2017年11月22日水曜日

ゴミ出し問題

 朝日新聞に、高齢化社会になってゴミの分別やゴミ出しが困難なケースが発生しているという特集があった。
 かくいうわが街も、ゴミの収集方法はゴミステーション方式であるから、ゴミステーションから離れた高齢者の家庭が雨の日などにゴミを出すのには大変苦労されている。
 私は基本的にゴミステーション方式には賛成だが、高齢化社会は予想外のことも生むようだ。

 ゴミステーションのゴミ出しの問題は二つある。ひとつは、烏対策。二つは住民のルール違反である。
 後者についてはこんな田舎でもそうであるから、住民どおしの関係が希薄な大都会ではもっと深刻ではないだろうかと想像する。
 そうなると、結局、有料化で自治体にお願いするようになったりする。

 前者の烏対策で私がつくづく感心するのは、烏は非常にそこの住民の民度を知っているということだ。
 ゴミステーションにはネットがあるが、ネットからはみ出すように出す地域、ネットの掛け方がおざなりの地域をよく知っている。
 反対に言えば、ここは駄目だと考えたステーションには寄り付かない。
 (ということは、やっぱり烏問題ではなく住民の意識の問題か)

  そこで私のステーションではネットの上にブルーシートを覆うようにした。
 ネットの隙間から突くのを防止するというよりも、「ここは駄目だ!」と烏が思う効果が顕著だったと思っている。

   ついでの話だが、このネット+ブルーシートは収集後は少しは整理しておきたい。
 そこで写真のとおり、チェーンとリングで巻き上げて止めておくようにした。
 ここまでしてもホッタラカシの当番の人もいるがそれはしょうがない。

 私はこの記事を怒って書いているのではない。
 基本的にはこんな工作をするのが趣味なのである。
 だから、今度はどのように改善してやろうかと楽しく考えている。
 私も若くて共稼ぎの頃は近所の方々に助けてもらっていたわけで、リタイヤした今はほんの恩返しのつもりであるが、助けてもらっていた街は引っ越し前の街である。それは大目に見てもらおう。

2017年11月21日火曜日

富雄丸山古墳からの想像

   11月19日の富雄丸山古墳の記事から、さらに想像の翼を拡げてみる。
 富雄丸山古墳の築造された4世紀後半というと、いわゆる天皇陵と、それに付随する大規模古墳が狭義のヤマト(桜井市や天理市周辺)から佐紀の地(奈良市北部)に移った時期である。
 定説ではそれは権力そのものが交替したのでなく、築造を担った豪族が替わった、あるいは大王家が新たな土地を開拓したのだろうといわれている。
 要するに当時、現奈良市北部には有力な豪族が栄えていたことは間違いない。
 いわば、東京都千代田区はヤマトのままでも、佐紀の地は新宿区ぐらいの位置だったように思われる。
 富雄丸山古墳は佐紀そのものではないが、その奈良市北部の周辺あたりと言ってもよい場所にある。

   富雄丸山古墳のすぐ後の5世紀になると古墳時代のピークを迎えるが、それが古市・百舌鳥古墳群で、その特徴は「見せる古墳」だと言われている。
 例えば西日本の豪族が首都圏たる大和に向かう場合、彼らをして腰を抜かさんばかりに驚かすという思想があったのだろうという説が有力になっている。
 葺石に覆われた巨大古墳の威容はスカイツリーやハルカスの比ではなかっただろう。

 その根拠は、巨大古墳が難波津から大和に向かう大道(メーンストリート)に見事に沿っていることによる。
 上海や香港、そして西域諸国の現在の大都市に林立するタワーや高層ビルを見るとき、私はそこに古墳時代の思想を見る。

 5世紀のメーンストリートは今の大阪上本町から堺まで南下し、その後、イメージとしては大和川を遡って大和に向かうが、その前の4世紀後半、奈良市北部の豪族たちはどのように難波津と行き来していたのだろうかと想像する。

 で、思いつくのは、後の大仏経由伊勢参りの伊勢街道のイメージである。(古墳時代は河内湖の南岸沿い?または船?)
 これは上方落語「東の旅」が一番のテキストだ。
 いよいよ玉造で見送りの人々と別れ、道は一直線に生駒山に向かい、越えた峠が暗峠、さらに矢田丘陵をひとまたぎして、大和盆地に入ったところが砂茶屋(古老はスナンジャヤと呼ぶ)で、その南方面に「これでもか」と造られていたのが富雄丸山古墳である。
 もしかしたらこの古墳、5世紀古墳の初期の思想(見せる古墳という思想)がここで生まれていなかったか。
 根拠はないがそういう想像も楽しい。

 喜六、清八もきっと見ていたに違いない丸山古墳。残念ながら落語には出てこない。
 写真2枚は大阪から大和見物経由伊勢参りの起点の玉造稲荷神社。
 古墳時代よりさらに以前から勾玉を作っていた先進技術集団がいた。
 19日の記事を書いた後、そんな想像の翼が拡がった。

