2017年3月31日金曜日

会計年度のこと

   日本国の会計年度は4月1日に始まり3月31日に〆られる単年度会計が大原則である。
 地方自治体も同様なので、よく「年度末になると道路工事が増える」と揶揄される。
 否、揶揄というよりも、「予算を使い切ろうと不要な支出をしている」と批判されたりする。

 しかし、この単年度会計というものは実際の担当者にとっては厄介な側面もあり、会計年度の前半に予期せぬ事態が生じた場合はやりくりできるが、年度末近い1~3月頃に絶対必要な機器の故障など予想外の出来事が発生すると対処不能になる。
 そして、実際には対処不能では済まされない事態があるものだから、そうするとどうしても年度の当初からは、できるだけ安全係数を考えて抑え気味に使っていき、「年度末までいけるかどうか」を読みながら徐々に解禁していくというのが大きな流れになる。
 となると、自治体の道路などの場合も、絶対に対処必要な「道路陥没」などの緊急修繕費用を一定確保するために、街路樹の剪定工事などは後回しにして、「先が読めた頃」に発注することになる。
 なので「3月工事」には無理もない側面があるのである。

 さて、私が駅やショッピングセンターに向かっていつも使用する道路は隣の自治体の道路である。
 そこでつい先日、街路樹の小規模な剪定作業に出くわした。
 歩きながら私は、「ああ年度末だなあ」との感慨を持った。
 前述のとおり、これは大きな制度の問題で、担当者を責める気は私にはない。
 しかし、何だ! よく見ると剪定対象の多くはヒラドツツジではないか。
 あと一月もすると満開になる、GWを飾る花である。
 それをこの時期に剪定するか!
 
 住民自治といっても実際は難しいことだと思う。
 「民度」以上の民主主義はあり得ないのかもしれない。
 で、「お任せ民主主義」の犠牲者はツツジ君だろう。
 ちなみに同じ道路の続きになる私の自治体では、担当部局に「年度末だからと言って開花が近いツツジ等を3月に剪定などしないでほしい」と直接言ってある。


   庭の「吉野デンドロン」(写真)が咲き始めた。
 ツツジ科で、早咲きのツツジとシャクナゲのハイブリッドだ。
 ヒラドツツジは一月ほど後になるが、負けず劣らず綺麗な花を咲かせる。
 しかし、今年の件(くだん)の街路樹はどうなることだろう。

   4四半期(ししはんき)剪定されし蕾かな

2017年3月30日木曜日

閻魔の呟き

   29日に奈良で桂福車の落語を聞いた。
 演目は「エンマの願い」で、副題のようなものは「過労死防止落語」。
 過労自殺した亡者の話に赤鬼、青鬼、果ては閻魔大王までが心を痛める。

 ところで、母一人子一人で母親にこれ以上の苦労はさせたくないと、文字どおり必死に働いてきた青年にはどこか後悔がないようなセリフが続く。
 そこで閻魔はライブカメラのように娑婆を映す浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ)を青年に見せると、わが子を失って見違えるように痩せ衰えた母親が・・・。
 で、自死をたしなめると同時に、企業の論理の歪みを指摘して労働法を教える閻魔大王。
 そこかしこにギャグを含めながら、「自らの権利を放棄するものは他人の権利も侵害する」と言うのを知っとるか!とするお説教もお見事。
 あとは実際に見て聴いていただきたい。

 今回の主催者は「働くもののいのちと健康を守る奈良県センター」。
 秋の11月には「過労死防止シンポジウム」も予定されている。

 KAROSIは今やインターナショナルな国際語になったが、それは不名誉なことである。
 当初は国連でも、日本の過労死家族等の代表団が何を言っているのか解らなかったようだ。言葉のことでなくそれがあまりに常識の枠外のことだったから。
 そもそも、しっかり働こうという精神は尊いが、命以上の仕事はない。
 大事なことは、そういう日本が、なんと労働者一人当たりの労働生産性が先進国中最下位になっている事実である。
 このように、安倍政権が後押しする日本財界の労務方針は完全に破たんしている。個々の労働者も大変だし日本経済も衰退の一途だ。こんなことを見過ごしていてよいのだろうか。
 安倍政権の先が見えてきた今日こそ、こんな政治を抜本的に変えようと本気で声を上げることを閻魔大王は願っていらっしゃる。

   沈丁の溢れる大気の独り占め

2017年3月29日水曜日

バスをバカにするな

   大阪市議会本会議で28日、大阪市営地下鉄の民営化が維、公、自の賛成で可決されたらしい。

   さて、国鉄民営化で北海道の鉄道網はボロボロにされ、郵政民営化で田舎の年寄りは不便になった。
 早い話が「民営化」というのは公共性があっても赤字部門は容赦なく切り捨て、国民の財産である黒字部門は民間資本がむしゃぶろうというものなのに、なんでこんな自明のことがマスメディアでは覆い隠されているのだろう。
 そして、メディアの「官から民へ」とか「小さな政府」という洗脳の果たしている罪は重い。
 大阪市民だって、全市民が地下鉄の駅の直近に住んでいるわけではない。
 いくら鉄道が充実しても、駅までのアクセスは必要だ。

