちを鬼にしてどうする!

 もちろん、わが家では方相氏のお面をこしらえて孫たちにあげている。
 子どもたちが方相氏になって豆を撒くのが正しい(豆撒きは家長がすべきなどとの論は却下する)。

 今日は節分である。
 毎年書いているが、わが家のならいでは「鬼は外 福は内 戌亥の隅にどっさりこ」と言って(※2 豆を撒いて扉をガシャンと大きな音をたてて閉める(戌亥の隅の考察については以前に書いた)。
 今年の方相氏は力強いので安心だ。

   鬼やらひ家のならひの科白かな

※1 古代中国・周の時代の追儺では、方相氏と呼ばれる呪師が四つ目の面をつけ疫鬼を追った。平安時代の宮中ではこの古式で追儺を行ったが、やがて異形の方相氏を鬼と見る誤解が生じた。

※2 以前に書いたがわが妻は役小角に従った生駒山の鬼の末裔かも知れないので「鬼は外」と言っていいものかどうか迷っている。孫の凜ちゃんは頼光四天王の末裔にあたるかもしれないので「今さら鬼は外は不必要」という気持ちもあって悩んでいる。

【2月3日夜追記】
豆撒きをした。恵方巻を食べた。鰯を食べて玄関に吊るした。老夫婦二人だけで。

2017年2月2日木曜日

真田丸の余韻

   大河ドラマ「真田丸」が終わった。
 その最終回、・・・元和元年大坂夏の陣、家康は四天王寺の直ぐ西にある茶臼山に本陣を構えた。捨て身の真田幸村が斬り込むも討取ることができず、幸村は茶臼山の少し北側にある安居神社境内で戦死した。
 
 ただしである。・・・堺市にある臨済宗南宗寺(なんしゅうじ)の南宗寺史には「家康は茶臼山で敗れ、逃げる途中後藤又兵衛の槍に倒れ、遺骸は南宗寺に隠され、徳川(替玉家康以降)の世になってから久能山、さらに日光山に移送された」とあり、堺人は全員?そちらの方を信じている。信じていない者は戸籍上は堺市民ではあるが堺人と認定されない。

 それはともかく、安居神社には「幸村戦没地」の碑がいくつかあり、昨年中は相当賑わったことと推測された。

 そもそもこの神社は、菅原道真が大宰府に左遷の折り休んだ地との説があり、故に普通には安居天神と言われる。

 「摂津名所図会」には「安井天神山花見」の図があり、酔客が「安井とてけふ揚げつめの天神をいでいでかりてまゐらせん」と唄って踊っている。
 本によると、江戸時代の遊女の最上位は太夫(吉原では花魁)で次が天神。天神の揚げ代は25匁で天神さんの縁日25日に掛けて天神であったとある。
 この狂歌・・揚げ代が安いからといって、今日揚げ詰めの天神に扮して愛でて、さあさあ騒いで舞って差し上げましょう・・の意か? どなたか綺麗に狂歌として現代語訳をしていただきたい。

   傷心と怨嗟の菅公因縁の地も、江戸時代の大阪庶民にかかればこのような宴席になっているのが可笑しい。というか、これが普通の歴史というものなのだろう。
 天満の天神さんも繁昌亭と受験競争のおかげで賑わっている。 

   初天神日の本一(ひのもといち)の夢の跡


 ミリオンさんから後藤又兵衛終焉の地、道明寺合戦の碑の写真が送付されてきたので追加して掲載。なお、道明寺合戦と茶臼山合戦の時間的問題はコメントに記載した。ミリオンさんありがとう。