2017年11月20日月曜日

酒器

   高級品ではないが気に入った酒器を手に入れた。
 写真の左の土瓶である。

 以前に書いた東大寺福祉療育病院のバザーに善意の陶芸家が提供してくれたもので、私が以前から持っていた少し大きい右の酒杯と釣り合っているように思う。

 冷酒で飲むなら瓶から直接注いでもいいというものだろうが、やはり気に入った酒器を通すと同じ酒も旨くなる。

 遠い昔だが、ブログ友達のスノウさんに「料理に器なんか関係ない」と言って顰蹙を買った。
 別のブログ友達のひげ親父さんも器フェチに見える。
 彼らには遠く及ばないし、なにしろ貧乏年金生活者だから贅沢はできないが、これぐらいは妻に許して貰おう。

 和辻哲郎に対する亀井勝一郎の批判にこんなのがあった。「和辻は仏像を美の対象として見るのみで信仰の対象として一顧だにしていない」というものであった。
 その伝でいけば、酒器は戸棚に飾られてナンボのものでなく、実際に使われてこそのものだろう。

 そういうことで、久しぶりに老夫婦で杯をやりとりした。
 「純米 原酒 豊祝」は奈良の酒である。
 
    寒波きて酒器引っ張り出す夜長かな

2017年11月19日日曜日

直径110mの円墳

   写真は11月16日付け朝日新聞だが、富雄丸山古墳が日本一大きな円墳であることが解ったという記事である。
 場所は35年ほど前に住んでいた富雄という地の近くであり、その近くを自動車で行き来していたこともあるが、この古墳のことは全く知らなかった。
 私が趣味で古墳など古代史に興味を持ったのはズーッと後のことだ。

 それにしても、奈良市埋蔵文化財調査センターが4世紀後半(古墳時代前期)と推定し、三次元計測で、直径110m、張り出しを含めると全長120mの円墳というと、そもそも最古級で隔絶した大きさの前方後円墳としてまた卑弥呼の墓ではないかという意味でも有名な箸墓古墳の後円部の直径が約150m、時期が一致する4世紀後半の天皇陵古墳と認められている、奈良市尼ヶ辻の宝来山古墳(伝垂仁天皇陵)の後円部の直径が123mであるから、なかなかの有力豪族の墓であることは間違いない。

 4世紀は中国大陸が分裂時代であったため、3世紀の邪馬台国、5世紀の倭の五王時代と比べて「謎の4世紀」といわれているが、太和4年(369年)銘の石上神宮七支刀もあり、神功皇后の百済侵略などある種激動の時代であったといわれている。
 富雄丸山の被葬者とその後裔の豪族がいったい誰なのか。ゆっくり楽しく検討していきたい。
 西の矢田丘陵を超えると平群(へぐり)氏の地となる。
 奈良市埋蔵文化財調査センターが来年度から発掘調査を始めるらしい。

2017年11月18日土曜日

紋付鳥

♀(雀と姉妹?)
   この小鳥は、私としては冬鳥の代表だと思う。
 寒風の向こうから ヒーヒーヒー カチカチカチ と聞こえてくると如何にもと晩秋を感じる。
 鳴いているときには尾っぽと頭を上下させる

 尉鶲(ジョウビタキ)の別名には、火焚鳥(ひたきどり)、紋鶲(もんびたき)、団子背負い(だんごしょい)、馬鹿っちょというのがある。
 そもそも鶲(ひたき)とはその鳴き声の一部であるカチカチカチが火打石で火を焚く際の音に由来しているから火焚鳥には何の疑問もない。
 紋鶲の紋は背中の白い模様が紋付の紋で文句ない。
 団子はこの白い模様を「団子を背負っている」と見たのだろう。
 よく判らないのは馬鹿っちょだが、結構人懐っこく逃げないから馬鹿者だと書いてある文章があった。
 ただ、引っ付き虫であるオナモミを馬鹿っちょというという方言もあったから、背中に引っ付き虫が二つ引っ付いていると見たのかもしれない。

 Pet Pediaで知ったところ瀬戸内地方の昔話に次のようなものがあった。そこでは紋鶲ではなく紋付鳥(モンツキドリ)と呼ばれていた。

 昔、スズメとモンツキドリは姉妹だった。 
 ある日、母親が重病を患ったと知らせがあった。
 この時、スズメはお歯黒(歯を黒く染める化粧)を塗っていたが、知らせを聞くとすぐさま中断し母の元に向かい、そのためスズメは無事、母を看取ることができた。
 スズメの口元が黒いのはこのときのお歯黒の痕である。