 少し想像してもらいたい。わが街や隣の街には自治体が大いに関与したコミュニティーバスが走っている。
 つまり、それは営利企業である民営交通だけでは住民の交通権が確保されないからで、「公共交通」と呼ばれる所以もそこにある。
 
 大阪市営交通の場合は地下鉄の黒字でバスの赤字が埋められていた。
 それは何もおかしなことではなく、当たり前のことなのだ。
 地方自治体や公共事業に単純な「私企業の理論」を持ち込むことは正しくない。
 「儲からないことは切り捨てる、人員はリストラする」は誤りだ。
 橋下徹氏が唱え、維新の面々が唱和する「無駄を省く」は、つまるところ福祉切り捨て、弱者切り捨てだ。
 加えて、邪な「経営者」に「公」を売るのが「規制緩和」の本質だろう。
 森友学園籠池氏が要請し維新府政が認可基準を緩和したことが森友事件の出発点であった。
 維新の大阪府政、大阪市政の有害性は明らかだと思う。

   木蓮であらずともよし紅辛夷

2017年3月27日月曜日

百舌鳥古墳群の被葬者

 先日来、百舌鳥古墳群についていくらか語ってきたが、宮内庁によって考古学的調査が阻まれていることや、太安万侶の墓のような墓誌が皆無に近いことから、どうしても正確を期そうとして語ったので、先日私が解説したOB会の皆さん方には歯切れが悪く聞こえたようだ。
 なので今日は、思い切って宮内庁の治定(じじょう)に対する私なりの対案を以下のとおりはっきり言ってみたい。

 1 古市・百舌鳥古墳群に被葬されているとされている概ね5世紀の大王(便宜上「天皇」と呼ぶ)応神、仁徳、履中、反正(はんぜい)、允恭(いんぎょう)、安康、雄略の実在性は高いと考える。
 その根拠のひとつは、5世紀後半築造と考えられている埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣に象嵌された文字で、そこには「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」に使えた乎獲居(オワケ)臣」が「辛亥(しんがい)年」に記すとして、8代前の「上祖」の名は「意富比垝(オオヒコ・大彦?)」だと述べている。
 辛亥年は471年で、「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」とは日本書紀にある「大泊瀬幼武(おおはつせのわかたける)」の雄略天皇と符合する。
 さらには、「幼武」の「武」が宋書で478年に倭王に任命された(倭の五王〈讃、珍、済、興、武〉)の「武」とも符合する。
 さらには、「杖刀人首」である乎獲居」ですらが8代前からの祖先の名を順に名乗っているのであるから、この時期に少なくとも大王家に「帝紀」(系図)が伝えられていなかったとは考え難い。

 2 概ね5世紀の天皇陵は文献上、次のとおりである。
歴代
古事記
日本書紀
延喜諸陵式(905
在位
在位高城説
応神
川内恵賀之裳伏岡
記述なし
恵我藻伏崗陵
270-310
368-407
仁徳
毛受之耳原
百舌鳥野陵
百舌鳥耳原中陵
313-399
410-434
履中
毛受
百舌鳥耳原陵
百舌鳥耳原南陵
400-405
434-437
反正
毛受野
耳原陵
百舌鳥耳原北陵
406-410
437-439
允恭
河内之恵賀長枝
河内長原陵
恵我長野北陵
412-452
439-460
安康
菅原之伏見岡
菅原伏見陵
菅原伏見西陵
453-456
460-461
雄略
河内之多治比高
丹比高鷲原陵
丹比高鷲原陵
456-479
461-483
 上記のとおり、仁徳、履中、反正の天皇陵が百舌鳥に築造されたとなっていて、そのことは肯定したい。私は、この時期に係る記紀の記述が、少なくない粉飾等があるにしても全く荒唐無稽だとは考えない。
 ただし、5世紀に築造された御陵を10世紀に記述した延喜式の諸陵式の記述内容については少なからず首肯できない。
 表の一番右の「在位高城説」とは高城修三氏の説で、継体以前の書紀の紀年(年代)は、原史料の称元法の変更や干支の解釈違いに加え、安康2年以前は「春秋年」(半年が1年)であるとして、それらを訂正した紀年である。

 3 この時期の巨大古墳の全長と考古学上の築造時期は次のとおりである。
   津堂城山古墳208m4C後半
   仲ツ山古墳286m4C末~5C初め(伝応神皇后仲ツ媛陵)
   墓山古墳224m5C前半
   上石津ミサンザイ古墳365m(伝履中陵)5C前半
   誉田御廟山古墳420m5C前半(伝応神陵)
   いたすけ古墳146m5C前半
   大山陵古墳482m(伝仁徳陵)5C中頃
   御廟山古墳186m5C中頃
   市の山古墳227m(伝允恭陵)
   田出井山古墳148m(伝反正陵)5C後半の古い段階
   土師ニサンザイ古墳288m5C後半
   岡ミサンザイ古墳238m(伝仲哀陵)
   前の山古墳190m(日本武尊白鳥陵)
   ※  黄字は百舌鳥古墳群、通常の文字は古市古墳群

 4 百舌鳥古墳群被葬者の考察

 
① 誉田御廟山古墳420m(伝応神陵)の築造時期について疑義が残るが、これは古市古墳群であるので、とりあえず保留しその検討は今後に継続する。

② 別掲「地図」のとおり、3人の「天皇陵」に相応しい、一定時期中(つまり、その同年代)の巨大古墳といえば、築造年代順に、上石津ミサンザイ古墳(5世紀前半)、大山古墳(5世紀中頃)、土師ニサンザイ古墳(5世紀後半)である。
   他の古墳の規模が格段に小さいことと、記紀等が「百舌鳥に3人の天皇陵」と記述していることと上記の地図(実際の古墳の規模)は符合する。

③ 日本書紀の仁徳紀67年に「河内(和泉分離前は河内で問題はない)の石津原に幸して、以て陵地を定めたまふ(自身の御陵の地を定めた)」とあるが、石津川沿いにあるのは上石津ミサンザイ古墳であり大山古墳ではない。
   よって、書紀仁徳紀の記述と考古学上の築造時期からみて、上石津ミサンザイ古墳こそが仁徳天皇陵であろう。

④ 考古学上の築造時期の根拠についてはここでは割愛するが、その順序からして、5世紀中頃築造の大山古墳が仁徳の子の履中天皇陵であろう。

⑤ 同じく築造時期からみて、土師ニサンザイ古墳が履中の弟の反正天皇陵であろう。 
   宮内庁は、土師ニサンザイ古墳を「反正天皇空墓」としているが、実際の全長300m以上の土師ニサンザイ古墳から、全長150m弱の田出井山古墳に改葬したとは考え難い。

⑥ 田出井山古墳は、難波の津から大和に向かう大津道や丹比道の起点付近にあり、特に大津道に沿っていることから、その地理的意味は重いが、百舌鳥古墳群を俯瞰すれば、一般的には陪塚(ばいちょう)の規模の古墳である。

⑦ 延喜式の諸陵式の記述はほとんど採用できないが、反正天皇陵についてそれは田出井山古墳らしき「百舌鳥耳原北陵」としながらも、「兆域東西3町、南北2町」と「東西に長い古墳」としている。
地図のとおり、田出井山古墳は南北に長く、土師ニサンザイ古墳が東西に長いことを付け加えたい。
 
5 考古学上の築造時期
 近年の考古学の発展は目覚ましく、放射性炭素年代測定法、年輪年代測定法で絶対年の近似値が出る。
 前方後円墳は大小にかかわらず一定の規格に沿って築造されており、その規格の変化から築造時期の順序が判明する。
 石棺の加工技術、埴輪、出土品等の製作技術から築造時期の順序が判明する。
 以上に種々述べた古墳の築造時期については、古墳の考古学の第一人者といわれている白石太一郎氏の説によっている。

   年度末なんくるないさと跨ぎたし

2017年3月25日土曜日

阡(せん)と陌(はく)

   22日にOB会の遠足で堺へ行ったが、私には堺市役所の21階展望ロビーで百舌鳥古墳群について解説せよとの宿題が与えられていた。
 古代史に興味のない方にも興味を持ってもらえて、かつ最新の考古学や古代史学の成果を踏まえて簡潔に解説するように心がけたが、そのために、いざ勉強し始めると正直に言って手に負えなかった。
 例えば、かの有名な大山古墳はほんとうに仁徳天皇陵かという大問題があるのだが、宮内庁が陵墓や陵墓参考地の学術調査はもちろん立ち入りを禁止しているため、限られた材料で著名な先生方が百家百説を唱えられているのが現状で、各種著作や論文を読めば読むほど謎が深まるばかりだった。

 そんな中で、百舌鳥古墳群とは直接関わらないのだが、本の中から、古市・百舌鳥古墳群出現の直前の時期の成務天皇(高城修三の紀年説で336年即位から339年)の「縦と横」問題が目に飛んできて、「忘れかけていた宿題」に再び興味が湧いてきた。(ズーっと以前から気になっていたのだが、そのままにしてあった)