 一方のモンツキドリは、知らせを聞くと、化粧をしたり紋付きを着たりと、身支度に時間を費やしたあと母の元へ向かったので、身支度に時間をかけすぎたモンツキドリは母の死に目に合うことができなかった。
 なので、モンツキドリに激怒した父親は勘当を言い渡し、勘当されたモンツキドリは、今でも頭を下げて父親に謝り続けている。

 いやはや、先人の想像力には舌を巻く。

    寒風に居住まいただすや紋鶲

2017年11月17日金曜日

バッタを倒しにアフリカへ

   光文社新書・前野 ウルド 浩太郎著『バッタを倒しにアフリカへ』。
 虫好きの私としてはずーっと以前から「読んでやろう」と思っていた本だ。
 ただ正直にいうと表紙の写真がいかにも「いかもの臭」く、「大ハズレ」の可能性もあるかもと半信半疑で、大きな期待はしていなかった。
 まあ、書名からして政治がらみの話ではなさそうだし、だから選挙や政局などとは関係なく少し書店に置いておいても賞味期限は過ぎないだろうと長い間パスしていたが、いよいよ購入した。

   予想外に(私が予想していた程には)サバクトビバッタの生態や対策の記事は少なかったが、ファーブルの聖地、南フランス・モンペリエでの感激ぶりなどは楽しかった。
 サバクトビバッタの翅には独特の模様があり、古代エジプト人はその模様はヘブライ語で「神の罰」と刻まれている言うのも新鮮な情報だった。
 さらに山羊の丸煮込みも読んでいて唾が出てきた。
 補足しておけば、圧倒的には、単身、言葉も判らぬままモーリタニアに乗り込んだ研究者の奮戦記でそれはそれで非常に面白かった。

 そして、それこそ私の予想外であったのは、全編を通してのポスドク問題つまり就職浪人や非正規雇用の博士(ドクター)の求職問題(高学歴ワーキングプア)という厳しい現実の悲しい吐露だった。
 そのテーマは決して興味の埒外ではないのだが、まさかこの本の中で熱く語られるとは思ってもみなかった。

 著者は本の最終部分で、京都大学白眉プロジェクト(任期5年、年100万~400万円の研究費)に採用され、その後つくばの国際農林水産業研究センター(JIRCAS・ジルカス)(任期5年、成果を出せば再任→常勤あり)にたどり着くのだが、我がことのようにホッとした。

 それはさておき寄り道だが、一般に朝ドラの立身出世物語は食傷気味だ。そういう意味では特段の出世もしなかった『ひよっこ』は画期的な名作だった。なのに「わろてんか」でまたまた大幅に後退した。BKのこの精神の衰退ぶりは哀しい。寄り道おわり。

 私は既に職業生活をリタイアした年寄りだが、若者のがむしゃらな冒険話には心が踊った。
 そして思ったのは、ポスドク問題ではないが、若者たちに夢を与える施策こそが政治ではないのかということだった。
 国の政治や未来を株式会社の効率の思想で語ってはならないとは内田樹氏の金言だ。
 自民党や維新の政治は亡国の政治でないか。
 株式会社どころではない。お友達の学校には数百億円の補助金、トランプに言われたからとオスプレイ3機342億円、ミサイル迎撃システム(イージス・アショア)2基1600億円、一方に著者のような無収入のポスドク、そして山中伸弥教授が「せめて研究員を常用雇用にしてあげたい」と嘆く国。
 楽しくて後でいろいろ考えさせられる本だった。
 飛蝗(バッタ)の如くも飛翔しなかった私だが、まあ晴耕雨読は楽しい。

    木枯らしに青松虫の屍かな

2017年11月15日水曜日

正倉院の古文書

   11月10日に書いた正倉院展が終わった。
 そこでも書いたが正倉院展は人数が多すぎて古文書をゆっくり読む気分にならなかった。(それが俗人の俗人たる所以だろう)
 さて昨日、小笠原好彦先生から「奈良時代の写経事業と皇后宮職」という講義を受けたので、少し古文書についての素人の感想を書いてみたい。

 一番目の写真は「天平勝宝八歳六月廿一日監物帳」の巻頭と巻末である。
 これを見ると、従二位の藤原仲麻呂、三位永手、四位福信のサインは五位以下とは大きさが全く違う。
 
 私の職業生活の経験からも、だいたい役職によって決裁印の大きさには不文律のようなものがあった。そして、重要書類は印章ではなくサイン(花押)であったから、それもおよそ1300年の歴史だったのかと変に納得した。
 (なお、奈良時代は花押でなく、そのものずばりの署名であった)

   二番目の写真は天皇の決裁である。
 右は天平勝宝9年であるから孝謙天皇の、左のは天平宝字3年で淳仁天皇の決裁で、いずれも「宜(よろし)とサインしている。
 私の経験上は「了」というのはあったが「宜」は知らなかった。
 雲の上ではあったのかもしれないが私は知らない。
 その後、近世や近代の天皇がどういう決裁をしていたのかも興味があるが、ネット検索では出てこない。