 問題は日本書紀成務天皇5年秋9月の次のことである。
 「・・・・則ち山河を隔(さか)ひて國縣を分ち、阡(たたさのみち)陌(よこさのみち)に随ひて以て邑里(むら)を定む。因りて東西を以て日縦(ひのたたし)と爲し、南北を日横(ひのよこし)と爲す。・・・・」
 ちなみに手持ちの『新潮日本語漢字辞典』では、「阡は南北に通じる畦道」「陌は東西に通じる畦道」とある。現在の常識の「南北が縦、東西が横」である。
 なのに成務天皇は、「東西を縦」とし「南北を横」と言っている。

 考えてみれば、農耕民族にとって大事な指針は太陽と月の出入りであり、北極星ではなかったと考えるとこの話も納得できる。
 そういえば、纒向遺跡の住居(宮殿?)は東西に並んでいたし、最古の神社と言われる大神(おおみわ)神社は西に鳥居があって東を向いて拝礼する。
 それが後に中華文明を取り入れる中で、今日の「南北が縦」「天子は南面す」に変わって今日があるのだろう。

 そこで推理はさらに魏志倭人伝に飛ぶのだが、女王国の倭人が東のつもりで阡と説明したのを聞いた帯方郡の(九州までは既に知っていた)役人が、それを阡だから当然に南と解したことはなかったか。即ち「南して邪馬台国に至る。女王の都する所なり。水行すること十日、陸行すること一月」である。

 こうして宿題は倍々ゲームで増えていく。嗚呼。
 なお、倭人伝のこの部分は、「陳寿たちの「日本地図」では九州の南に本州があった(古い地図がそうである)」説。
 魏にとって「倭は会稽東冶の東でなければ意味がなかった」説。
 「距離の起点が途中から変わっている」説等々がある。

 漢文(中国語)に詳しい渡邉義浩先生によると「一大率」は「一人の『大率』」と読むべきで、伊都国に置かれた「大率」が「刺史」のようと書かれているということは、もし九州に邪馬台国があったならば「司隷校尉」のようと書かれるべきであるという緻密な文献解釈もある。
 さらに、3世紀半ばの考古学的最新の結果は「ヤマトに全国の土器や金属器等が集積しており、反対にこの時期の九州は明らかに衰退している」ことを示している。

 5世紀の古市・百舌鳥古墳群を勉強するつもりが、3世紀に飛んだりして散々な2週間であった。

   囀って春眠断ち切る雲雀かな 

2017年3月24日金曜日

安倍首相は議員も辞職すべきだろう

  3月23日、参議院及び衆議院で籠池泰典氏の証人喚問が行われる中で、次のような証言と証拠が出た。
 つまり、平成27年10月に籠池理事長は安倍晋三夫人の昭恵氏の留守電にメッセージを残したところ、11月17日に次のようなファックスが送られてきた。
 ファックスの宛名は「塚本幼稚園 幼児教育学園 総裁・園長 籠池泰典 様」
 差出人名は「内閣総理大臣夫人付 谷 査恵子」(経産省から内閣府に出向して内閣総理大臣夫人付「秘書」という国家公務員)

 本文には、「財務省本省に問い合わせ、国有財産審理室長から回答を得ました」「なお、本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております」とある。
 さらに、続きと思われる1ページは財務省国有財産審理室長田村嘉啓から受けた回答とされていて、
 「10年定借の是非」「50年定借への変更の可能性」「土壌汚染や埋設物の撤去期間に関する賃料の扱い」「工事費の立て替え払いの予算化について」の回答内容が書かれている。
 全般にいわゆる「有額回答」らしくはないが、「工事費の立て替え払いの予算化について」の項には「平成27年度の予算での措置ができなかったため、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中」とある。

 以上の内容について衆議院枝野議員は「発言が事実と違えば偽証罪に問われ、このファックスが偽造・変造されたものであれば罪に問われるが間違いないか」と念を押し、籠池証人は明確に「間違いございません」と返答した。

 これらの事実から、このファックスに偽造・変造の証拠が出てこない限り、籠池夫妻が総理夫人に何らかの働きかけを行い、それを受けた総理夫人が秘書である公務員を通じて財務省に働きかけたことは動かしがたい事実だと思われる。

 あと考えられる言い訳としては、「谷秘書が昭恵夫人の留守電を勝手に聴いて、良かれと思って勝手に財務省と折衝した」として谷査恵子氏に責任を転嫁することだが、その場合でも、「なお、本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております」という文章を覆すことはできない。

 安倍首相は、2月17日の国会答弁で、いささか気色ばって「私や妻が(国有地売却や学校認可に)関係していたことになれば、首相も国会議員も辞める」と明確に答弁している。
 もし仮に、国会内で大臣である議員が発言(約束・宣言)したことが守られなかったならば、議会主義も民主主義も成り立たない。
 よって、安倍首相は、自ら吐いた2月17日の答弁の責任を取って即刻総理大臣並びに衆議院議員を辞職すべきである。
 この一点だけでも辞職相当である。

   蘇鉄の実早咲きの桜あり旧き街

2017年3月23日木曜日

朝日新聞の矜持

   国境なき記者団が発表した2016年報道の自由度ランキングで日本が全180か国中72位であることには納得する。
 主要メディア幹部が国会の山場で首相と度々会食する事実と、そのお追従に似た報道内容は比例している。

 しかし、その中には真にジャーナリストでありたいと考える人々がいて、微妙なせめぎあいの中で今日の状況のあることを冷静に見る必要もある。
 だから、批判は批判として、頑張ったペンの力には正しい称賛が必要だともいわれている。
 そこで私は、閣議決定後の「組織的犯罪処罰法改正案」などという誇大広告に従わず、一貫して「共謀罪」という言葉で見出しを作っている朝日新聞にエールを送りたい。

 まず、22日朝刊の「天声人語」を転記したい。
 やさしい「父(とう)べえ」は大学を出たドイツ文学者。戦時体制下で治安維持法に背く「思想犯」として逮捕され、長く拘留される。家族との連絡は検閲された手紙だけ。妻子は困窮する。2008年の映画「母(かあ)べえ」である▼治安維持法は1925(大正14)年4月にできた。当初は共産主義を抑え込むための法律だったが、取り締まりの対象は言論人や芸術運動にまで広がった▼法律制定にあたり、ときの内相若槻礼次郎は「抽象的文字を使わず具体の文字を用い、決してあいまいな解釈を許さぬ」と答弁した。司法相の小川平吉は「無辜(むこ)の民にまで及ぼすというごときことのないように十分研究考慮を致しました」と説明した▼90年以上たったいま、国会で似た答弁をしきりに聞く。犯罪を計画段階で罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ法改正案に対する安倍晋三首相の説明だ。「解釈を恣意(しい)的にするより、しっかり明文的に法制度を確立する」「一般の方々がその対象となることはあり得ないことがより明確になるよう検討している」。その法案がきのう閣議決定された▼3度も廃案となった法案である。時代や状況は違っても、政府とは何かと人々を見張る装置を増やそうとするものなのか。政治権力の本能を見た思いがする▼「母べえ」が描くのは、捜査機関の横暴だけではない。法と権力を恐れ、ふつうの人たちが監視する側に回る。秩序や安全を守るという政府の声が高らかに響き、社会はじわじわと息苦しさを増していく。

 そして22日夕刊の「素粒子」である。
 テロ対策の金看板を掲げた共謀罪。羊頭狗肉(ようとうくにく)の見本のような。しかも、はやりの一匹狼(おおかみ)テロリストには効果なし。
 ☆ 競馬法も職業安定法も商標法もテロ対策か。テロ集団がノミ行為をしたり、仕事を紹介したり、偽物を作ったり?
 ☆ 私は「一般人」か。国会前デモにいたら。その団体はいつ「一変」するか。常時監視のオーウェル的社会の到来。

 共謀罪は内心を処罰する治安維持法だ。
 朝日新聞もこう言っているぞと話を広げたいものだ。

   防相は人を殺して死ねよとか (川柳)

2017年3月22日水曜日

永六輔の伝言

 前回の記事で私は故大西良慶師の言葉を引いて、「宗教(仏教)もこんな風にとらえてもいいのではないか」などと偉そうなことを言ってみたが、今日読んだ矢崎泰久編『永六輔の伝言』では、腰を抜かしそうな永さんの行動力を知った。

 師匠であり友人であった三木鶏郎さんが晩年、永さんに「この病気は先がないから、葬儀委員長は君がやってくれ。葬儀の方法も決めておきたい」と何度も頼んだらしい。
 「キリスト教的な葬儀にしてお経はやめてほしい。ソプラノの『アメイジング・グレイス』が流れる中、出棺したい」そんな希望を永さんに託した。なお、永さんはお坊さんである。
 そして訃報に接した永さんは、ソプラノ歌手の中島啓子さんに歌ってくれるよう頼んだ。
 だが、「うちは仏教だから、そうはいきません」とご遺族から反対されてしまった。
 葬儀は青山斎場。お坊さんが10人くらい並んでいた。

 それでも鶏郎さんとの約束をどうしても果たしたかった永さんは、「お経が始まったら、一番後ろから勝手に歌いながら、祭壇の前に出てきて最初にお焼香してよ。僕がその後に続いてお焼香するからね」と啓子さんにそう頼んだ。鶏郎さんなら許してくれると思い。
 読経が響く中、やおら啓子さんが『アメイジング・グレイス』を歌いながら堂々と祭壇に向かい、項垂れながら永さんがその後を歩いた。
 「読経とソプラノの声が張り合い響き合うので物凄い迫力で、素晴らしいお葬式だったと多くの人が喜んでくれた」と本には書かれていた。