 正倉院展に戻るが、写経されたものが展示されていたが皆んな結構足早に読み飛ばしていてもったいない気になった。ただ私の感想を言えば、よく似たものが東大寺ミュージアムで展示されることがあるから、そこでゆっくり読むのがいいように思う。

 東大寺ミュージアムでおかしいのは、お経は基本的に中国語なのだから中国人観光客がよく読んでいるかと言うとそうでもない。
 観光客の興味の問題でもあるが、簡体字で暮らしてきた現代中国人には読み辛いのかもしれないと想像する。
 とすると、台湾人が一番それを読めて、次に日本人、その次に中国大陸の中国人、そして韓国人やベトナム人は余程の学者でないとついていけないかもしれない。

 そういえば私の小学校の教頭先生は「漢字廃止のひらがな派」であった。
 私は文部省の方針で「歴史的に一番漢字を教わらなかった世代」である。
 現代史の本を紐解くと当時の学者は大まじめに「戦時体制の思想と日本語(主に漢文調)の関係」について議論し、「今後はローマ字に統一しよう」とか果ては「国語はフランス語にしよう」と議論していた。
 (漢文調の美文調がものごとの本質を覆い隠し、戦時体制への思想統制に少なくない影響を与えたとの反省から)

   結果としては、私は漢字と日本語を維持してよかったと思う。
 私のような無学なものでも1300年前の文書を何となく読めるのは世界では稀有なことらしい。

 ただ、若い頃にもっとまじめに勉強しておけばよかったという後悔は今さら役に立たない。

    紅葉と鹿とビルと自動車と

2017年11月14日火曜日

核廃絶 バチカンで国際会議

   時事通信によると、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の和田征子事務局次長(74)は11日、核廃絶に関するバチカンでの国際会議で演説し、「核兵器は廃絶しなければならない。製造した人類の責任だ」と訴えた。 
 
 和田さんは1歳の時に長崎で被爆した。母から聞いた話として、爆心地から29キロ離れた自宅の窓ガラスや土壁が粉々になり、連日火葬される犠牲者の数と臭いに誰もが無感覚になったと説明。「人間の尊厳とは何か。人はそんな(ひどい)扱いを受けるためにいるのではない」と強調した。7月に核兵器禁止条約が採択されたことにも触れ「核兵器保有国や日本を含む国々に、条約への署名と批准を訴え続けなければならない」と力を込めた。

 国際会議は、ローマ法王庁の主催で10日に2日間の日程で始まり、各国政府や市民団体代表、ノーベル平和賞受賞者らが参加。創価学会インタナショナルの池田博正副会長(64)もスピーチし、「核兵器は安全保障上の観点からも危険であり、倫理・道徳的にも悪だ。誰の手にあることも許されない」と指摘。すべての人がこうした認識を共有する必要性を訴えた。(時事通信記事おわり) 

 この記事を読んで私は、和田さんの訴えに感動し、ローマ法王庁の真摯な姿勢を尊敬するとともに、創価学会のSGI池田副会長のスピーチに少々驚いた。
 このスピーチが創価学会の本心なら、なぜ公明党は、日本政府の核兵器禁止条約への加入を求めないないのだろうという驚きだ。
 もし、海外(バチカン)と国内で主張を使い分ける「二枚舌」なら言語道断だが、池田スピーチが本心ならば、公明党が創価学会の意向に背いていることになる。

 後者なら、真面目な創価学会員は学会方針に背く公明党の選挙に駆り立てられていることと矛盾がある筈だ。
 憲法改悪が政治課題にクローズアップされている現在、創価学会、公明党の良心が注目される。(この意見はFB上の宮本たけし議員の主張を大いに参考にして記述した)

    ときにあらずも笹鳴きどきから鳴き比べ

2017年11月13日月曜日

介護は誰もの行く末

   昨夜は、老人ホーム家族会の大きなイベントを終えてホッとしている。
 ミュージック・ケアという催しで、その名のとおりミュージックでケアするという。
 音楽療法とは若干違うらしいが、私にはあまりその差異は判らない。

 義母は体がしんどいのか〝もひとつ”だったみたいだが、私の知る限り入所者は私の知っているいろんな行事の中で一番ノッテいたように思う。
 やっぱり、鳴子やベルやスカーフなどで終始〝参加している”のがミソではなかったか。
 この間まで体調の良くなかったAさんは歌とは関係なしに鳴子やベルを思いっきり鳴らしていたが、余程楽しかったのだろう。
 よくある行事では、演奏や踊りをお客さんとして鑑賞させてもらうことが少なくないが、それは〝もひとつ”のように思う。
 写真はシャボン玉だが、シャボン玉がかからないよう必死に除ける人も決して怒ってはいなかった。