 書かれてある一つ一つのことにコメントをする気はない。
 ただ、砂漠のようだと例えられる都会にあって、全く縁のなかった方々に気楽に立ち寄ってもらえるお寺にするには、永六輔さん的な豊かな発想と行動力があってもよいように感じただけである。
 集英社新書『永六輔の伝言』は面白かった。

   百均で玩具買うかな春時雨

2017年3月20日月曜日

剃髪式法要

  19日に友人の剃髪式の法要があった。
 既に得度もし僧侶として法要等も行っていたが、本格的にお寺のお守りをする決意の表れだった。
 戦争で丸焼けになったとはいえ600年の歴史を持つ名刹の復興に微力ながら手を貸そうという友人たちも集まった。

 そこで私は概ね次のような発言をして宗教法人の役員就任のあいさつを行った。

 鎌倉期の宗教改革では諸師が厳しい教義論争をしたが、21世紀の今日は現代風に理解してもいいのではないか。
 清水寺の故大西良慶師の言葉に、神さんも仏さんも人間がそう名付けただけのことで、要は大自然の法則のことだというのがある。
 大自然そのものに畏敬の念を払い、人間の力の弱さを悟り驕りを戒める、それが宗教(仏教)だと理解したい。
 そういう広い気持ちで宗派を問わず求めがあれば法要に応じるお寺にしたい。
 具体的には仏教(神仏)に由来する行事を重ねて子どもたちにお寺に触れてもらうことに努力したい。

 その基本方向は概ね了承されたように思う。
 変なご利益信仰や罰が当たるというような宗教でなく、お詣りに来たそれぞれが心の安らぎを得るようになればいい。
 お題目でもお念仏でも南無大師遍照金剛でも、各自が馴染んできたお詣りの仕方でいいではないか。
 鬼子母神ゆかりの和手ぬぐいぐらいは作ってもいいように思う。
 花まつり、地蔵盆、茅の輪くぐりもいいかもしれない。
 何年か後にはデイサービスはどうだろう。
 そんなことで社会にお返しができるなら、健康な間は色々関わってみたいと思った。

 余談ながら、カール・マルクスは170年以上前にヘルマン・ヘッセの詩を引用して「宗教は悩める者のため息であり・・民衆のアヘンである」と著した。
 各時代の為政者はそのアヘンという言葉尻をとらえてマルクス主義を攻撃したが、これは時代的には鎮痛剤の意であり、宗教に対する侮蔑の意味はない。もちろん、当時のヨーロッパにおける宗教状況への批判は当然に含んでいるが、重ねて言うが宗教を否定しているものではない。
 そして今現代は、「神を信じる者も信じない者も」一緒に手を取り合って平和で公正な社会を実現するために共に歩むことこそが大事な局面だと私は思う。
 なので、いろんな人がいろんな意見を言いあってこのお寺を大事にして行けたら良いなと念じている。

   日英上人の剃髪式にて
   春うらら青坊さんの門出かな

2017年3月19日日曜日

小事件を逸するのは

 『吾輩は猫である』のなかで漱石は、「凡ての大事件の前には必ず小事件が起こるものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る幣竇(へいとう:欠陥)である」と語っている。
 戦前の全体主義・軍国主義の因って来るところを考える場合には非常に重要な指摘だと思う。

 ナチスがワイマール憲法下の「民主主義」から誕生したことはあまりに有名だが、古今東西、「私が当選したならば、明日から国民の権利は全廃します」「明日から軍国主義国家にします」と言って登場した軍国主義者はいない。
 漱石流にいえば、小事件が積み重ねられてそれは成るのである。
 戦前の歴史を反省して平和で民主的な国を希求する場合、この観点は決定的に大切である。

 という視点で教育勅語を見た場合、これが国民を思想統制する上で果たした役割は極めて大きい。
 それを知ってか知らずか(知っての上であろうが)、教育勅語の片言隻句を取り出して「いいことも書いてある」と語るのは、「歴史家の幣竇(へいとう)」レベルの問題ではなく、それには反動という言葉が似つかわしい。

 戦前の学校生活を客観的に確認するには、妹尾河童著『少年H』が判りやすい。
 そこには教育勅語はそのまま出ていないが、戦前の学校現場が如何に非合理的なものであったかが記されている。
 そして青少年たちは「一旦緩急アレハ義勇公に奉シ」(教育勅語の中枢)と死んでいかされたのである。
 ISなどの自爆テロを西欧のマスコミは「カミカゼ」と言うそうだが、そのような狂気が支配的思想であったのが戦前の社会である。
 教育勅語は、そういう狂気を生んだ母体である。

海軍発行の慰安所出入証
   次に大事な観点は、いったい教育勅語と戦前の軍国主義教育は、日本の小国民に被害をもたらしただけであろうかということである。
 『元日本兵が語る「大東亜戦争」の真相』から拾ってみると・・・、
 宮本弘康さんは上官に「試し切り」を命令され、諏訪部明さんは「教育」の名の下に刺突訓練を命令され、今津茂さんは生体解剖を命令され、そうして一般民衆の虐殺、強姦、略奪を繰り返したのが日本の軍隊・兵隊だった。
 南京に停泊していた「海風」の照尺手だった三上翔さんは「生きとるやつがおったらいかん」と命令され、甲板から動く者はすべて撃った。
 従軍看護婦であった橋本ナツミさんは満州で、兵士が日本人の母親に「見つかるから」と泣く子を川に捨てさせ、挙句は一般居留民の乗った列車を「足手まといになるから」と日本軍が爆破したと語っている。
 これがあの戦争のリアルな姿であり、その何処に、友達を信じ、行動を慎み、他人に博愛の精神(勅語の片言隻句)があったというのか。

 よって私は、理性ある現代人は、口が裂けても「勅語にはいいことも書いてある」などという寝言を言ってはならないと思う。
 単に歴史を学べというよりも、「歴史の学び方を学べ」ということが大事な時代にいるようだ。

   春愁や待合室は仄暗し

2017年3月17日金曜日

やはり野におけスミレ草

   標題は、正しくは「手にとらでやはり野におけれんげ草」だが、スミレであっても許されるような気がする。
 真冬並みの寒気であっても日照時間のせいか半分野生のスミレが順番に咲き始め、文句なく春を感じさせる。
 お水取りも終わって春だ!と叫ぶのに遠慮もいらない。
 来年は孫の凜ちゃんを連れて「達陀帽(だったんぼう)いただかせ」に行こうと思う。

   修二会繋がりで街路樹の椿も輝いている。「照葉樹」とはよく言ったものだと常々感心している。
 木偏に春もいい。

 次に、毎年この時期に紹介しているのが沈丁花で、大阪市内辺りではきっと満開だろう。満開かどうかは鼻で判る。
「花は丁字に似る」といわれるが、あまり同意できない。
 ただし、「芳香が沈香」というのは100%同意。
 だが、華やかな香りというよりも、浅春の少々メランコリックな香りである。
 
 来週、OB会の堺市街の遠足で、百舌鳥古墳群の解説をせよという宿題を与えられている。
 先日から手を付け始めたが、全く予想外に難渋している。
 部屋中に何十冊という本を広げて摘まみ読みしているのだが、大先生方100人100説の感じがする。
 大山(だいせん)古墳の方! 貴方はいったい誰ですか?

   行く雲や花あい似たり沈丁花

2017年3月14日火曜日

むかしはものをおもはざりけり

   『なくせ!原発3.11おおさか大集会』で感心したことが二つある。
 そのひとつは、再稼働反対!のような「NO!」の議論だけでなく、自然エネルギー・再生可能エネルギー推進の運動が草の根的に広がっていることだった。
 地域で何人かが呼びかけることから始まって、太陽光発電所、バイオ発電、地下熱・太陽熱利用の省エネ施設、小水力発電、小型風力発電などが徐々に広がっているらしい。
 豊中で太陽光発電所を実現した経験で、最初の大きな課題は「素晴らしい屋根を見つけること」だと聞いたときには、そのあまりに他愛ないテーマにのけぞったが、真にリアルな話というものは実はそういうものなのだろう。

 その2は、ドイツをはじめとするヨーロッパの脱原発の運動には30年の歴史があるという指摘だった。チェルノブイリ事故である。
 例えばポーランドでは、ソ連が発表する前に各学校で安定よう素剤を飲まされていた。
 日本のように「直ちに影響はない」などという情報統制が効かない分、ヨーロッパの広い地域で市民はチェルノブイリの被曝を実感したようだ。
 私は今頃そんなことを知って、昔はものを思わざりけりという後悔が湧いてくる。

 反対に言えば、30年という年月は、フクシマの5倍以上の風化の危機があっただろうに、地道な脱原発の主張は30年の重みで広がってヨーロッパの今日があるのだろう。
 息の長い取り組みが大切だ。負ける時は諦めたときだ。

 ドイツのシェーナウの市民所有の電力会社(EWS)は16万世帯と契約を結び、原発ゼロの電力を供給しているが、その運動の発端は、1985年のチェルノブイリ原発事故を受け「放射能の被害から子どもたちを守りたい」と願う5人の親の運動だった。
 湯川秀樹氏の「すべての真理は初めは少数派だった」の言葉を思い出す。
 安倍自公政権や維新の地方政治を見ていると展望が霞むようなときもあるが、負け惜しみでなく、未来は決して暗くないと思いながら各氏の話を聞いた。