 終了後ミュージック・ケアの演者の方々と交流したが、デイサービスを縮小して地域の包括的な支援体制への移行ということで、結局は各地で介護が切り捨てられていっているというのが、各地に出向いておられる関係者の実感のようだった。
 ボランティアでというのも、例えばボランティアで行事中に体調を崩された方が出た際の対策も何もないという当事者の現実の心配も聞いた。

 これらは福祉の話であるが、福祉や教育を「効率」で語ることは百害あって一利なしだと思う。
 「小さな政府」というのを金科玉条の如く語る政党や政治家がいるが、究極の「小さな政府は」独裁国家で、福祉国家はその対極であろう。
 来年度の介護報酬はさらに引き下げられようとしている。
 お友達に不当な値引きをし、トランプにはポンコツ軍事品を言い値で買うという政権が福祉のときだけはお金がないという。
 今のネトウヨは「お父さんお母さんを大事にしよう」とは言わないようだ。

    音楽に足が動いてる介護

2017年11月12日日曜日

アルデンテ

 「富士吉田のうどんは紐みたいに硬いらしい」と、ケンミンショーを観た妻から教えてもらった。
 いつも通りテレビの中のメンバーは「美味い」「美味しい」を連発したようだが、伝聞のせいか私には一向に美味しそうなイメージが湧いてこなかった。

 もうずーっと昔のことだが、大阪に讃岐うどんをバーンと打ち出したその名も「四國」といううどん屋が開店した。
 例によってマスコミは「これぞほんまもんのうどん」と騒ぎ立て、私の周りでも「うどんはやっぱり四國や」という人が続出した。
 しかし正直に言って私はあまり美味しいとは思わなかった。
 伸びたうどんみたいなのは論外だが、私は〝あえて言えば”腰などない大阪のうどんが好きだ。(あくまでも個人の感想です)
 その讃岐のうどんをさらに何倍も太く硬くしたのが「吉田のうどん」だというから、私のイメージでは「どうも」と言いたくなる。

 奈良にミシュランの星をかざした有名なイタリアンがあり、軽いランチなどのためにはそのカフェ部門の店がある。
 そこのパスタも、お客に「どうしましょう」と尋ねるまでもなく結構なアルデンテだった。
 「この硬さの味が判らん奴は田舎もんだ」と言ってるように私は僻んだ。
 正直、美味しいとは思わなかった。(あくまでも個人の感想です)
 ヘナヘナが良いと言っているのではないが、ものごとには程度というものがあろう。
 味の好みなど個人の自由だからそれを美味しいという人がいても全く問題なく、何も私の意見に賛同してくれというのではないが、「あんなに硬いのがほんとうに美味しいの」という素直な感想も言っておきたい。

 テレビの情報番組なるものではやたらに「甘い」を連発し、「美味い」「美味しい」を繰り返すが、何で生の野菜が甘いのか。甘いと美味いは違う概念ではないのか。
 そういえば視聴者はてっきり「情報」だと思って観ているが、それは実は「PR枠」というのがいっぱいあるらしい。
 そして庶民は、情報=真実だと刷り込まれ「自分だけ取り残されたくない」という欲求というか恐怖を煽られているのである。
 アルデンテの話で済んでいるだけならいいのだが、選挙や国政の問題でも同じベクトルが働いているように見えるのは考え過ぎだろうか。ほんとうはこのことを言いたい。

 「これは美味しい」というテレビの扇動に乗ってしまうと、選挙でも「勝ち馬に乗らなければ」という誘導に巻き込まれないだろうか。味も政治も自分自身で判断するのが大事だと言うのは引かれ者の小唄だろうか。
 BSプレミアムに「こころ旅」という番組がある。唯一主人公の火野正平さんがナポリタンやオムライスが大好きだというのには妙に共鳴している。

    一人っ子勝つまでやめない指相撲
    孫の夏ちゃんは年長さんだ。

2017年11月11日土曜日

イクジイの秋

   モクレンとプラタナスの葉っぱでお面を作った。
 
 紅葉と言えば以前に植えていたハナノキはピンクがかった紅葉が見事で自慢だった。
 それがテッポウムシにやられたので二代目の若木を植えたが今度のは紅葉にならない「黄葉」なので、少し騙されたような気になっている。
 若木を植えるとこういう「当てもの」みたいな面白味?がある。

 ともあれ、小さな黄葉の木が一本あるだけで庭が断然明るくなる。
 
 先日からベビーカーで降り難かったテラスに段差プレートを設営した。
 ホームセンターでいろんな材料を検討したが、結局段差プレートとセメントレンガで対応するのが一番廉価だった。
 そのうちに私の車椅子用のスロープになるだろう。

    幼児(おさなご)は木の葉のお面ポイっと投げ
 
 