   春の陽を窓越しに見る花粉かな

2017年3月12日日曜日

小さい政府は高くつく

 政府の規制改革推進会議は9日、『労働基準監督官の業務の一部を民間委託するよう』提言する検討に入ったと新聞が報じた。
 労働基準監督官は「労働Gメン」とも呼ばれる国家公務員の専門職で、労働基準法等に基づいて企業を監督・指導し、違反者を逮捕、送検する司法警察官の権限を持つ。
 全国に約3,200人いるが、国際労働機関(ILO)の基準でいえば充足率は6割強といったところ。しかも、労働基準行政では元々「労働技官」や「労働事務官」が担っていた安全衛生業務や労災補償業務も担当しているので、人員不足は明白な事実。
 ならば、対処の方法は明らかで、現下の課題である過労死、過労自殺など長時間労働の監視機能を強めるなら、労働基準監督官の定員を増やせばいいだけのことである。
 同時に、労働基準行政の「技官」や「事務官」を増員して、その部門に従事している労働基準監督官を本来業務に充てればいいのである。
 つまり、民間委託は、見かけの「充実」で労働基準監督行政の本質を歪めようとする悪政に他ならない。
 民間委託されたとすると、企業の顧問をしたりしている社会保険労務士が企業を監督するのである。
 電力会社社員が原発の安全を検査するのと同じことだ。
 社会保険労務士が悪いわけではない。
 行政体制の充実が必要なら労働基準監督官試験を経て採用すればよいだけのことである。
 小さい政府だとか身を切る改革などという者ほど胡散臭いものはない。

   水送る若狭を守れ原発忌

2017年3月11日土曜日

6年目の3.11

   6年前の3月11日、私は奈良市内の古いビルの4階にいた。
 地震発生時刻は14時46分。大阪が揺れたのは49分。奈良もそれぐらいの時刻だっただろう。
 立って話をしている講師は気付かないようだったが聴衆は互いに顔を見合わせた。
 受付の方がスマホの情報で「東北で大地震」と教えてくれた。
 私の母が「関東大震災のときに堺で揺れた」と言うのを信じていなかったが、今では本当にそうだったのだろうと信じている。
 
 15時終了で急いで帰ると、電車の乗り継ぎが良かったのか15時30分頃には家に着いた。
 ここから、テレビにへばりついてヘリコプターからのライブ中継を見た。
 それは地獄絵図の生中継だった。
 いろんな思いがあるが、津波に呑み込まれてゆく人の生中継は衝撃的なショック(心理的負荷)だった。
 あとから話をすると、この生中継を生で見た人と、夜のニュースで見た人との間には衝撃度に相当な違いがあるように思う。
 そしてフクシマ第一原発が全電源喪失しメルトダウンした。

 東日本大震災の死者は15,894人、重軽傷者は6,152人、届けられた行方不明者は2,561人、震災関連死は3,472人、避難者は当初約47万人、29.2.28現在約12万3千人、長期避難者の多くは原発事故関連と思われる。
 あれから6年、仮設等避難先の小学校で入学式をした児童はそこで卒業する。
 6年といえば、小学校高学年プラス中学校、あるいは中学校プラス高校という時間になる。「経済大国」と豪語してきたこの国の政治はこの程度なのか。
 衣食住の住が固まらないままの6年と、子どもたちの将来設計が定まらない心的ストレスはお金では換算できない。

 ただ、福島の農産物は出荷前に全量放射能検査をし、すべて基準値をクリアしているという。
 一方では、除染されていない山林から風雨によって農地に汚染が広がっているという報道もある。
 安堵できる報道を信じて風評被害に加担したくない気持ちはやまやまだが、政府や東電の嘘に継ぐ嘘を考えると冷静にみて疑問は多く残っている。
 今日は3.11、その辺りをじっくり勉強したい。

 3.11の最も深刻な性格は原発事故である。
 「メルトダウンはしていない」「直ちに身体に影響はない」と何万回と聞かされてきたが結局メルトダウンを否定する人間は一人もいなくなった。
 ただ、メルトダウンの正確な状況は今でも判らず、廃炉計画は遅々として進んでいない。
 話は飛ぶが日本の原発の長男とでもいえる東海村の核燃料再処理施設は結局機能せずに廃炉と決まったが、メルトダウンでないここの放射性廃棄物の処理だけでこれから70年はかかると言い、費用は判らないという。

 「風化させてはならない」という言葉はよく聞くが、SNSの世界でも情報量は低下している。
 続出する政府の悪政のせいもあるが、3.11ぐらいは皆フクシマについて発信してほしい。

   修二月会俗世を叱る沓の音