2017年11月10日金曜日

正倉院展

 奈良が一番賑わう季節、正倉院展である。
 相変わらずの混雑だったので、気に入った数点だけの印象しか書けない。
 解説部分は奈良国立博物館の公式文書である。

 第1は、槃龍背八角鏡 [ばんりゅうはいのはっかくきょう]
   『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に記載されている、聖武天皇遺愛の白銅鏡(はくどうきょう)。外形が八弁をかたどる八花鏡(はっかきょう)とよばれる形式をとる。鏡背面の中心には亀形の鈕(ちゅう)(紐(ひも)を通す孔(あな)のあるつまみ)があり、鈕を囲むように2頭の龍が絡み合う。龍の下部には鴛鴦(えんおう)の遊ぶ山岳があり、そこから飛雲が吹き出ている。龍の上部に配された遠山(えんざん)や、流れる雲の表現から、天空を飛翔する龍の姿が表された図様(ずよう)を示すものといえよう。唐からの舶載品(はくさいひん)と考えられる。
 直径31,7cmという大きさを実感できたのが実際に足を運んだ値打ち。

 第2は、玉尺八 [ぎょくのしゃくはち] 
   『国家珍宝帳』に「玉尺八一管」と記されているものにあたる聖武天皇ゆかりの尺八。玉(ぎょく)と呼ばれているが大理石製と鑑定されている。尺八は本来竹製であるが、大理石を用いながら3節の竹管を忠実に模している。宝庫には北倉に5管、南倉に3管の、計8管の尺八が伝わるが、本品はその中でも最も短い。
 大理石で竹そっくりの尺八そっくりさんを作った。
 竹よりも大理石製の方が値打ちがあると考えたか、職人が「どうだ!」と技を見せびらかしたのか。不思議だ。

 第3は、漆槽箜篌 [うるしそうのくご](漆塗の竪琴) 1
   箜篌(くご)は竪形(たてがた)ハープの1種で、アッシリアに起源があるとされる。古代に中国・朝鮮半島・日本などで用いられたが、中世以降に姿を消した。
 本品は宝庫に伝わる2張の箜篌のうちの一つ。現在大破し残欠となっているが、槽(そう)とその下に続く頸・脚柱部をキリの一木(いちぼく)から作り、頸部にカキ材の肘木(ひじき)を挿し込む構造である。共鳴胴となる内を刳()った槽には、黒漆塗(くろうるしぬり)が施され、革で作った鳥獣文を貼付け、花文や山岳文を彩色するという、華やかな装飾がなされていたとみられる。彩色に使用されていた顔料(がんりょう)から、本品は日本で製作された可能性が高い。
 大破した残欠だったのでイメージが出来なかったが、明治期に製作された模造も展示されていたので素人にはよく判った。写真はその模造品。

 第4は、沈香把玳瑁鞘金銀荘刀子[じんこうのつかたいまいのさやきんぎんそうのとうす]
   全長16.1 把長7.8 鞘長11.2 身長6.2 茎長4.9
 刀子(とうす)は紙を切ったり木簡(もっかん)を削ったりするのに用いる文房具であり、また腰から提()げて腰回りを飾る装身具としても用いられた。
 本品は鞘(さや)を玳瑁(たいまい)で飾った気品ある刀子である。沈香(じんこう)貼りの把は新補。鞘は木胎(もくたい)に金箔を押したうえに、黒い斑()の交じる玳瑁をかぶせて作られており、玳瑁の下に金色がのぞく伏彩色(ふせざいしき)の技法を見ることができる。鐺(こじり)(鞘尻(さやじり)金具)や鞘口には、唐草文(からくさもん)を透彫(すかしぼり)し鍍金(ときん)を施した銀製の金具を取り付ける。刀身(とうしん)は平造(ひらづくり)。鍛(きたえ)は板目(いため)で柾(まさ)が入り、刃文は直刃(すぐは)。茎(なかご)は剣先形(けんさきがた)を呈する。
 私もけっこう文房具が好きな方である。
 刀子はいわば「消しゴム」で、公務員の仕事の中には「書写」の占める割合が大きかった。
 こんなきれいな刀子は役人(公務員)の憧れだっただろう。

2017年11月9日木曜日

ネットで知ったこと

1、AERAdotが週刊朝日の記事(加筆あり)を報じている。
 題して、「小池百合子、前原誠司の失脚の裏に米国政府  在米日本大使館の内部文書を入手」である。

 ゴルフ、最高級鉄板焼き、米兵器の“爆買い”とトランプ大統領の“貢ぐ君”と化した安倍晋三首相。だが、その裏で米国を巻き込んだ憲法改正、野党分断などの日本改造計画が着々と進行していた。本誌が入手した在米日本大使館の報告書に記された米国の本音とは──。
 訪日中のトランプ米大統領は「日本は極めて重要な同盟国だ」と述べ、安倍晋三首相との5回目となる首脳会談に6日午後、臨んだ。

 安倍首相も「日米同盟の絆をさらに確固たるものにしていきたい」と応じたが、11月に発足した第4次安倍内閣の本丸はズバリ、憲法改正だ。

 政府筋は「安倍官邸は単なる93項の自衛隊の明記にとどまらず、『国際平和に貢献するために』という文言を付記して、自衛隊が海外で自由に集団的自衛権を行使できるという解釈にしたい」と明言する。

 元外務省国際情報局長の孫崎享氏も「米国が求めるように自衛隊を海外派遣できる環境づくりに北朝鮮の存在は絶好のチャンス到来だ」との見解を示す。

 総選挙後、在米日本大使館がまとめた内部文書を本誌は入手した。
《改憲勢力が発議可能な3分の2を確保した総選挙結果は米国には大歓迎の状況だ。むしろ米国が意図して作り上げたとみていい。民進党を事実上、解党させて東アジアの安全保障負担を日本に負わせる環境が改憲により整う非常に好都合な結果を生み出した》

 そして《日本が着実に戦争ができる国になりつつある》と分析。こう続く。

《米国には朝鮮有事など不測の事態が発生した時に、現実的な対応が出来る政治体制が整う必要があったが、希望の小池百合子代表が踏み絵を行ったのは米国の意思とも合致する》

 前出の孫崎氏は、166月に撮影されたラッセル国務次官補(当時)と森本敏元防衛相、小野寺五典防衛相、前原誠司前民進党代表、林芳正文部科学相、西村康稔官房副長官、自民党の福田達夫議員、希望の党の細野豪志、長島昭久両議員、JICA前理事長の田中明彦氏らが安全保障について話し合った国際会議「富士山会合」の写真を示しつつ、こう解説する。

「米国の政策当局者は長年、親米の安倍シンパ議員や野党の親米派議員らに接触、反安保に対抗できる安全保障問題の論客として育成してきた。その結果、前原氏が民進党を解体し、同じく親米の小池、細野、長島各氏らが踏み絵をリベラル派に迫り、結果として米国にとって最も都合のよい安倍政権の大勝となった」
 安倍官邸は圧勝した総選挙で、いかにも日米同盟によって北朝鮮問題が解決するかのような幻想を振りまいたが、先の在米日本大使館の報告書には“本音”と思われる記述もあった。

《むしろ、心配な点はイラク戦争に向かった当時と現在の朝鮮有事とでは、比べようがないほど米国民は関心がない。日本や韓国が(軍事)負担を負うことが確実にならない限り、米国は軍事行動には踏み切れないのではないか》

 安倍首相はトランプ氏との“蜜月”を武器に来年秋の総裁選3選を確実にさせ、「当初の東京五輪勇退の意向から、219月の任期いっぱいまで政権を全うする」と周辺に強気に語っているという。

 1110日にも加計学園の獣医学部新設が認可され、安倍首相の「腹心の友」である加計孝太郎理事長が会見する段取りだという。

「森友問題は近畿財務局のキャリア官僚の在宅起訴で手打ちとし年内に両疑惑ともに終息させるつもりです」(官邸関係者)

 そして18年中に国会で改憲発議、19年春には消費増税先送り表明、同7月に参院選と同日の改憲国民投票のシナリオを描いている。

 米国の共和党系政策シンクタンク勤務経験もある外交評論家、小山貴氏はこう怒る。

 「こんなときにトランプ氏とのんきにゴルフをしている安倍首相自体、リーダーとして世界の嘲笑の的です。安倍政権は日米同盟を堅持するため、憲法9条をいじり改憲で自衛隊を海外派遣したいのでしょうが、政策の優先順位が違う。国民生活無視の政治を続けるなら即刻辞めるべきだ。国民を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい」 
(村上新太郎※週刊朝日  20171117日号より加筆)


2、次は東京新聞の「本音のコラム」。こういうのを正論というのだろう。


3、次は私の皮肉だが、トランプは韓国で従軍慰安婦とハグをし、独島エビを食べたが、はてさて安倍君は押しも押されもせぬマブダチではなかったのか。
 ただのポチは韓国には嫌味を言うが、トランプにはキャンと言うばかりらしい。
 私は韓国にもトランプにも抗議などする必要はないと思っているが、あまりに惨めな日本国首相にはほとほと恥ずかしくなっている。
 大マスコミの言うとおりトランプの一番の盟友なら、「違う事は違う」と諫めるのが漢でないか。私の考えとは180度反対だが、少なくともそうでないと漢でないぞ。ああ恥ずかしい。
 (トランプ在日中の)昨日まで、天にも昇ろうかというほどお追従していた日本マスコミの根性ナシぶりにも輪をかけて嫌になる。
 アメリカのマスコミはトランプと闘い、地方選では民主党の勝利が目立っている。
 日本のマスコミは「神国ニッポン」に先祖返りしていないか。


4、最後に、お口直しで動画を見ていただこう。ただのお口直し。


2017年11月8日水曜日

憲法は押しつけ憲法

洗濯物で日向ぼっこのアキアカネ♀
記事とは関係なし
   2016年2月28日「憲法9条 幣原喜重郎が提案」の記事で私は次のように記述した。
 (前段) 安倍首相らは日本国憲法が連合国軍占領下で成立したとして毛嫌いをしているが、もっともっと重要なことは戦後70年間、日本国民がこの憲法を認め積極的に守ろうとしてきたことだと私は思っている。
 だから、憲法の成立過程だけをとって「押しつけだ」「そうではない」と語ること自体に大きな意味はないと考えるのだが、

 (後段) 国立公文書館に保管されていた安倍氏の祖父である岸内閣当時の憲法調査会の録音テープによると、焦点である9条・・戦争放棄については当時の幣原総理が提案したと述べられていた。また同調査会へのマッカーサーの文書回答にも、幣原総理が提案してきて驚いたこと、結局マッカーサーがそれを受け入れたことが回答されている。(再録おわり)

 ところがどうもタイトルと後段の文章には再考が必要かもしれない。というのは、11月5日「日米合同委員会」で紹介した講談社現代新書矢部宏冶著『知ってはいけない』に、「憲法9条のルーツをたどる」というするどい指摘があったからである。その内容を紹介する。

 ⑴ 1941年8月14日、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相は、間もなくアメリカが対日戦に参戦することを前提に「米英が理想とする戦後世界のかたち」を宣言した2か国協定を結んだ。それが大西洋憲章だ。

 ⑵ 翌1942年1月1日、米英は大西洋憲章に基づきソ連と中国(中華民国)を含む26か国の巨大軍事協定を成立させた。その参加国を表す言葉が「連合国」で英語ではUnited Nationsだ。協定の名前は連合国共同宣言

 ⑶ 連合国の勝利が確実になった1944年10月、米英ソ中の4か国は国連憲章の原案であるダンバートン・オークス提案を作成した。

 ⑷ ヨーロッパ戦線がほぼ終了した1945年4月から6月、⑶のダンバートン・オークス提案の条文を基にサンフランシスコで50か国が会議を行い国連憲章が作られた。
 こうして、軍事上の国家連合から平時の国際機関・国際連合が誕生した。
 このため、国連の英語表記は⑵の「連合国」と同じUnited Nationsだ。

 ⑸ 1946年2月、国連では第1回国連安保決議に基づく「国連軍創設のための五大国の会議が始まり、日本ではマッカーサーが憲法案執筆のための3原則を示した。

 ⑹ 以上のとおり、日本国憲法(特に9条)は連合国United Nationsが積み上げてきた議論と考えに沿って作られたものである。

 ⑺ 出発点であった⑴の大西洋憲章第8項はこうである。
 両国は、世界のすべての国民が、現実的または精神的な理由から、武力の使用を放棄するようにならなければならないことを信じる。
 もしも陸、海、空の軍事力が、自国の国外へ侵略的脅威を与えるか、または与える可能性のある国によって使われ続けるなら、未来の平和は維持されない。そのため両国は、いっそう広く永久的な一般的安全保障制度(のちの国連)が確立されるまでは、そのような国の武装解除は不可欠であると信じる。

 ⑻ 以上のような理念でその後の国連軍を含む国連が成長していれば、日本国憲法は未来社会のモデル、世界の国々のモデルになっていたはずだが、冷戦、朝鮮戦争後の戦後世界はそうならず、結局、国連憲章106条の、国連軍が出来上がるまでの間は、安保理常任理事国五大国は、必要な軍事行動を国連に代わって行っていいという暫定条項を悪用して、米軍が日本国を好き勝手に振る舞えるよう安保体制とそれを担保する数々の密約、そして日米合同委員会体制を築いて今日に至っている。

 詳細は是非ともこの本を購入して読んでもらいたいが、憲法前文や各所に⑴から⑷の文言がダイレクトに使われている。

 いわゆる改憲派が「押しつけ憲法」というものだから、いきおい護憲派は幣原喜重郎や鈴木安蔵をピックアップしがちだが、事実は冷徹に事実として見たうえで護憲の論を展開する必要がありそうだ。
 ただ、日本の知識人らが上述の諸文献を知っていて「この論はあなた方自身の主張であったはずだ」とマッカーサーを説得した可能性もあるかもしれないとの想像の余地があるが、可能性でいえばGHQのハッシー中佐らが連合国の当時の基本方針に沿って起草したと考える方が常識的かもしれない。

 憲法よりも上位に位置する安保体制と日米合同委員会の問題は問題として置くとして、差し迫った憲法9条改悪案に対して斬り結んだ論争をする上でいろいろ考えさせられる刺激的な本である。
 講談社現代新書矢部宏冶著『知ってはいけない』。とりあえず現代人必読の書だと思う。